5話 それでも彼は没入する
ヤコブに付き添われて、ペトロは撮影現場のビルへ急いだ。
エントランスの受付でアポイントメントの確認をすると、そのままオフィスへ向かってほしいと伝達され、他の従業員に混ざってエレベーターへ乗り込んだ。
「ありがと、ヤコブ。飽きたら、帰ってもいいから」
「帰るかよ。お前さ、どんだけ俺らを心配させてると思ってんだ。事務所から離れなれないヨハネには、お前の雑誌撮影に付き添えないか相談されるし。今じゃ、あいつが一番お前に過保護だ」
「ヨハネって、なんだかんだで世話好きだしな。毎日溜め息つきながら、学校や仕事に遅刻しそうなアンデレを見送るし」
「いや。お前が一日中バイトして、根詰めるからだろ。戦闘にも支障出てんだから、早く通常に戻せ」
「わかってるけど……」
生活習慣改善を心掛けてはいるが、何もしない時間ができるのは避けたくて、まだアルバイトの時間は微調整しかできていない。でも。少し遅れても、一緒に夕食を囲むようにはなった。
「お前の本分は、バイトじゃないんだぞ。そんなに気を紛らわしたいなら、世話掛けさせた代わりに今度、俺の撮影に付き添え」
「アウトドアグッズの、新作商品の広告撮影だっけ」
「ツークシュピッツェ山へ冬登山のテイのな。年に四回しかない、貴重な俺のアピールタイムだ」
「でも。スニーカーの広告やってるし、ワイヤレスイヤホンの広告もやっただろ。まだヤコブは、貪欲に仕事を求めるのか?」
ワイヤレスイヤホンの広告は、アレンのインディーズバンドのMVに出たあとに、オーディオ機器メーカーの目に留まってオファーがあった。現在、街中やネットに広告を絶賛展開中だ。
自身も新規オファーがあり露出が増えたはずなのに、ヤコブはペトロに熱く一言申す。
「専属モデルもやってる事務所の看板は、余裕だな。安定してるように見えて、この業界はサバイバルなんだよ! いつ別のヤツに取り替えられるかわからないし、仕事は取ったもん勝ちの世界なんだよ!」
「いや、それ。ヤコブの方が、本分忘れてないか?」
エレベーターが目的の階に着き、扉が開くと馴染みのビールメーカーのロゴが目に入ってきた。そう。今日は、契約継続となったビールメーカーの炭酸飲料の、新しい広告の撮影なのだ。
「お久しぶりです、ペトロさんー!」
そして、この企業の広報担当と言えばこの人。エレベーター前で待ち構えていた、フィッシャーが出迎えた。四ヶ月前と変わらないボブヘアと丸メガネ。そして、メガネの奥に輝く緑色の眼差しも相変わらずだ。
「フィッシャーさん。お久しぶりです。遅くなってすみません」
「前回の撮影依頼ですね。その節は、大変お世話になりました。おかげさまで、商品の売上は右肩上がり! 今も好調で、他の企業の商品と肩を並べることができました! これも全て、ペトロさんのおかげです! 私の300%の確信は、間違いありませんでした!」
フィッシャーはガッツポーズをして、メガネから瞳の輝きを溢れさせる。
(300%? 前は、200%って言ってた気がするんだけど……)
まだエレベーター前なのに、ペトロと念願の再会を果したフィッシャーは我慢できず、溜め込んでいた“ペトロ愛”を饒舌に放出し始めた。
「その後、お変わりないですか? ないですよね! ペトロさんのご活躍は、日々この目に焼き付けておりますから! 激烈を極める使徒の活動の傍ら、モデル活動の方も絶好調ですね! “儚美しい”と形容されたあの美容商品の広告も拝見して、私は感動すら覚えました! もちろん、商品も購入させて頂きました!」
「でもあれ、メンズ用ですよ?」
「従兄弟に、これ使ってアンタもペトロさんになりなさいって、一式プレゼントしました! 彼も喜んでくれて、おかげさまで美男子への道を歩み始めました! と言っても、顔は普通なので肌艶がよくなってきたくらいなので、ペトロさんには遠く及ばず月とスッポン、いえ、ガラスと宝石ですけどね! それにしても、“儚美しい”を生んだ人、天才ですね! その方に、弊社のビールを一年分差し上げたいくらいです!」
まだ挨拶を交わしただけなのに、フィッシャーのマシンガントークが炸裂する。久々の真正面からの熱量を浴びたにも拘わらず、ペトロは普通に相槌を打つ。
だが、サウナのような熱とマシンガンを初めて浴びたヤコブは、ペトロの隣で若干引いている。
