54話 ハーロルト父、来訪②
「僕たちが彼と出会った時は、『ユダ』という人物でした。記憶喪失は知っていましたが、僕たちはずっと、彼は『ユダ』なんだと信じて共に過ごして来ました。なので、僕たちも信じ難く思っています」
「あの。一つ質問していいですか」
ヤコブが手を挙げ、オイゲンに疑問を投げ掛ける。
「これまで、ハーロルトの人格に異変を感じたことはないんですか」
ハーロルトから一度否定されてはいたが、多重人格を疑っていたヤコブは、親の視点からそれを感じることはなかっただろうかと念のために訊いた。しかし。
「いいえ。幼少期から記憶を遡ってもそんな違和感はありませんでしたから、人格は本人のみのはずです。ですから、別の人格で生活していたと聞いた時は、耳を疑いました」
親から見ても、ハーロルトに二つ目の人格は影も形もなかったようだ。ではやはり、ハーロルトは多重人格ではないのだろうか。
「私からも、伺ってよろしいですか」
「なんでしょう」
「以前、SNSでハーロルトに似た方の写真を見つけ、一度こちらに電話をさせていただいたことがありました。しかし、ハーロルトはいないと言われたのですが、その時はまだ、ハーロルトは記憶喪失だったのですか」
以前、「ハーロルトという人物がいるか」と事務所に問い合わせの電話があったことをヨハネは思い出した。無事の連絡がいった日がハーロルトの記憶が戻った直後だったことを説明すると、オイゲンは「そうだったんですか」とすんなり納得してくれた。
「他にも、お訊きしたいことがあるのですが……。皆さんが、噂に聞く『使徒』というのは、本当なんでしょうか。ハーロルトからも、記憶喪失のあいだは戦っていたらしいと聞いたのですが……」
使徒の活動範囲はベツィールフ州内のみだが、SNSやネットニュースで州外にもその名前は広まっている。しかし、トラウマを抱えた人の人格の急変や、悪魔が現れている事例は確認できていないので、悪魔も使徒の存在も噂に留まっている。
州外では、ほぼUMAと同等に捉えられていることは知っていたが、ハーロルトから関わっていたことを聞いているのなら、事実を肯定した上でオイゲンに一から説明をしなければならない。
「この街では現在、人が悪魔に憑依される事件が多発しています。僕たちは神様からお告げを受け、授けられた力で悪魔を祓い、憑依された人々を救っています」
「悪魔と……」
悪魔の存在を聞いたオイゲンは、ハーロルトよりも素直に現実を飲み込み顔をしかめる。
「もちろん、無関係の人々が巻き込まれないよう配慮しています。僕たちが戦闘する際には領域が展開され、一般人は自動的に排除されるので、巻き込まれた人はいません」
「ネットの書き込みでは、かなり激しい戦闘もされているという情報もありましたが……」
「はい……。時々、憑依している悪魔とは違う存在とも戦っています」
「悪魔とは違う存在、とは……」
「『死徒』と名乗る、怨念の集合体です」
深刻に捉え耳を傾けるオイゲンは、その存在を聞き眉をひそめた。そして、僅かに瞠目したようにも見えた。
「一緒に戦っていたもう一人のハーロルトは、記憶喪失にも拘わらずリーダーとしてまとめ、僕たちを支えてくれた、とても頼りになる仲間でした」
「それは、本当の話ですか」
「信じ難いでしょうが、現実に起きていることです」
「まさか、ハーロルトが……」
オイゲンは、少し動揺しているようだった。息子が、そんな危険なことに巻き込まれているなど知る由もなかったので、動揺しているのだろう。
「今もまだ、戦いは続いているのですか」
「はい。平穏が訪れるのは、まだ先になりそうです」
「記憶が戻ってから、ハーロルトは戦ったんですか」
「戦ってないよ。身に覚えのないことだし、そんなことができるなんて思ってないから。もう危険なことはしてないから安心して、父さん」
息子は未だ危険に晒されているのかと心配するが、横にいるハーロルトから否定された。
