55話 クアラデム家の血
階段を降りたハーロルトは踊り場で立ち止まり、オイゲンに不服を言いした。
「父さん。急に今のは酷いよ」
「私は、お前を心配しているんだ。ここにいたら、いつかは巻き込まれる。彼らは守ると言っているが、本当にその約束が果されるとは限らないんだ」
「そんなことはわかってるよ。それでも、編入しろとか帰るとか、お世話になってる人たちの前で突然言うのは失礼だよ。それならそうと、先に僕に相談してよ」
「ハーロルト」
反抗されて苛立ってきたのか、眉間を寄せるオイゲンの表情が次第に険しくなってくる。
「父さんが突然そんなことを言い出すなんて、なんかおかしいよ。僕を心配するのはわかるけど……」
「なら。お前はここにいて、危険に晒されてもいいのか」
「みんなが守るって言ってくれてる。僕はその言葉を信じてるよ」
「親の懸念を無下にするのか。お前はいつから、そんな親不孝者になったんだ。母さんも妹も、お前に会いたいと待っているんだ。早く元気な姿を見せたいと思わないのか」
「父さんの心配を無下にしてないし、帰らないとは言ってないよ」
「それなら、一日も早く諸々の手続きを……」
オイゲンの気持ちは、今日中にも引っ越しをさせようというくらい逸っていた。息子の身を守りたい親心が、そうさせているのだろう。しかし、そんな父親の様子がハーロルトにはおかしく見えた。
オイゲンは人に思い遣りを持ち、真面目な性格で、人前での振る舞いはいつも礼儀に配慮し、説教や説得をするときも冷静で理論的だ。だが今は、理論的な説得ができておらず、感情的になっている。
「父さん。何をそんなに焦ってるの?」
「焦ってはいない」
「それじゃあ。どうして必死になって、僕をみんなから離そうとするの?」
「離そうとしているわけじゃない。無理やり縁を切らせるつもりもない」
「でも。僕がここにいるのが、嫌なんだよね」
「嫌というわけでは……」
息子に問い質されたオイゲンの歯切れが悪くなる。
彼は息子を守りたいが故に、理論的ではなく感情的になってしまっているのだろう。しかし、なぜ気持ちを逸らせているのだろうか。ハーロルトを守るというヨハネたちの言葉を信じられないという他に、何か理由があるのだろうか。それが彼の気持ちを逸らせ、感情的にさせているのだろうか。
はっきりと答えないオイゲンに、ハーロルトは真剣な面持ちで尋ねる。
「父さん……。クアラデム家の宿命って、なに?」
尋ねられたオイゲンの表情から苛立ちが消え、一瞬で変わった。動揺が現れている。
「それを誰に……」
「僕には、戦える血が流れてるの? 宿命を果たす責任があるの? 家系の宿命って、一体なに?」
「それは……」
「父さんは、何か知ってるの? 僕に何を隠してるの」
「……」
「話してくれないと、帰らないよ」
問い質すハーロルトは、父親に真摯な答えを求めた真っ直ぐな眼差しを向ける。
オイゲンは、厭わしげな表情で言い渋る。窓外の中庭の木が風に揺れ、足元に映る樹影も揺れる。
しばし悩んだオイゲンは、息子の問い詰める表情からは逃げられないと観念し、ためらいがちに家系の宿命について話し出した。
「……私たちの先祖は、ある過ちを犯した。それは、取り返しの付かないことだった」
「取り返しの付かない、過ち?」
「その過ちは、先祖だけでは償いきれないものとなった。だからその責任が、子孫である私たちにも課された」
「戦える血って、どういうこと?」
「そのままの意味だ。過ちから産み落とされた、形ならざるもの。世界に蔓延り、人間を洗脳し、歪め、脅かす、負の産物。私たちが『フェアラッセン』と呼んでいるそれを、この世から排除する力をお前は持っている」
「『フェアラッセン』……。力って、使徒の力のこと?」
「浄化を目的とする使徒の力とは別だ。お前の曽祖父や、それ以前のクアラデム家の男子は、それが現れる度に命を懸けて葬ってきた」
「その戦いが先祖の過ちの償いの代わりで、僕にもその責任を果たす宿命がある……」
以前ヨセフが言っていたのは、このことだった。クアラデム家の宿命を知っていたヨセフは、その責務の重要性を理解しているが故に、戦ってほしそうな口振りでハーロルトに語ったのだ。
