3話 強くなれない
「そんなのダメだ」
「でも、その方がいいんだ。一つのことに集中した方が、余計なことは考えなくて済む。何も考えなくて済むんだ」
氷解して水溜りとなった氷がまた凍り、ペトロの心を願望ごとまた覆い始めていた。アンデレは冷え切った心に触れながら、凍結が進まないよう手を握り続ける。
「そうだよな。その方が、気持ちは楽になるかもしれないよな……。でもさ。気持ちが逸れるのは、今だけだよ。頑張ってる時だけしか、気持ちは紛れないよ」
「それでも、そうするしか……」
ペトロを見つめるアンデレの目には、もう一人の彼が映っていた。
「あの頃と同じだ」
「え?」
「ペトロはまた、一人で頑張ろうとしてる。辛さも、悲しみも、孤独感も、全部一人で抱えて、どっかに行こうとしてる。そんなのダメだ。同じことを繰り返したって、気持ちを溜め込むばっかで、何の解決にもなってない」
「でも。お前たちに言って、どうするんだよ。わかってくれるのか。わからないだろ」
ペトロは最後は視線を外し、現状を投げ遣る口調で吐いた。ヨハネは「そんな言い方はないだろ」と口から出そうになるが、そんな言葉もアンデレはちゃんと受け止めた。
「わからないかもしれない……。使徒ってさ、仲間同士で深層潜入できないんだってな。それってさ、何でなんだろうな」
「訊かれてもわかんないよ」
「その理由をさ、おれなりに考えてみたんだけど。もしかしたら、ちゃんと言葉で気持ちを共有するためなんじゃないか、って思うんだ」
「言葉で、気持ちを?」
それは普通のことなんじゃないかと思いながら、ちゃんと言葉を聞いているペトロは、視線をまたアンデレに戻した。
「憑依された人に深層潜入するのは、緊急性ってのもあると思うんだ。だけど仲間のおれたちは、いつでも側にいて、いつでも話ができる。〈バンデ〉がいるのも、死徒を倒すために絆を結んで、信頼関係を築くのが大切だ。だけど、その過程が重要なんじゃないかと思う」
「過程?」
「ちゃんと、言葉で気持ちを共有することだよ。絆を結ぶには、お互いの心を許し合わなきゃダメだ。〈バンデ〉として強くなるのは、その結果じゃないかと思うんだ」
「でも。オレには、もう〈バンデ〉はいない。気持ちを共有する相手はいない。だからオレは、一人で考えて、悩んで、答えを見つけゃきゃいけない」
ペトロが言ったことに反応して、黙って見守っていたヨハネはにわかに苛立って口を挟む。
「ペトロ。その考えがダメだって、アンデレは言ってるんだ」
「だって、それが現実だ。オレにはもう、頼れるものがない。しかもそれは、仮初だった。でも、それでもよかった。オレの心の拠り所でいてくれれば、他には何もいらなかった。ただ、温もりに触れていられるだけでよかった……。だけどもう、この手で触れられる温もりはない。繋いでた心も切れた。オレは一人なんだ。誰とも繋がっていられないなら、強くいるしかないだろ!」
突如起きた消失と別離で気持ちが止まり、それでも、なら自分はどうしたらここに立っていられるだろうと考えて出した、ペトロの答え。かつてユダが「それは呪だ」と言った選択だ。
ペトロの決意は固まっていた。ところが、親友の決意を聞いたアンデレは、ちょっと呆れた物言いをする。
「ペトロ。おれの話、ちゃんと聞いてないだろ」
「聞いてるよ」
「なんも聞いてない。だから、また一人でどうにかできないことを、どうにかしようとしてる」
「だって、そうするしか……」
「ペトロ。お前の手が今触れてるのは、何だよ?」
ペトロは、言われて手元に視線を落とした。アンデレは右手を包み込み、ペトロの心を和らげるように、ずっと握ってくれている。
「悔しいけど、おれはペトロの〈バンデ〉じゃないから、抱えてる気持ちを全部理解できない。でも、だからちゃんと言ってくれよ。抱えてる気持ちを言葉にしてくれよ」
「ペトロ。強くなりたい気持ちは、応援するよ。でも今は、絶対に一人じゃ強くなれないぞ」
“絶対”と付けて決意を否定したヨハネを、その理由を求めるような表情でペトロは見上げた。
「なれない?」
強くなることに再び拘るペトロに、ヨハネは尋ねる。
「お前が誓った“強くなる”は、どういう意味の“強い”なんだ?」
「それは……。一人で生きていける強さ」
「今、お前の胸にある誓いも、同じ意味なのか?」
「……」
問われたペトロは視線を落とし、自分の胸に問い掛けた。現在の誓いは、以前と同じ誓いなのかと。けれど、答えは何も返ってこない。
ヨハネは、呆れ返りの溜め息をついた。
「わからないのに、また強くなりたいなんて思ってたのか。そんな見切り発車じゃ、とんでもない場所に行き着きそうだな」
「北極か、南極っすかね」
「いや。世界最大級のサハラ砂漠だな。迷い込んだら最期。発見される頃にはミイラだ」
「ひぃっ! 想像しただけで震え上がるっ!」
アンデレは血の気を引かせてオーバーリアクションするが、ペトロはただの例え話だと受け流す。
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟なもんか。誰にも頼らずに目的を果たそうなんて、バカが考えることだ。アンデレみたいな」
「ヨハネさん! バカは酷いっす! おれ、そんなにバカじゃない!」
ヨハネは苦笑して「ごめん。悪かった」と謝った。アンデレはバカではない。時々空気が読めなくて、時々言葉のチョイスを間違えて、いろんな意味で場を和ませる天然だ。
いつもの冗談ディスりのあと、アンデレは立ち上がってペトロをハグした。
「あの時みたいに、一人で抱え込んでどっか行くんじゃなくて、辛さも、悲しみも、寂しさも、全部言葉にして、仲間のおれたちに教えてくれよ。もう、おれを置いてどっか行くな」
「アンデレ……」
耳元から聞こえてきたその声音からは、親友に置いて行かれることの寂しさが覗えた。あの頃、自分を何度も気遣ってきてくれたアンデレの表情が、ペトロの脳裏にふと甦った。
「ペトロ。アンデレの気持ちも、汲んでやってくれ」
「うん……。ごめんな、アンデレ」
あの時も、頼らなくてごめん。過去の振る舞いに対する感謝も込めて、ペトロは親友に謝った。
ペトロが隣の自室に戻ったのを、二人で見送ったあと。ヨハネが食器を片付けようとすると、なぜか突然アンデレが正面からハグしてきた。
突然のことにびっくりしたヨハネは、ちょっとだけ顔を赤らめる。
「な……なんだよ。急に」
「ヨハネさんの目の前で、ペトロをハグしちゃったんで。そのぶんを返そうと」
「別に気にしてないし」
「でも。浮気になっちゃいます」
「浮気じゃないし」
〈バンデ〉はそういう関係ではないと言ったはずなのに、まだ勘違いをしているのだろうか。でもアンデレの声は、いたって真面目だった。
「おれは、ペトロを励ましたかっただけですからね」
「わかってる」
ヨハネは右手で、アンデレの背中をポンポンと優しく叩いた。ペトロに向けられた同じ思い遣りが、自分にも向けられているように感じて、心がじんわりと温かくなる。
「アンデレは人たらしだな」
「また酷いこと言ったー!」




