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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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26話 踏み出せない距離



「何かありましたか?」

「実は、気になる人がいてね。時々押してみて反応を確かめるんだけど、いい反応が返ってくると嬉しくなって、調子に乗っちゃってる気がするんだよね……。あ、でも。絶対にグイグイいかないようにしてるんだ」

「へぇー」


 その相手の顔はなるべく想像しないように、ヨハネは無感情の相槌を打つ。


「だけどね。この前、ちょっと言っちゃったんだよね。好きかもしれないって言ったらどうする? って」

「っ! ゴホッ!」


 しかし防御の位置を間違え、脇腹に一発食らわされて咽た。

 目の前でヨハネが咽ているというのに、ユダは自分の話を続ける。


「冗談なんだろって、真に受けてはくれてないんだけどね。でも、それはそれでいいんだ。今は、少しずつ距離を縮めていければいいと思ってるから。だけど、かわいいとか言うと照れて、そのウブな感じがまたかわいくて、ついアプローチしちゃったんだよね」

「へ……へぇー」


 ノックアウトだけは何とか回避したが、ヨハネは血を吐きそうだった。


「ぶっちゃけて言うと、ちょっとだけ可能性を感じてたんだ。二人きりで出掛けた時も、何だかんだで楽しんでくれてたし。でも、相手のことをちゃんと見てあげられてなかったせいで、距離を置かれちゃったんだよぉ……」


 恋愛相談をするユダは、明らかにヘコんでいた。こんな姿を晒すのは滅多にない。こんなふにゃっとした姿を見る機会があるとすれば、飲み過ぎた時くらいだ。


(もしかしてユダ、酔ってるのか?)


 そう。まさにユダは酔っていた。間接照明の明かりだけなのでちょっとわかりにくいが、ほんのり顔が赤くなってる。そして、空となったビール瓶が四本シンクに立っていた。


「私、ヘタクソだよね。相手の気持ち察せてない時点で、落第だよね」

「うーん。まぁ、人それぞれですし……」


 脇腹に一発食らっただけでなく、酔っ払いとなったユダの相手をしなければならなくなったヨハネ。聞きたくない話に耳を塞ぎたいが無下にできるはずもなく、この程度のコメントを返すのが限界だった。

 ヘコむユダは深い溜め息をつく。


「記憶がなくなってなければ、もう少し上手くできたのかなぁ。前の私は、どうやって恋愛してたんだろう……」


 ユダはグラスを傾け、残っていたビールを飲み干した。そしてまた溜め息を漏らし、頬杖を突く。


「あのね。つくづく思うんだ。一目見た時からずっと、どこの誰かもわからないのに忘れられなかった。理由もなくどうしようもなく惹かれて、気になって仕方がない、この名前がわからない衝動は一体何なんだろう……って」


 アルコールが回って目をとろんとさせて言うユダは、まるで初恋に悩む思春期男子のようだ。

 ユダが一目惚れしたその瞬間から一緒にいるヨハネは、切なく複雑な表情を滲ませるが、ユダは全く気付いていない。


「ヨハネくんだったら、こういう時はどうする?」

「えっ。僕ですか!?」


 突然質問されて、ヨハネは困惑する。片思い中の相手に、恋愛の何を話せばいいんだと。


「いや。僕も恋愛はヘタクソなので、全然参考になりませんよ」

「そうなの? ヨハネくんも苦労してるんだねぇ」


 というか、話せることなど何も無い。もう何ヶ月も二の足を踏み続けているのだから。

 故に、絶好の告白のチャンスだとわかっていても、裏腹な行動をしてしまう。


「ユダは、相手の気持ちを汲み取りながら距離を縮めようとしてるんですから、そんなに落ち込むことはないですよ。過去がなくても前向きに生きているあなたを、僕は尊敬します」

(何で励ましてるんだ、僕は……)


 もしもヤコブが同席していたら、もみじができるくらいの力で尻を叩かれていただろう。

 けれど、例えチャンスが目の前に現れても、途端に何も言えなくなってしまう。二の足を踏んでいるのに、笑顔を作って誤魔化してしまう。


「ユダは誰にでも寄り添える人です。その優しさは伝わってますよ。諦めなければ、いつかその気持ちも受け取ってもらえる気がします」

「このまま嫌われたりしないかな?」

「大丈夫ですよ。あなたも素敵な人ですから」

「ありがとう、ヨハネくん。公私共にずっときみに支えてもらって、感謝してる。だから、きみにも大切な人が現れることを私も信じてるよ」


 背中を押してくれているつもりの励ましが、ヨハネにとっては突き放す言葉に聞こえてしまう。ユダに他意がなくても、酷く心が痛む。

 けれど、本心に対して天の邪鬼が顔を出し、感謝の一言だけで幸福感で満たされてしまう。思いが届けられなくても、こうしてたまに二人だけの時間を過ごせることが幸せだと思ってしまう。




 シェオル界。

 城の内部にある、四方が黒い広間。光を注がない窓と、いくつもの青い炎が暗い空間に灯り、中央の長いテーブルに六人の人物が座っている。

 一人は苛立っているように厳つく、一人は恐れているように眉尻を下げ、一人は不満げに紫色の唇を尖らせ、一人は片目を隠し何かに怯えているようで、一人は怒っているように眉間に皺を寄せる。

 そして彼らを統括する者は、堂々とした風格でありながらゆったりと構えている。


「俺は、物質界に気になるものを見付けた。だからそろそろ、行動を開始しようと思う」

「気になるものってー?」


 やる気なさげにだらけながら、タデウスが尋ねる。


「『()』だ」

「蝶?」


 長い髪の枝毛が気になるマティアは、訝しげにマタイを見遣る。


「昆虫なんざ興味ねーよ、糞が!」

「いちいちキレないでよ、フィリポ……」


 キレないとほぼ会話ができないフィリポの口調に、トマスはびくびく怯える。

 短気なフィリポにケンカを売られても、リーダーのマタイは感情を揺らされることなく話を続ける。


()れには興味ないかも知れないが、俺の達には排除しなければならない存在(もの)がある」

使徒(やつら)か」

「そうだ、バルトロマイ。其の存在も面白く、俺たちの餌にも成り得る。排除する(つい)でに、甘い蜜を吸い尽くして堕してやろうと思う」

「其れは賛成だ! で、最初は誰が行く?」

「ぼくは行かないよー」

「先に行ってくれるなら、誰でも良いよ」

「右に同じよ」


 始まる前から他人任せのタデウスとトマスとマティアの三人に、フィリポの眼光がキッと光った。


「テメェ等! 何だ其のやる気の無さは! チキン野郎かよ! 誰も行く気がねぇなら俺様で良いよな、マタイ!」

「なら。お前が先鋒で行ってくれるか、フィリポ」

「任せとけ! 俺様が愚蒙な野郎共を、こっち側に引きずり下ろしてやるよ!」


 意気衝天のフィリポは立ち上がり、まだ見ぬ獲物の恐れに歪む顔を赤い双眸に捕らえていた。




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