「相変わらずですね。で。今日は、同じ事務所のやつが付き添いで来ちゃったんですけど」
「ヤコブさんですよね。初めまして。広報担当の、フィッシャーと申します」
今の今までサウナの熱を放出しまくっていたフィッシャーは、水風呂に入ったように平静になり、普通の社会人の対応でヤコブに名刺を渡した。
「ヤコブさんのご活躍も、拝見しております。アーティストさんのMVにもご出演されて、話題になられてましたよね」
「ちょっとだけですけどね。しかも、友情出演て感じで出させてもらっただけなんで」
(テンションの落差がわかりやすー)
自分にはペトロほど興味はないんだと、名刺を渡された瞬間の五秒ほどでヤコブはわかってしまった。
「さ! 撮影に参りましょう! 皆さんお待ちかねですよ!」
やる気でまた瞳を輝かせ、同フロアにある撮影スタジオに向かって、意気揚々と歩き出すフィッシャー。
彼女のあとに付いて行くヤコブは、こそっとペトロに耳打ちする。
「噂には聞いてたけど、本当によくしゃべる人だな」
「だろ? オレも最初付いて行けなくて、今のヤコブと同じだった」
ペトロは控え室替わりに用意された部屋で、衣装に着替えた。
今回の衣装は、白のGジャンのセットアップに、インナーもシンプルな白いTシャツ。スニーカーまて白だ。今回の炭酸飲料の新商品は、オレンジ風味とアップル風味なので、撮影後にフレーバーの色に合わせてジャケットの色をCGで変えるらしい。
ヘアメイクもしてもらい、スタジオに入ってカメラの前でスタンバイしようとした。
「ちょい待ち! 抜くの忘れてる」
衣装担当に引き止められ、首筋が見えるようにGジャンの肩を摘んで襟を少し下げ、ファッションの抜きを作ってくれた。
「ありがとうございます」
「いーえー」
金髪に赤いエクステの衣装担当の彼は、にっこりと笑ってペトロを撮影に送り出した。
まずは、ポスター用の撮影だ。カメラレンズが向けられると、ペトロは指示された演出通りに表情を作ったり、身体の向きを変えたりする。
今回は、ペトロのポテンシャルに現場が騒然として三パターン撮った前回と違い、ナチュラル一択のリクエストだ。
その様子を、ヤコブはスタッフに紛れて見ていた。
(そういえば。ペトロの撮影ちゃんと見るの、初めてだな)
最初は大してモデルの仕事に興味がなく、最近は生気の抜けたように元気がないのに、それらからは想像できないナチュラルな演技は、ヤコブから見てもプロに見えた。
すると、フィッシャーが話し掛けてきた。
「ペトロさんの印象、以前と比べるとだいぶ変わりましたね」
「やっぱ、そう感じます?」
「以前お仕事させて頂いた時は、初めてということもあってかなり緊張もされてましたけど。今はすっかり、撮影にも慣れたようで」
「あいつの評判は、どこ行っても悪評は聞こえてきませんよ」
街中のゴミ箱や、街外れの無音の森に耳を澄ませたって、ネズミすらそんな陰口を叩いていない。
「私、最初は本当にびっくりしたんですよ」
「びっくり?」
「緊張でなかなか思い通りに撮れなかったんですけど、休憩の時にユダさんが声を掛けてから、スイッチが入ったように別人になって。たった一滴の水で、蕾が一気に花開いたような。私だけじゃなくて、現場にいたみんなが驚きました」
ヤコブはふと、自分の撮影の見学に来ていたペトロを、撮ってもらったことを思い出した。あの時は振り向くことを指示されただけで、ペトロもわけがわからないまま撮影した。だが、あの振り向いた一瞬の表情は、マグレでも、もちろんペトロが意識したものでもなかった。
あの一瞬は、ペトロ自身も知らなかった、彼の内に秘められていたポテンシャルの一片の現れだった。あの一瞬で変わったスタジオの空気は、紛れもなくペトロが変えた。
「あいつは、最初から特別だったのかもしれないですね」
「わかります! いろいろと漏れ出てるんですよ! 強さとか、切なさとか、儚さとか、人を惹き付けるものを! ペトロさんは、この業界に降臨すべく降臨したと言っても過言じゃないですよねっ!」
ヤコブを同志と勘違いしたフィッシャーは、拳を握ってまた熱くなり、その彼女にヤコブはまた引いた。
「そ……そっすね……」
(この人の圧、やべぇな……。でも、言ってることは納得できる。あいつは、俺らとは一線を画す存在だ)
ペトロの撮影を初めて見たヤコブは、その素質を認めて、ようやく素直に白旗を挙げざるを得なかった。




