43話 電話越しの再会
「ここが、お前が使ってた部屋」
案内されたハーロルトは中に入り、室内を見回す。この部屋でルームシェアをしていたと聞いても、置かれている家具も、飾られているアートも、ハンガーに掛けられたスーツも、どれも見覚えがない。
「これが、お前のスマホ。さっき落ちたから拾っておいた」
帰り際にズボンのポケットから落ちたのを拾っていたので、ヤコブは渡した。
ハーロルトは受け取るが、記憶を失う前に使っていた機種から変わっていた。ロックが掛かっているのでパスワードを入力して開こうとするが、変更されていて解除ができない。
「すみません。パスワード、わかりませんか?」
「さすがにわかんねぇなぁ……」
「ユダだったら、何を設定するだろ。絶対自分の誕生日じゃないし……」
「じゃあ、ペトロの誕生日は?」
「ぽいね!」
ペトロの誕生日の数字「1203」を教えられてハーロルトは入力するが、それでは開かなかった。
「あれ。違う」
「あいつなら、設定してそうだと思ったんだけどなー。じゃあ、なんだ?」
ハーロルトからいったんスマホを預かり、ヤコブとシモンはパスワードを考える。
二人がパスワード解除に取り掛かっているあいだ、ハーロルトはもう一度部屋の中を見回した。
物でごちゃごちゃしておらず、置いている小物は最小限ですっきりしている。飾ってあるアートも大き過ぎず、部屋の雰囲気を邪魔しない落ち着いた柄のものが選ばれていて、自分の好みと似ていると感じる。
ベッド横の仕切り棚に置いてある小説も、ハーロルトが読みそうなジャンルだ。その一番下の段には、経営学に関する参考書が数冊立て掛けてあるのを見つけた。
(大学で使ってる参考書だ)
事務所を立ち上げる際にユダが購入したものだが、偶然にも、ハーロルトが持っている参考書と同じものだった。
手に取って捲ると、書き込みがしてある。使徒の使命をやり切り、そのときに記憶が戻っていたらユダは大学に復学するつもりでいたので、残していたのだろう。
机のひきだしを漁ると、小箱の中に大学の学生証もあった。それにはちゃんと、「ハーロルト・クアラデム」の名前が書いてある。
一方。パスワードを考えているヤコブとシモンは、まだ探っていた。
「ボクたちの誕生月でもないし、ペトロが仲間になった日でもない。ユダは何をパスワードにしたんだろう……」
「事務所立ち上げたの、いつだっけ」
「えっと……。確か、一月十三日だったかな」
ヤコブは「0113」を入力した。すると、なんとかロック解除に成功した。
「ハーロルト。解除できたぞ」
ハーロルトはスマホを受け取り、真っ先に実家の連絡先を探した。しかし、何度スクロールを往復しても知らない名前しかない。
「実家の連絡先がない。知り合いの連絡先も……」
自分の持ち物だと渡されたのに並ぶ名前は初見ばかりで、ハーロルトは肩を落とす。
「もしかしたら。前のスマホは壊れて、買い替えたのかもな」
「データが復元できないくらい、壊れたってことですか? 一体、僕に何があったんだ……。みなさんは、僕が記憶喪失になった理由を知らないんですか?」
尋ねられは二人は、顔を合わせる。記憶が戻ったばかりの彼に、教えるべきか。
「お前が記憶喪失になったの、ある事件のせいかもしれないんだ」
「事件?」
「あとで調べてみて。『サンクトペテルブルク中央駅』『事件』で検索すると、出てくると思うから」
ヒントだけ教え、あとはハーロルト自身に調べるかは任せることにした。
夕飯の時間になったら呼びに来ると言い残して、ヤコブとシモンは退室した。一人になったハーロルトは、覚えていた実家の電話番号に掛けた。
数回のコールのあと、女性が電話に出た。
「もしもし。クアラデムです」
「母さん?」
たった一言声を発しただけで、電話口で息を呑むような息遣いが聞こえた。
「……ハーロルト?」
「そうだよ」
二年近く行方がわからなかった愛する息子からの電話に、涙ぐむ母親が鼻を啜るのが聞こえた。
「今までどこに……。ずっと探していたのよ。どれだけ心配したか……!」
「心配掛けてごめん。いろいろあって、連絡できなかったんだ」
「身体は大丈夫? 怪我は? ちゃんと歩けているの?」
涙声の母親は、憂患と希望が交互に訪れた日々を思い返し、音沙汰なしだったことよりも、愛息が丈夫な身体でいるかどうかの方が心配だった。
「大丈夫。健康だよ……。父さんは?」
「今は仕事中よ。お父さんも、仕事が手に付かなくなるほど心配してたのよ」
「そうだよね。父さんにも、ちゃんと謝らなきゃいけないね」
「またあとで、電話をしてあげて」
「そうするよ」
「早くあなたの顔を見たいわ、ハーロルト。一度、こっちへ帰っていらっしゃい」
「うん。そうだね」




