46話 期待と問題
それからも、ハーロルトは何度か実家に帰りたいと言ったが、その度にヨハネたちは、ペトロのことを考えていろんな理由で引き留めた。
受け入れ難い現実と葛藤している最中で、ハーロルトと接することを避けている。引き留めることが本当にペトロのためになっているかはわからないが、気持ちの整理が付かないまま、ハーロルトがいなくなるのは避けようと考えた。
そのペトロは、リビングルームでの寝泊まりを続けている。ヤコブたちは、自分たちの部屋に来ればいいと誘ったが、今は一人で考えたいからと気遣いを断った。おかげで、リビングの一角にはマンガ本が積み重なり、ヒーローのフィギュアも三体となった。
ペトロのことも心配だが、社長が不在となった事務所の業務は一段と忙しくなった。仕事のほとんどは副社長のヨハネが抱えることになり、仕事に慣れてきたボランティアのヨセフには、簡単なメールの返信や電話対応は任せることにした。
「ごめんな、ヨセフ。仕事が増えて大変になるけど」
「問題ありません」
「俺も休みの日は、手伝えることあったら手伝うよ。立ち上げたころは、電話対応とかやってたし」
と、アルバイト前に顔を出していたヤコブが気遣った。
「それじゃあ。事務所のSNSの更新は、しばらく任せていいか」
「そのくらいなら、お安い御用だ。他にもやってほしいことあったら、遠慮なく言えよ」
「ありがとう。あ、でも。絶対にSNSに変なこと書くなよ?」
「わ……わかってるよ」
釘を刺されたヤコブは、まだ浄化もできていない過ちを追及された気分で、ちょっと心がチクチクした。
「そのハーロルトさんは今、何をされてるんですか?」
「大学復学に向けて、勉強中だってさ」
部屋で経営学の参考書を見つけたハーロルトは、その本を使って勉強を始めていた。今日も午前中から、パソコンも駆使して机に向かっている。
するとヨセフは、メールを返す手を止めて二人に尋ねる。
「ユダさんだった時の記憶が全くない、という話でしたが。彼は、一般人になったんですか?」
「一般人て?」
「ユダさんと同様に、使徒なんですか?」
「それは、どうなんだろう……」
ヨハネとヤコブは顔を合わせる。そのあたりの話は、仲間内でもハーロルトともしていなかった。心の中では、まだ使徒なんだろうとなんとなく思っているが……。
「あいつも、使徒の力は使えるんじゃねぇの?」
「使徒になれる条件は、トラウマを抱えていることと、選ばれたかどうか。『ユダ』は選ばれたけど、あの様子だと『ハーロルト』は選ばれてない。そう考えると、ハーロルトは使徒じゃないことになる」
「けど。ハーロルトは、トラウマを抱えてるよな。たぶん、爆弾テロ事件の被害者なんだし」
ペトロから教えられた、息子を探しているというSNSアカウントに上げられていた写真を念のために確認したが、ハーロルトに間違いなかった。本人にも見てもらい、家族写真を撮ったものだと確認が取れている。
「選ばれていないことを考えると、ハーロルトが使徒の力を使えるかは五分五分かな」
「ていうかよ。身体は同じだから、使徒の力って使えんじゃねぇのかよ」
「選ばれる基準が、トラウマだけかってことだよな。人格が違うと、資格は剥奪されるのかな……」
トラウマは、体験した人間の脳に記憶される。潜在していた人格と交代した際に、本来の人格の記憶は一時的にシャットアウトされるだろうが、脳は同じなので、記憶されたトラウマが完全に消去されることはない。
「ユダ自身にはトラウマはなくても、使徒に選ばれてハーツヴンデも出せてた。てことは、人格は関係ないかもしれないのか」
「脳がトラウマを記憶していたから、ハーツヴンデを具現化できていた。大事なのは、人格じゃなくてその人間自身? それなら。選ばれる基準となっているトラウマがあるなら、ユダと同じ身体のハーロルトでも使徒の力は使えるんじゃないかな」