しかし、責務の重要性を知るはずのオイゲンは、ヨセフとは真逆の意志だった。
「だが。お前は果たす必要はない」
「どうして? 先祖は戦ったんだよね」
「もう果たすことはできない。曽祖父の代で、果たす必要はなくなったんだ」
「必要がなくなった?」
「だから、お前がここにいてもやるべきことは何もない。お前は普通の人間なんだ」
「でも、悪魔は現れてるんだよ。人間に憑依して、他の人間まで襲おうとしてるんだよ?」
「戦う宿命は、きっと使徒が全て背負ってくれる。お前が、この街の人たちを心配する必要はないんだ」
ハーロルトは無関係だ、だからここにいる理由も必然性もないとオイゲンは言う。その言葉通り宿命を果たすことができないのなら、ここにいても使徒の手助けはできない。
だったらなぜ、ヨセフは「戦える血が流れている」と言ったのだろう。それに。人を思い遣れるオイゲンが、後ろめたさを感じさせない言い回しができることが、ハーロルトには不可解だった。
「ねえ。どうして戦う必要がなくなったの? 曽祖父の代で、償いは終わったってこと?」
「過ちを償う術が、なくなったんだ。それがなければ、力は使えない。だから、ここにいる必要はないんだ」
「償う術って?」
「わかったか、ハーロルト。お前がここにいる理由も、義理もない。だから帰ろう」
諭したオイゲンはもう一度、帰るようハーロルトに言った……。いや。諭したつもりだった。
ハーロルトはすぐに返事をせず口を閉じ、少し考えてオイゲンに答えた。
「……ごめん。すぐには帰れない」
「ハーロルト」
「祖先が何をしたのか知らないけど、その責任を課されてる僕がこの街の実情を無視していいのかな」
「言っただろう。責務を果たす術は、今はもうないんだ。どちらにしろ、ここにいても何もできない」
「だからって、このまま帰っていいの? それは無責任じゃないかな」
「ハーロルト。まさか、彼らの活動を手伝いたいなんて言うのか!?」
素直だった息子が言うことを聞かず、オイゲンはだんだんとむきになってくる。そんな、実に父親らしくない振る舞いが、逆にハーロルトに責任感の種を植え付ける。
「僕は戦う気はないよ。でも、関係がないわけじゃないんだよね?」
「だが、術がないと言っているんだ。バカなことは考えるな、ハーロルト。一度は助かった命を、ここで無駄にするつもりか。母さんにも妹にも会わずに、永遠の別れをするつもりか!」
オイゲンはハーロルトの肩を掴んだ。指関節の皺が目立ち始めた手に思いの強さが強調され、気持ちが一瞬揺らぐが、ハーロルトは引かなかった。
「僕が何も知らなければ、他人事にして、知らなかったことにして、帰ったかもしれない。でも、先祖の過ちとか、その責任とか言われたら、後ろめたくなるじゃないか」
「ハーロルト」
「最初は、父さんたちを安心させたいから、早く帰ろうと思ってたよ。でもここ、意外と居心地がいいんだよね。大学も、ここからだって通えるし」
「考え直すんだ、ハーロルト」
オイゲンの気持ちを汲み、十分考え直すことはできる。しかし、ハーロルトが考え直したいのは、なぜ使徒とともにいるのかという理由だった。
「ごめん、父さん。僕は、考え直すために残るよ。僕が背負ってる、先祖の過ちについて」
「ハーロルト」
「大丈夫だよ。何もできないなら、何もしない。ちゃんと帰るから、心配しないで」
ハーロルトは、心底心配するオイゲンを安心させるように笑い掛けた。せっかく再会できて、言う通りに帰ることもできるのに、自分は意外と親不孝者なんだなと、自分の新たな一面を知ることになった。
聞き分けがよく世話も掛からなかったのに、一体いつからそんなに強い正義感を持つようになっていたんだろうと、二年振りに再会した息子の変容にオイゲンは戸惑った。
結局、ハーロルトの説得は諦め、ヨハネたちに挨拶をしてオイゲンは宿舎を後にした。
気を落とし後ろ髪を引かれるオイゲンは、最寄の駅まで歩こうとした。
その時。後ろから声を掛けられた。




