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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第5章 Verschwinden─裏表─

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52話 日記─知らなくてもよかったこと─



 ヨセフから、クアラデム家の宿命のことを聞いたハーロルトは、何か手掛かりがないかと部屋の中を漁っていた。

 しかし、チェストの引き出しや仕切り棚を探すが、目ぼしいものは出て来ない。


(クアラデム家の宿命ってなんだ。僕は何も知らない。聞いてない。彼は……記憶喪失のあいだの彼は、何か知ってたのか?)


 次は、机の引き出しを開けた。ノートや手帳を速読のようにパラパラ捲り、ほしい情報を探したが、仕事関係のものばかりだ。

 今度は、目に入ったファイルを開いた。それは、ヤコブとシモンとペトロのこれまでの企業の契約内容を簡潔にまとめたものと、それぞれの今後の展望が書いてあった。

 ヤコブは、こう書いてある。「企業側からはアクティブな印象が強い。今後もオファーが来るとしたら、ロードバイクなどの自転車あたりか。洗顔や日焼け止めクリームもあるかも(色黒だけど、宣伝効果はあるのかな)」

 シモンに関しては。「企業からは、年齢も相俟ってかわいい印象を持たれている。今はスイーツ系が主だが、成長すると恐らく印象も変わる。将来は、美容系やアパレルからオファーされる可能性もあるかも」

 そして、ペトロについては。「最初は、中性的な外見からかわいい印象を与える。でも色んな顔ができるから、魅力はまだ引き出せそう。美容系は外せない。将来的には、雑誌の専属モデルのオファーが来る可能性はある」

 それぞれがイメージキャラクターを務め始めた当初に書いたものだ。経営者として、使徒の役目が終わったあとでも希望があれば続けられるように、ユダは各自に向いた仕事の方針をイメージしていたようだ。

 ハーロルトはそれには興味を示さず、すぐにファイルを閉じ、次に、紺色のハードカバーの厚みのあるB6サイズのノートを手に取った。開くと、日付と文字が書いてある。


「日記だ」


 筆跡は自分と同じだが、ハーロルトはこのノートを知らない。

 それは、ユダが付けていた日記帳だった。記憶喪失中の自分が書いたものだと気付いたハーロルトは、どんな日々を送っていたのだろうと読み始めた。

 最初の日付は、二年前の十一月末になっている。


『どうやら、私は記憶喪失になってしまったようだ。なので、今日から日記を付けることにした。過去がわからないので、せめて、現在の記憶を記録していきたいと思う。それから。記憶を取り戻した時に、記憶を失くしていた日々のことを忘れてしまわないように。

 昨日、入院していたサンクトペテルブルクの病院を退院して帰って来た。私は大変な目に遭ってしまったらしく腕や頭などを手術したが、運良く重症ではなかったので、縫合だけで済んだ。医師や看護師さんたちは、私のことを気遣って何があったのか詳しくは教えてくれなかったが、焦らずそのうち知れればいい。今は、記憶喪失という状況に慣れないといけない。』


「サンクトペテルブルクの病院に入院していた……。やっぱり僕は、記憶が途切れた日にテロ事件に巻き込まれたんだ」


 ヤコブとシモンに調べてみるといいと言われたハーロルトは、検索して、サンクトペテルブルク中央駅で起きた爆弾テロ事件の記事を読んだ。けれど、被害者であることを示唆されただけで、何も思い出せなかった。ただ、身体が震えるような漠然とした恐怖だけは、不思議と感じた。

 ハーロルトは日記に目を通していく。こまめに毎日付けられていて、大学に休学届けを出したこと、神様から“お告げ”を受けたこと、街の人々の様子の変化、仲間との合流、初めての祓魔(エクソルツィエレン)、憑依された人への深層潜入ができなかったことなどが書かれていた。


「本当に、悪魔と戦ってたんだ……」


 運良くまだ悪魔に遭遇しておらず、未だにフィクションの疑いを持っていたが、戦闘中のことが細かく書き留められていて、読んでいると段々と現実味を帯びてきた。

 読み進めると、こんな内容も書かれていた。


『今日の戦闘中、戦闘領域外の群衆の中にいた、ある人が気になった。遠目だったから性別はわからないけれど、ブロンドで色白だった。戦っている最中だっていうのにその人の方にばかりに目が行って、ちょっと気を抜いてしまい、危うく悪魔の攻撃を食らいそうになってヤコブくんに怒られた。

 ファンサービスの時にはもういなかったけど、ずっとその人のことが気になってしまった。』

「かわいい子でも見つけたのかな」


 好みの女性(ひと)でもいたのかと、恋の予感にハーロルトは少しだけ期待する。自分と好みは一緒なのだろうかと考えながら、さらに読み進めると、それが誰なのかがわかってくる。


『悪魔との戦闘も、ヨハネくんたちと冗談を交えながら戦えるくらいに、すっかり慣れた。街の人々も、異変を感じるとすぐに避難を促してくれるから、協力的でとてもありがたい。でも、まだ悪魔がいなくなるような様子はない。この戦いは、まだ先が長いようだ。

