22話 闇の芽吹きと、堅氷
※12/31 エピソードタイトル変更しました
天国にも地獄にも行けない者が彷徨う、物質界とあの世の境にある世界、シェオル界。
頭上は、かつていた世界を羨望することも許さない分厚い鈍色の空が塞ぎ、希望を射し込む光は僅かもなく、枯渇した大地には雑草の一つも生えていない。
この世界には、異様なまでに際立って存在しているものがある。一つは、丘の上に横たわるように立っている黒く巨大な十字架。そしてもう一つは、棺をランダムに積み上げたような、黒く角ばった「城」と呼ばれている無機質な建造物だ。
その城の側で、手で土を掘っている者がいた。破れた箇所を縫い合わせた、ボロボロの黒いロングコートの軍服を着用し、黒髪で編んだ細い三つ編み二つを肩から垂らした、青白い肌の色の男だ。
「おい、何やってんだよ」
そこに来たのが、似たような風貌で言葉遣いがだいぶ悪い、モヒカン頭の男だ。
「あ? 土弄りか? 餓鬼や老い耄れじゃねーんだから止めろよ、糞が!」
「老い耄れに間違いは無いと思うが、土弄りくらい良いだろう」
ヤンキー口調は聞き慣れている三つ編み男は、喧嘩腰になることもなく言い返した。
老いていることを肯定したが、その肌に皺やシミは一つもなく、背中が曲がっていることもない。人間の年齢で言えば、三つ編み男もモヒカン男も二十代だ。
「今更になって、此処で何か育てようなんざ考えてんじゃねーだろーな? 其れこそ無駄じゃねーか、糞が!」
「俺も、今更そんな愚かな事は考えん。だが此れは、やらねばならないのだ」
男の掌には、銀杏ほどの大きさの楕円のものが乗っていた。
「あ? 何だ其れ」
「種だ」
「種? 種っつったら、植物のやつだろ」
「そうだ。此れが育つと、大きな木になるんだ」
「木ぃ?」
くだらねぇと言いたげなモヒカン男は短い眉を片方上げ、無駄だ糞だと言って種を奪い、踏み潰しそうだ。
「此れは、俺が生きていた頃からの宝物だ。今日から此れを育てる」
「糞暇過ぎて、とうとう園芸やるってか。阿保か! 人間の真似事なんざ、馬鹿じゃねーの!? 俺様が踏み潰す!」
モヒカン男が三つ編み男の手ごと踏み付けようとすると、三つ編み男は冷静に「止めろ」と制止する。
「俺が此の種をどれだけ大切にして来たか、知らないだろう。それに、馬鹿らしい事では無い。此れは、馬鹿な野郎も、阿呆な野郎も、愚劣な野郎も、普通の野郎も、全員が喜ぶ物さ」
「俺様に関係が無いなら、興味はねぇ!」
「興味が無いなら、踏み潰す理由も無いだろう」
三つ編み男は、自分の手で掘った穴に種を埋め、土を被せた。
「大切って事は、其れだけ価値が有るのか」
「それは、種が育ってから分かる」
「あ? 育つまで待てるか。今教えろ!」
「短気を抑えて待つと良い。大きくなるのに、そう長い年月は掛からない」
種を埋め、そう言った瞬間、水をあげてもいなければ太陽すらないのに、土の中からひょこっと芽が出て、あっという間に双葉となった。植物の育ち方の知識も一応あるモヒカン男は、埋めただけで芽を出した種に一驚した。
三つ編み男は暗紅色の双眸を細め、宝物から芽生えたその黄緑色の葉を、願いを込めるようにそっと触れる。
「ああ……。大きくなるのが楽しみだ」
この日、ヨハネはシモンの正式契約の手続きと広告の打ち合わせに付き添い、事務所にはユダ一人だった。ヤコブも、アルバイトに行っていて留守だ。
デリバリーは休みにしたペトロは、部屋のソファーで寝転んでいた。しかし、昼寝をする気にもなれず、白く高い天井を見つめながら考えごとをしていた。
(ユダがくれる言葉に、どう応えていいのかわからない……。「素敵」とか「魅力的」とか言われても、不思議と嫌だと思わないんだよな)
「『かわいい』は恥ずかしいけど……」
(オレのこと考えていろいろ連れて行ってくれたのも、ちょっと嬉しかった。初めての撮影で緊張してた時も、オレを信じてくれたから安心できた。初めて深層潜入して悪魔を祓った時も、介抱してくれた。あの時はとても優しい声で、まるで、温かい太陽に包まれてるみたいだった。あの時だけじゃない。ユダはいつも優しくて、微笑んでくれる。それは、オレのためだけじゃないのはわかってる。だけど……)
ペトロは胸に手を置いた。
(ここが、時々キュッてなる。マッチの火が胸の中にあるみたいになって、一緒にいると落ち着かなくなる)
───もしも、きみのことが好きかもしれないって言ったら、どうする?
(あれ以来、何も言ってこないけど、やっぱり冗談だったのか? でも、「大事なことは冗談なんかにしない」って言ってた。オレのことが、とても意味のある存在とも言ってた。それって、どういう意味だ? 仲間ってこと……とは、何か違いそうだよな。もしかして、あの告白まがいと……)
「…………」
惑う心が、ペトロの願望を覆う氷を溶かしそうになった。日の光を避けるようにペトロは仰向けから態勢を変え、背凭れの方に顔を向けた。
(それでもわからない。特別に見てるのかもしれないけど、オレはその気持ちに応えられない。ユダは優しくて、側にいると安心できる。だから、忘れそうになる。自分にあったことを。家族のことを)
「ダメなんだ……」
本心に抗い、誓いを翻意することを拒んだ。ペトロは、願望のかたちが顕になるのを恐れ、自らまた氷を覆わせる。
「……!」
その時。悪魔出現の気配を感知し、バルコニーに出た。
(いつもと違う。これは……)
「ペトロくん!」
呼ばれて見下ろすと、いつもの悪魔の気配と違うと感じるユダも外に出ていた。
「行こう!」
「あ……。うん!」
二人は旧集合住宅の屋上に跳躍で飛び移り、薄曇りの空の下を感知する方角へと急いで向かった。




