57話 密議
シェオル界に植えられた植物は、立派な広葉樹に成長していた。季節も関係ないこの世界で、青々とした葉を一枚も落とすことなく、未だ成長を続けている。
あの戦闘から、マタイは自室で沈思黙考を続けていた。彼は、探していた『蝶』を見つけた。そのはずなのだが、戻って来てからずっと眉間に皺を寄せている。
(俺はずっと、二択で迷っていた。そして、漸く確信を得られ、捕まえた。記憶を弄った限り、矢張り奴が探していた『蝶』で間違いなかった。だが、当たりのようで外れだった。籾の中は空洞だらけだ)
「一体どう言う事なんだ……」
(それに、記憶喪失の人格には“証”が無かった。既に“印”は消失しているようだが、“証”はまだ所有している筈だが……)
一人で考えても埒が明かないマタイは、この謎を解き明かすために助っ人を喚び出すことにした。
「死徒と契約せしゴエティア。我が前に姿を現せ」
紋章もなしにマタイが喚ぶと、フィリポのゴエティアのグラシャ=ラボラス、タデウスのゴエティアのガープ、バルトロマイのゴエティアのビブロンス、マティアのゴエティアのアミー、そして、トマスのゴエティアのシャックスが召喚に応じて現れた。
その面子とともに、マタイの背後にも二体のゴエティアが姿を現した。
「あ。アンドラスに、アケロルじゃないか。久し振りだね」
「お久し振りですね、アミーさん。皆さんも」
気さくにアミーに挨拶をされたアンドラスは口元に笑みを浮べ、上品で穏やかな言葉遣いで返した。
その頭部は、下半分は人間と似ているが、鼻から上半分は黒い嘴と頭の鳥だ。頭部の境目から伸びている金髪は胸まであり、レースがあしらわれた真っ白な服を纏い、剣を携え、黒い狼の背に乗っている。
「変わり無いようだな、皆の衆!」
「其の聞き取り辛い声で、大声は止めて欲しいんですけどねぇ。アケロル」
「久方振りに顔を合わせたと言うのに、其れは無かろうビフロンス!」
ビフロンスから嗄れ声を批判されたアケロルは、全身真っ赤な出で立ちだ。兵士のように鎧を纏い、その頭は燃えるような鬣のライオンだ。その顔にはなぜか、目を隠すように布が巻かれている。
「我等に何の用だ。『小羊を導く者』よ」
「突然喚び出して済まない。グラシャ、お前達に訊きたい事が有る」
「何なりと訊いてよ」
モノクロスタイルのアミーは左手を腰の後ろに隠し、右手を胸にあて、敬意を表した。
「使徒と戦った印象を訊きたい。特に、眼鏡を掛けた人間について」
「あの青年か! 人間の割に、奴は見所が有るぞ。儂は好いておる」
「ガープは、奴のどんな所が気に入ったんだ」
尋ねられたガープは、ターキーレッグとボンレスハムが合体した腕を組み、ユダの印象を語る。
「大抵は、知らぬ内に儂の王の能力に掛かって怯むが、奴は殆ど心を乱さなかった。狼狽える仲間を落ち着かせるように、状況に合った戦術を冷静に考え、それだけでなく、一個小隊を蹴散らして儂に接近して来おった。能力の発動条件を見破る力もある。人間にしては、中々やる青年だ」
「確かに。あの眼鏡の人間には、驚かされたよ」
ガープに同意して、アミーも話し始めた。
「吾輩の術にはまんまと掛かってくれたけど、解かれた後は凄かったよ。あの大鎌で、吾輩の眷属を次々とバッサリさ。一騎討ちになった時は、途中で仲間が邪魔しに来たけど、杖ごと吾輩の手首を切り落とした。それだけじゃなく、腕まで持って行かれたよ」
と、元通りになった両手で身振り手振り話した。
「其方は油断をして、足元を掬われたのでは無いのか」
と、鳥の帽子を目深に被ったシャックスは、しわがれた声でアミーを指摘する。
「吾輩が油断? 確かに甘く見ていた所は認めるけど、一寸戦ったくらいで片腕をやられたきみに言われる筋合いは無いよ」
アミーは、自身より階級が上のシャックスの指摘を一蹴した。しかし、シャックスはそのケンカを買わず、フンッと鼻を鳴らしただけで相手をしなかった。
次に、外套を纏い微笑を浮かべるビフロンスが印象を話した。
「私も、あの人間には目を見張る物が有ると感じました。亡霊の声にも全く動揺せず、亡霊の核の宝石を射貫くと言う戦術を仲間に提案する冷静さを貫く一方、眷属と亡霊の融合悪魔に対しては、冷徹に武器を振るう選択をしておりました。何より驚いたのは、巨大悪魔との戦闘です。仲間の一人と連携し、三体の巨大悪魔を瞬く間に倒しました。あれは正に、破竹の勢いでした」
ビフロンスの次は、翼を生やした獣の姿のグラシャ=ラボラスが話す。
「我々との初戦と言う事もあっただろうが、最初は我の敵では無いと言う印象だった。だが、奴には我の先読みが通じなかった。更には、我の攻撃を防ぎながら眷属を一掃する力を見せ、我の動きに追い付き、我に傷を負わせた。奴は、唯の人間では無い」