「そうか……。それならいいんだ」
本人からそう聞いて、オイゲンは胸を撫で下ろした。一度危険な目に遭い、記憶喪失にまでなってしまった息子には、安全圏にいてほしいのは当然の親心だ。
「そうだ、ハーロルト。休学中の大学はどうするんだ」
「心配しないで。ちゃんと復学して、父さんの跡を継ぐよ」
ハーロルトは、以前と変わらない意志を伝えた。
再会を果たし、跡継ぎになる意志も変わらず持ち続けてくれて、安堵と懸念を抱いたのであろう。オイゲンは、唐突に言う。
「ハーロルト。ノルックの大学に編入しなさい」
オイゲンの発言に、一同は耳を疑った。唐突に言われたハーロルトも、さすがに戸惑う。
「父さん。急に何を言い出すの」
「話を聞いた限り、この街にいるのは危険だ。向こうにもいい大学はあるから、そうしなさい」
「でも……」
息子の身の安全を危惧しての考えなのだろう。もう二度と酷い目に遭わせたくないという親心は、ヨハネたちもわからなくない。
しかし、いきなりそれは聞き入れられないと、ヨハネたちは待ったを掛ける。
「待ってください。確かに危険は潜んでいますが、必ずしも悪魔に狙われるわけではないし、いざという時は僕たちが必ず守ります」
「しかし。いつ巻き込まれるか、わからないですよね」
「そうっすけど。隣の人が絶対、悪魔に憑依された人ってわけじゃないし。すぐに悪魔が出て来て、周りの人を襲うことはないっす!」
「それに。この街の人たちは危険に敏感だから、異変を感じたら教えてくれます。ボクたちに協力的なおかげで、大きな被害もないんです」
「俺らは何より、周りの人たちの身の安全を最優先してます。だからハーロルトも、俺らが身を呈しても守ります!」
四人は誠意を込めて、真剣に説得しようとした。けれど、オイゲンは眉間を寄せる。
「しかし、絶対はありません。天災も人災も、不意に襲って来る。あなた方が絶対に守ると断言しても、災いがそれを裏切るんです」
「そうだとしても。僕たちは人々を裏切ることはしません。もちろんあなたのことも。だから……」
「なぜ、そこまで必死にハーロルトを引き留めるのです? 何か不都合でもあるのですか」
「それは……」
まだ気持ちの整理ができていないペトロのことを考えると引き留めたいが、息子を思う父親に、仲間の未練などを言っても通用するはずがない。そんな理由で危険に巻き込むのかと、激怒されるに違いない。
ペトロの様子をちらりと見るが、俯いてずっと口を噤み、哀感を滲ませている。
「それとも。使徒ではなく、戦う意志のないハーロルトも戦うべきだと?」
「いや。そこまで……」
「私は、ハーロルトとようやく無事な姿で再会できて、心の底から嬉しいんです。このまま普通に暮らしていきたいんです。記憶喪失のあいだは、あなた方の仲間だったかもしれない。だが、今のハーロルトは戦おうなど微塵も考えていない。それなら、危険から遠ざけ、再会できた家族との幸せな時間を過ごしてほしいと、みなさんは思わないのですか」
オイゲンは、ヨハネたちの気持ちを押し退けるように言う。その気持ちはヨハネたちもわかるつもりだし、夢にまで見た再会を目撃してしまい、エゴはもう捨てるべきなのだろうかと過ぎった。
これ以上引き留めるのは無理かと、ヨハネたちは諦めかけた。そんなときに口を開いたのは、ハーロルトだった。
「ちょっと待ってよ、父さん」
「何だ。ハーロルト」
「僕は、編入は考えてないよ」
「ハーロルト。ここにいては危険なんだぞ。お前なら、編入試験も合格できる。だから、帰って来なさい」
しかし、ハーロルトは首を縦に振らない。
「ハーロルト!」
思春期も反抗的になることはなかった息子が、初めて相反する意志を示し、オイゲンは眉間の皺を深くする。が、ハーロルトの意志もそれなりに固かった。
「ごめん、みんな。ちょっと、父さんと二人きりで話してくる」
ハーロルトは、オイゲンを廊下に連れ出した。




