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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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25話 ふれられない距離



 帰って来たペトロは部屋に戻った。ユダも業務に戻るつもりだったが、さっきの戦いでのことが気になり、仕事を後回しにして話を聞こうとしていた。


「ねえ、ペトロくん。本当にさっきはどうしたの」

「なんでもないって言っただろ」

「本当になんでもないの?」

「だから、そう言ってるじゃん」


 ユダが心配する面持ちで訊いてもペトロはまともに取り合おうとせず、冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを出して喉を潤した。


「私にはそう見えないよ。攻撃をやめた理由が何かあるなら言って」

「だから。ちょっと危険を感じたんだって。それ以外に何もないよ」

「本当に?」

「だからそう言ってるじゃん。ユダこそ、どうしたんだよ。なんで今日はそんなにしつこいんだよ」

「きみのことが気掛かりなんだよ。なんだか、放っておけないんだ。私にできることがあるなら、力になるよ?」

「別にないから大丈夫」


 ペトロは、突き放すような気持ちを滲ませて言った。

 ローテーブルに置いたペットボトルにリビングに届く外光が屈折して、揺らぐ水面が天板に映る。


「本当に大丈夫?」

「本当にしつこいな」

「ちゃんと私の顔を見て」


 一歩も引かないユダを何とか避けようと、ずっと顔を逸していたペトロだったが、あまりにもしつこいので渋々顔を見た。


「無理しようとしてない? 正直に言って」


 メガネの奥の瞳に、また自分が映っているのが見えた。

 だが、心から自分を案じている面持ちを直視しても、ペトロはすぐにまた視線を逸らした。


「大丈夫。無理はしてない。オレは頑張りたいんだ。強くなりたいから」


 悟られまいと、ペトロはいつもと変わらない自分を装った。

 けれど、どうにか誤魔化しきるつもりだったが、その繊細な心の機微を感じ取るユダは眉をひそめる。


「前にも言ってたよね。強くなりたいって。使徒として強くなりたいんだと思って、その向上心に感心してたけど……。もしかして、違うの?」

「……」

「きみは、何のために強くなろうとしてるの?」

「オレは、オレのために強くなりたい。それだけだ」

「それって……。トラウマと、関係してるの?」


 ユダは一歩踏み込んでみたが、ペトロは目を伏せて口を噤んだ。


「抱えてるものを簡単に教えてもらえないことは、わかってるよ。だけど私は、きみを助けたいんだ」


 至情を捧げようとするユダだが、目を伏せたペトロは固く口を閉じる。

 心の距離が縮まった気がしていたユダは、届かない思いで表情に憂いを浮かばせる。


「ペトロくん、前に言ってくれたよね。これからは、みんなと信頼関係を築きたい。仲間になれてよかったと思えたって……。私は、その言葉を聞いて嬉しかった。きみに受け入れてもらえたんだって。私も、きみと仲間になれてよかったよ。きみとの絆を強くしたいと望んでるよ。だけどきみは、私を頼ってはくれないの?」


 ユダは、もどかしい思いを押し殺すように左腕を掴んだ。


「それは、強くなりたいから? 一人で頑張りたいから、頼ろうとしてくれないの?」

「違う!」


 視線を逸していたペトロは、顔を上げてユダを見た。自分に向け続けてくれている眼差しが、切なげな色に染まっているのを目にすると、心が痛んだ。


「そうじゃないんだ。ユダの気持ちは嬉しいし、頼りたいって、寄り掛かりたいって思うこともある。だけど……。だけど今は……」


 それでも、その優しさに素直な気持ちで甘えられず、懊悩するペトロは顔を伏せた。


「ごめん……。オレも、どうしたらいいかわからないんだ」


 ペトロは、どうした方が楽になれるのかは本当はわかっている。しかし、自身と家族への誓いが選択をためらわせていた。

 そしてそれが、少しずつ解氷しようとしていた願望を、何度も閉じ込めようとする。その葛藤でさらに自身を苦しめていることも、わかっている。

 ペトロが、ただ強がって優しさを拒んでいるのではないと察したユダは、少し反省した。


「私もごめんね。ペトロくんも今は、葛藤してるんだね。それなのに私は、自分の気持ちを押し付けようとして……」


 これは自分のエゴだと一歩引こうとしたユダの言葉に、ペトロは首を横に振る。


「ユダがオレのことをいつも見てくれてるから、オレは安心してここにいるし戦える。それは感謝してるよ。だけどこれは、オレ自身の問題だから」


 ユダに助けられているという感謝は、一切の偽りがない気持ちだった。

 けれど、お互いに手を伸ばせば届く距離は、まだ遥かに遠かった。




 夜も深まってきた頃。

 間接照明だけを点した二階のリビングルームで、ユダは物思いに耽けながら一人でビールを飲んでいた。

 そこに偶然、ヨハネがやって来た。


「あれ。一人で飲んでるんですか?」

「うん。ヨハネくんはどうしたの?」

「なんだか眠れなくて、ちょっとだけ飲もうかと」

「じゃあ、一緒に飲もうよ」


 誘われたヨハネはキッチンからグラスと新しいビールを一本持って来て、ユダに注いでもらった。


「今日はちょっと大変だったね」

「本当ですね」

「夕食の時、シモンくん顔出さなかったけど、大丈夫かな」

「ヤコブが付いてますし、明日には回復してますよ」

(久し振りだな。ユダと二人きりで飲むの……)


 以前は、時々こうして二人きりで飲むこともあった。使徒の使命と事務所の仕事が増え、ペトロが仲間になってからはその機会が少なくなってしまったので、この貴重な時間を噛み締めるようにヨハネはビールを飲んだ。


「……あのさ。ヨハネくん」

「何ですか?」

「私ってもしかして、恋愛ヘタクソなのかな」


 しかし、無情にもその時間は僅か三分で終了した。ヨハネは心底ガッカリするが、話を聞きたくない本心をビールと一緒に飲み込み、いつも通りを装った。




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