記憶喪失───もとい、ハーロルトと入れ替わったユダが使徒になり得たのは、脳に『ハーロルト』だったときに刻まれたトラウマがあったからだろう。人選に人格が含まれていないのならば、ハーロルトに使徒の資格が引き継がれている可能性はある。
「ていうかさ。ペトロからユダの名前が消えただろ。バンデの名前が消えて使徒の資格がなくなるのは、死徒に堕とされた時だ。でも、ハーロルトに使徒の資格があるなら、今度はハーロルトがペトロのバンデになるってことか?」
「それも、どうなんだろう。もしもそうだったとしても、ユダは堕ちたわけじゃないし、お互いに望まなければバンデにはならないんじゃないかな」
「そうだよなー。ハーロルトに戦う気がなきゃなぁ……」
ハーロルトは自分が悪魔と戦っていたと聞いても、「僕が戦っていたわけじゃない。僕は普通の人間だし、戦う動機もない」と、戦う意志は微塵もない。なので今のところ、カテゴリーは一般人だ。
「お告げがあれば、あいつも戦うって言うのかな」
「少しは現実味を帯びるだろうから、そう思いたいけど……。というか。拒否をしたらどうかなるのかな」
「天罰を食らうとか?」
「そこまで拘束的か? でも。神様も期待して、僕たちを選んだんだ。その期待を裏切るなんて、考えられない」
ヨハネたちがお告げを聞いたときも、最初はただの夢だと考えてあまり気に留めなかった。けれど、段々と無視できないような気がしてきて、使命感も芽生えた。ハーロルトもお告げを聞けば、意識が変わるだろう。
すると。自分から質問しておいて、いつの間にかメールの返信を再開していたヨセフが、眉一つ動かさず言う。
「特別な使命を課せられているのなら、みなさんを倣って彼も果たすべきです。使命を無視するのなら、ヨハネさんの言う通り、神への裏切りです」
「ヨセフも、なかなか厳しいこと言うな」
「人にはそれぞれ、役目があります。彼にも果たすべき役目があるのなら、その責務があります」
「だけど。戦う意志がないのに無理やり戦闘に連れて行っても、危険を伴うだけだ。力の有無が判明したら、改めて意志の確認をしよう」
戦闘が激しくなっているというのに、一人欠けるのは痛手だ。しかも、成熟中だったバンデも一組だけとなり、全体的に見れば使徒の戦力は落ちている。戦力縮小に焦る気持ちがないわけではないが、ブラック組織だけにはならないようにしなくてはいけない。
「それもだけど。ペトロのことも、どうにかしてやりたいよな」
ペトロは昨日までアルバイトも休んでいたが、今日から再びデリバリー用バッグを背負い、相棒の電動キックボードを駆って先程出て行った。
何かしていた方が気も紛れるのだろうが、ライバル視していると言えど、仲間が心を塞いでいるのはヤコブも辛く感じる。
「いつまでも、現実を避けてはいられない。ペトロもそれはわかってるだろうけど、時間は掛かるのは仕方ない」
「お前だって、相当ショック受けてるのにな」
「僕はそうでも……」
「嘘つけ。強がるなよ」
「いや。本当に」
そう言うヨハネは、本当にユダを失ったショックをさほど引き摺っていない様子だった。
ハーロルトとも最初から比較的平常心で話せていて、ユダの代わりに自分がしっかりしなくてはという責任感から、気丈に振る舞っているのかとヤコブは思っていた。しかし、ヨハネは悲愁を全く浮かべないし、ハーロルトに対しては、ユダに使っていた敬語で話していない。
彼の中で、一体どんな心境の変化があったのだろうか。
「一番の支えが、突然いなくなったんだ。そしたら、支えることができるのは僕たちしかいない。できることがあるなら、僕たちで支えないと」
「大丈夫って言ってるけど、絶対大丈夫じゃねぇし。あいつも強がりだな」
「僕たち、似てるよな。ペトロは強がりで、ヤコブはプライドが高くて、シモンも頑張り屋で」
「いや。お前は違うだろ」
「僕も昔は結構、好きな人には自分だけを見てほしいって、我が強かった」
「そういえば、彼氏とケンカ別れしたって言ってたもんな。お前も、独占欲強めだな」
「本当にそれな」
ヤコブからのツッコミに、ヨハネは微苦笑した。




