33話 マタイ、動く
シェオル界。マタイは、広間にトマスのみを呼び出していた。
窓からは、立派な樹木となった植物が見え、青々とした葉を茂らせているのが見える。
「奴のトラウマが無かったと言っていたな。トマス」
「うん。ちゃんと棺の中に閉じ込めたのに、あの使徒からトラウマを引き出せなかったんだ。もしかして、おれとあの使徒の相性、物凄く悪かったのかな」
「否。相性は関係無い。棺の中では必ず相互干渉状態となり、奴等の記憶からトラウマを引き摺り出して再現できる筈だ」
(それなのに、何故あの使徒からトラウマを引き摺り出せなかった? 俺が接触した時、奴が探していた『蝶』なのは確信した。だが、蝶であって蝶でないという違和感が残った……。其れが理由か? 奴は、本物の『蝶』では無いのか?)
残る不可解さに眉間に皺を寄せ、腕を組むマタイ。他に手掛かりはないかと訊く。
「棺の中では何が起きていた」
「特に何も。霧が物凄くて、Tの形をしたモニュメントが幾つも出て来て、それに人間が映ってたくらいだよ」
「T字のモニュメント……。其の時、其奴はどうした」
「どうもしないよ。戸惑ってたくらい」
(トラウマが抽象的な物体で現れる事は無いから、確かに其れはトラウマでは無い。だとすれば。モニュメントは、奴の記憶の何かしらを表した物か?)
「あと。一寸動揺してたかな」
「何に動揺していた」
「えっとね。モニュメントに映った人間の『忘れるな』って言葉に、反応してた」
(モニュメントではなく、映っていた人間達の方か? だとしたら……)
マタイはトマスからの情報をヒントに、トラウマが再現されなかった謎について思考する。
(あれもトラウマに似たような事だと思うが、其れは再現されなかった。刺激すれば奴にも呼び起こされる筈だが、何故それが再現されなかったんだ……)
「ねぇ、マタイ。また、おれが行かないと駄目かなぁ。一度やって出来無かったのに、もう一度やってちゃんと出来る自信無いよぉ。て言うか、無理だよぉ〜」
上手くいかなかったトマスは、勇気を出して戦いに出たのにフィリポたちと同じ結果に終わり、すっかり自信をなくしている。
(再びトマスの棺に囚えても、恐らく結果は同じ。他の奴を行かせても意味はない……)
使徒との相性がよければ、より精度の高いトラウマの再現が可能ではあるが、相性の善し悪しに再現の可不可は左右されない。
だが、再現できないとなると話は別だ。一人が再現に失敗したということは、他の死徒もトラウマを引き摺り出せない可能性がある。
失敗を想定して送っても、想定通り失敗してまた敗走なんてことになれば、同じことの繰り返しだ。そんなバカの考えそうなことは、マタイはしない。
少し考えたマタイは決断する。
「なら。俺が行く」
「行ってくれるの!?」
自分が行かなくてすんで、喜びを浮べるトマスだが。
「元々、俺の標的だからな。だがトマス。お前も来い」
「え? おれも!? 嫌だよ! もう、おれには出来ないよぉ!」
「お前の担当は他の使徒だ。俺が用事を済ませる間、奴等の暇潰しに付き合ってやれ。お前なら、其のくらい出来るだろう」
「……分かったよぉ」
しょげるトマスは嫌そうな顔をするが、統括の命令なら断れない。仕方なく、歩き出したマタイの後ろに付いて行く。
(俺なら、奴にある遺伝の記憶を呼び起こせる筈だ。そうすれば、奴が本物の『蝶』でないかどうかも確かめられる。溢れる思いで血祭りにしないようにしなければな)
「さあ。御対面と行こうか」
静かに意気込むマタイは、三度目の対面が有意義な時間となることを予感して、喜びを口元に浮かべた。
翌日。ペトロはユダを、気分転換に外へ連れ出した。
映画を観た二人は、コーヒーをテイクアウトして近くの公園の芝生に座ってまったりしていた。左右をビルに挟まれた、街中の細やかなオアシスだ。
「他に何かしたいことないのか? 半休取れたんだし、夜まで付き合うよ?」
「映画観ただけで十分だよ。爽快なラストで、スッキリした気分だし」
「そうか?」
「連れて来てくれてありがとう。ペトロ」
お礼を言ってユダは微笑んだ。まだうなされてはいるが、ヨハネたちからの励ましもあったおかげで精神的にも少しずつ落ち着いてきているようだ。しかし、こればかりは時間をかけて癒やしていくしかないと、ペトロも長丁場を覚悟していた。
「記憶に支障が出てるんだから、全然無理しなくていいからな。オレはずっと、ユダの側にいるから」
だから、いつでも遠慮なく何も隠さずに頼ってほしいと、一途な思いを念を込めて押すように言った。
「ペトロが辛かった時は、こういう気持ちだったんだね……。私もあの時、ペトロに何かしてあげたくて側にいたけど、支えになれているのか少し不安だった。だけど、わかったよ。大切な人が側にいてくれることの、ありがたみが。だから、ペトロが思ってるよりも、私は支えられてるよ」
「……なら、よかった」
道を一本出れば、多くの車と人が行き交う大通りが側の公園は日当たりがよく、犬の散歩をしたり、寝転がって日向ぼっこをしている人もいる。
騒音が少し遠く聞こえるオアシスで、束の間の休息に浸りながら、ユダは今の心情を話し始めた。