戦闘を振り返り、傷を負わされた屈辱を思い出したグラシャ=ラボラスは、狼犬の口から鋭い牙を見せた。
「グラシャにそこ迄言わせるとは! 其の者は、余程の手練なのではないか?」
「拙も気になって、そわそわしてしまいます」
他のゴエティアたちの話を聞き、アケロルは使徒への興味がさらに湧いてきたようで、アンドラスはにわかに興奮して頬をほのかに染めている。
「眼鏡の人間ではないが、某にも気になった人間はおる」
「シャックスは、殆ど戦っておらんと聞いておるぞ。お主は、どの人間が気になると言うのだ」
ガープが尋ねた。アミーたちも、使徒と戦っていないのに何がわかるんだという視線を向ける。
「もしや。ブロンド頭の人間か?」
マタイがそう訊くと、シャックスは首肯した。
「確かに、某は真面にやり合ってはおらぬ。しかし、主と戦う様を見ていたが、あの人間、初めて死徒と交えたにしては奮闘していた。本来なら、人間如きが一人では太刀打ち出来ぬ筈だ。奴も只者で無いような気がする」
シャックスのその意見に、ビフロンスが同意する。
「私奴も、それに同意します。眼鏡の人間と共に戦うブロンドの人間の力も、劣らずとも言えない物だったと言っても良いでしょう。あの時の二人の人間の勢いは、凄まじかったです」
「そうかのう。儂はそうは思わんが」
「いや。吾輩も何となく分かるよ。眼鏡の人間程じゃないけど、あの人間も吾輩を負傷させたからね」
アミーは負傷させられた腕を見て、屈辱感を露にする。
「シャックスとビフロンスは、眼鏡の人間とブロンドの人間の両方が気になると言う事か」
「なんて素晴らしいんでしょう。皆さんが一目置くような人間が、二人もいるんですね。拙も、早くお目に掛かりたいものです」
「吾も、一層興味が湧いてきた!」
後ろで「会うのが楽しみですね」と話すアンドラスとアケロル。彼ら話し声はシャットアウトし、話を聞いたマタイは腕を組み、また考えを巡らし始める。
(確かに最初は、其の二人で迷っていた。それは、何方からも似たような気配を感じたからだ。しかし、『蝶』は一人のみ。二人いた前例は無い……。だが。俺が抱いている違和感の正体が、ゴエティアの言葉の中にあるとしたら……)
再び黙考を始めたが、グラシャ=ラボラスがそれを妨げた。
「そんな事よりも。お前と交わした契約は、本当に果たされるんだろうな」
「勿論だ。『計画』が始動したら、やってくれて構わない」
「直前になって、裏切りはしないだろうな」
未だ信用するに足りないと感じるグラシャ=ラボラスは、マタイへの猜疑心を瞳に露にする。それから庇うのは、アンドラスとアケロルだった。
「安心して大丈夫ですよ。拙とアケロルが側にいる限りは」
「此の者の覚悟は、吾等が知っておる。決して翻意や裏切りはせん!」
「其の通りだ。俺は、俺の為にお前達と契約したんだからな」
その時。廊下から、バタバタと足音が近付いて来るのが聞こえてきた。この密議が悟られてはならないマタイはゴエティアたちに帰還を命じた。
消える間際。アンドラスは、マタイに告げる。
「主様。一応庇いましたけれど、油断されますと、拙達も容赦は致しませんよ?」
穏やかな口調の、深い深い奥底に広げた口の片影をちらりと見せ、姿を消した。
「マタイー!」
その0.5秒後に部屋に飛び込んで来たのは、半泣きのトマスだった。
「大変だよマタイ!」
「べそをかいて、一体どうした」
「フィリポが居なくなっちゃったぁ!」
「何処にも居ないのか」
「部屋にも何処にも居ないんだよぉ!」
マタイもフィリポの気配を探すが、城の中どころかシェオル界にすらない。マタイは嫌な予感しかしない。
「目撃情報は?」
「バルトロマイが、苛々して破壊衝動に駆られて自分の部屋の壁をぶち壊して外に出て行った、って言ってた」
そこへ、一緒に報告に行くつもりがトマスに置いて行かれた、目撃者のバルトロマイもやって来た。
「奴は恐らく、物質界に行った。使徒をぶち殺すと叫んでいた」
「彼奴、勝手な事を……」
やはりか……と、痺れを切らして勝手な行動に出たフィリポに、マタイは苛立ちを覚える。
しかし、湧き出そうだった怒りを収めた。
(使徒の所へ行ったのなら、奴が上手くやってくれれば……)
あの野良怪獣のようなフィリポに珍しくほのかな期待を抱いたマタイは、椅子から立ち上がる。
「俺が行って来る」
「止めに行くの?」
「使徒を堕とすのも俺達の目的だ。その機会を止める事も無いだろう」
「じゃあ。何をしに行くの?」
「頭をスッキリさせて来る」




