50話 関係者たち
そのざわつきを払うように、悪魔が出現する気配を察知した。
「悪魔の気配だ。近いから行って来る」
「でも仕事中だよ? 他の四人が行かないの?」
「シモンはまだ学校だし、ヤコブもこの時間は忙しい。一応三人はいた方がいいから、僕も行く。だから、二人で留守番頼んだ」
「わかりました」
ヨセフとハーロルトの二人に事務所を任せたヨハネは飛び出し、跳躍すると窓から消えた。
何度か出撃を見送り、その人間離れした身体能力も見ているハーロルトは「おぉ……」と漏らし、ヨハネが消えた窓外を眺めた。
「仕事と使徒の両立って、本当に大変そうだなぁ」
「他人事のように言いますね」
「だって。一般人の僕には、関係のないことだから」
緊張感もなく、全く関心を示さないのが気に入らないのか、ヨセフはキーボードを打つ手を止め、ハーロルトに微妙に棘のある口調で言う。
「関係がないわけがありませんよ。この街の住人ならば、あなたは関係者です。隣人が悪魔を棲まわせているかもしれないし、その悪魔にあなたは襲われるかもしれないんですよ」
「可能性の話だよね」
「今の話は、可能性の話です。ですが、あなたも戦えると言ったらどうです」
まるで覚悟を問うように、ヨセフは赤と水色の双眸をハーロルトに向ける。
「僕が使徒だって言うの?」
「ヨハネさんたちが言っていました。使徒の資格は人格ではなく、トラウマを記憶しているその身体だと。だからあなたは、使徒の資格を有している」
「でもヨハネくんたちは、そんなこと一言も言ってない」
しかし、無関係を貫くハーロルトには、覚悟を持つような目的も理由も芽生えない。
「確信のない話なので、言わないのでしょう。それにあなたは、記憶を失っているあいだに別の人格が戦っていた事実を、まともに受け止めようとしない。悪魔の存在に否定的な一般人を無理やり巻き込んで、危険な目に遭わせないように配慮してくれているんですよ」
「その言い方だと、逆にこっちが悪いことしてるみたいだ。使徒の資格がある僕に戦ってほしいなら、説得すればいいのに。僕だって話しくらい聞くよ」
戦う意志を最初から微塵も見せていないのに、自分を善良だと思わせたいかのような口振りに、ヨセフは溜め息をついた。彼が人前で感情を出すのは珍しい。
「ユダさんだった方が、まだマシだったかもしれませんね」
「『ユダ』って……。僕が記憶喪失だったあいだの人格?」
「あの人は、自分の役目に真摯でしたよ。あなたとは違って責任感があり、仲間からの信頼も厚かった」
暗くなったパソコンのデスクトップの画面に、ハーロルトの顔が映る。彼には、もう一人の自分の存在なんて、鏡に映る自分と大差なく感じられる。
「僕に、元の人格に戻ってほしそうな言い方だね。きみは仲間じゃないんでしょ?」
「仲間ではありませんが、関係者ですから」
それは「事務所の」という意味だろうか。ハーロルトはそんな些細な疑問も抱かず、自分の選択の正否を問われている時間が、疎外感に囲われているような気がする。
「ここにいる人たちはみんな、自分の役目に真剣なんだね。悪魔の存在や、周りの人たちの使徒への信頼を見せられても、僕には非現実的な世界だ。記憶を失くしてたあいだに、別の世界に来ちゃった気分だよ」
「受け止められないと思いながら、疎外されていると感じているんですか。矛盾してますね」
「僕はまだ、この世界に慣れないよ」
「ですが。疎外を感じているということは、あなたも自分がすべきことを模索したがっているのでは」
「そういうことになるの?」
ハーロルトは不可解で納得できず、片眉を上げた。
そんな彼に、ヨセフはあることを話し始める。
「本当はあなたも戦える。あなたはそれに気付いていないだけ……。いや。知らないだけです」
「また、使徒の資格があるって話?」
「あなたには、“戦える血”が流れている。定められた宿命を果たす、その責任を背負わされている」
言われたハーロルトは、無表情に告げるヨセフに怪訝な表情を向ける。
「戦える血? 責任?」
「あなたは、何も聞かされていないのでしょう。全く。無責任な父親だ」
「僕の父さんが、何かを隠してるって言うの?」
信頼し尊敬する父親を軽蔑され、ハーロルトはにわかに腹が立つ。しかしそれよりも、その父親が自分に隠し事をしていると匂わされたことの方が引っ掛かった。
尋ねられたヨセフは言う。
「クアラデム家の宿命」
「宿命?」
「家系に生まれたあなたは、その責任を果たすべきだ」
無表情のヨセフは、また感情を薄っすら表に出した。ハーロルトに向けたその双眸は、面責するような鋭さを含んでいた。