 気になるあの人の姿も、たまに見掛ける。いつもヘルメットを被って四角い大きなリュックを背負っているから、デリバリーのアルバイトをしているんだと思う。この前、事務所にデリバリーを頼んでみたけど、持って来てくれたのはあの人じゃなかった。

 あの人は、なんて言う名前なんだろう。同い年かな。それとも、年下かな。機会があったら声を掛けて、話をしてみたい。』


『また春が巡って来たけど、まだ厚手の上着は手放せそうにない。

 今日は、パリ広場で戦闘があった。いつもと変わらず、何事もなく終わると思っていたら、信じられないことが起きた。戦闘領域内に、一般人が入って来てしまった。なんとか危険を回避することはできたけど、私が守ったその人は、ずっと気になっていたブロンドの人だった。

 名前は、ペトロくん。同性だ。彼は、使徒になれる特性を持っていた。だから、仲間にならないかと誘った。仲間になることに前向きではあったけど、返事は保留となった。

 それにしても。気になっていた人が、まさか同性だとは思わなかった。だけど。男性だけど、中性的な容姿がきれいだと思った。私は、この人に惹かれていたんだ。話してみて、もっと話したいと思った。こんな感情は初めてだ。この感情を、なんて表現したらいいんだろう……。

 ペトロくんが仲間になってくれることを、心の底から願いたいと思う。』


 予想にしていなかった展開が書かれていて、ハーロルトはにわかに動揺する。


「ペトロくんのこと……。いや。まさか……」


 自分はそんな趣味趣向じゃないと、期待した展開を否定する。

 だが、この先を読むのが怖くなりながらも、なぜかどうしても気になる。誰かの秘密を覗き見るような罪悪感というよりも、もう一人の自分が抱いた感情に、理由のわからない興味を抱いた。

 ハーロルトはページを捲り、先を読んだ。


『今日は、ペトロくんに唐突なことを言ってしまった。絶対に困らせちゃったな……。

 でも。彼のことがとても気になる。目が離せなくて、気が付けばいつも彼のことを考えてしまっていて、一緒にいられることが嬉しいと思う。

 あの写真を見てから、気持ちが少しずつ変わってきている気がする。やっぱり私は、ペトロくんが好きなんだろうか。』


「えっ」

(好きって……)

「冗談でしょ」


 記憶喪失中の自分が同性に恋心を抱いていたことに、衝撃を受けた。しかも相手は、現在自分がルームシェアをしているペトロと知り、戸惑いを隠せない。

 その感情は、受け入れ難かった。これは自分ではなく、全く知らない赤の他人の感情だと言い聞かせる。

 だが。戸惑い否定しながらも、日記を読み進める手は止まらなかった。


『新たな敵の「死徒」が現れて、私たちは苦戦を強いられた。ゴエティアは、今まで相手をしてきた悪魔なんか比べ物にならないくらいの強敵だ。ペトロくんは憤怒のフィリポフィリポ・デア・ツォルンの棺に囚われて、トラウマを再現されて苦しめられた。

 戦いのあと、ペトロくんから抱えている心の傷を聞いた。私はなぜか、とても申し訳なく感じて謝ってしまった。そして、彼が強くいようとした理由を、初めて知った。

 罪悪感に涙する姿を見て、私が支えたいと思った。それはきっと、私にしかできない。私のバンデであるペトロくんにできることがあるなら、なんでもしてあげたい。』


『死徒とゴエティアとの戦いが、一区切りついた。みんな無事で、ペトロくんもトラウマの苦しみを堪え抜いた。

 ペトロくんを誘って、彼の初仕事の広告を見に行った帰り。「嫌いじゃない」って言われて、思わず「きみのことが好きだ」って告白してしまった。ペトロくんは困ってはいなかったけど、返事を考える時間がほしいと言ってくれた。

 ちゃんと私の気持ちと向き合ってくれるのが、とても嬉しい。でも、待つのは少しもどかしい。だからじゃないけど、いくつかペトロくんにお願いした。ダメ元でハグもお願いしたら、いいって言ってくれて、気持ちが抑えられなくなってその場で抱き締めてしまった。

 結局、また困らせちゃったな。でも。人を好きになることは、こんなに幸せなことなんだ……。

 私は、ペトロくんを好きになれて幸せだ。』


 そこまで読んで、ハーロルトは日記帳を閉じた。


「…………」


 目的の情報はなかったが、記憶喪失のあいだの自分が何をしていたのか、使徒の役目に対する姿勢も、事務所の社長としての志も、知ることができた。しかし、思いもよらない感情の存在に、戸惑いは拭えない。

『ユダ』だった自分は、ペトロに恋心を抱いていた。その恋がどうなったかは、日記の先を読まなければわからない。

 でも、自分が現れてからの様子を思い返してみれば、ペトロの心の壁に気付かないハーロルトでも、予想はできた。




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