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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第5章 Verschwinden─裏表─

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28話 あなたのために



 その後。アンデレは仕事のため店舗へ出勤し、ヨハネとヤコブは打ち合わせに行った。

 ヨハネが戻って来るまで事務所は無人となるので、ヨセフは午後出勤にしてもらった。


 ユダとペトロは部屋にいた。

 ユダは昨夜、うなされていた。それもあって心配だったペトロは、デリバリーのアルバイトは休むことにした。

 ユダは、午後の日差しが射し込む窓際のテーブルで、カモミールティーと本を傍らに顔を伏せて転寝をしている。

 アンデレに精神治癒をしてもらって一時は気持ちを持ち直したかに見えたが、結局、ユダの中では何も解決していない。

 ペトロもいろいろと気遣っているが、気丈に「大丈夫だよ」と返される。耐え忍ぶ気持ちを誤魔化した言葉を。


(オレがやられた時も、あんな感じだったのかな……)


 ソファーに座りながら様子を覗っていると、転寝をしていたユダが目を覚ました。ペトロは立ち上がり、気分転換に誘おうとする。


「なぁ、ユダ。せっかくヨハネから休みもらったんだし、どっか行こうよ。どこがいい? ショッピングか、それか、映画観に行く? 今、何やってるのかな……」


 ユダを元気付けたいペトロは、少しでも気が紛れる作品はないかとスマホで上映中の映画を調べた。

 起きたユダは、メガネを外した目でペトロをぼーっと見つめていた。スマホを見ていたペトロは、その視線に気付いた。


「何? 観たいやつある?」

「え……っと……」


 ペトロを見つめるユダの目は、僅かに戸惑いを浮かべていた。


「……ユダ?」


「……あ」もう一度ペトロの声を聞くと、意識がはっきりしたような顔をになった。


「大丈夫か? もう一度アンデレに治癒してもらう? て言っても。仕事行ったから、帰って来てからだけど」

「ううん。大丈夫」


 また気丈にしてみせたユダは、おもむろにペトロの右手を取り、額をあてた。


「ユダ?」

「……」

(せっかく治癒してもらったのに、心が昨日の状態に戻ってきてる……)


 お互いの名前が刻まれた腕と腕が触れると、コードが繋がるように心の状態がよくわかった。

 それなのに。気持ちを和らげるために何かしたいのに、ペトロは何をしてあげたらいいのかわからない。


「ユダ。オレにできることがあったら言って。してほしいことがあるならオレ、無茶ぶりでも何でもするよ」

「じゃあ、側にいて」


 顔を伏せたまま、呟くようにユダは言う。


「それだけでいいのか?」

「うん」


 けれどペトロは、そんなことは望んでいない。


「嫌だ」

「え?」


 ユダと目線を合わせるために、ペトロは膝立ちになる。


「ただ辛そうにしてるユダの側にいるだけなんて、嫌だ。それじゃ、役に立ってる気がしない。何かないのかよ。オレにできること。オレにしかできないこと」

「ペトロにしか、できないこと?」

「ユダのために、何かしたいんだ」


 ペトロはユダの手を握り、懇願する。頼ってほしいという心の底からの思いを込めて、眼差しを向けた。

 その気持ちを汲み取ってくれたのか、ユダはペトロに言う。


「……じゃあ……。慰めて」

「どうやって慰めてほしい?」

「無茶ぶりでもいいんだよね」


 そう言って、ペトロの頬に触れた。

 視線を交わしたペトロも、その言葉の意味を汲んだ。


「…………」


 少しためらうと、ユダのズボンのボタンに手を伸ばし、外した。そして、ファスナーをゆっくりと下げる。

 しかしユダは、途中でペトロの手を止めた。


「ごめん。冗談だよ」

「遠慮しなくていいよ。何でもする」

「違うんだ。本当は、そんなことをしてほしいんじゃないんだ」


 ユダは、今の自分はおかしいと自覚している。ただ、ヤケになっているだけだと。

 ペトロに、セフレ相手に言うようなことを口走ったことを後悔し、頭を抱える。


「そんなことをしてもらっても、この気持ちが晴れないのはわかってるんだ。でも、この複雑に絡まった気持ちがどうしたら解けるのか、わからなくて……」

(鬱屈した気持ちで懊悩し続けていても、何も変わらないのはわかってる。この絡まった気持ちが解けて、苦しみから解放される方法は、たぶん一つしかない。私の手掛りに繋がることが重なるということは、そういうことなんだろうか)

「ユダ」


 また懊悩するユダの手を、ペトロは優しく強く握る。


「……ねぇ、ペトロ。私は、自分の過去をちゃんと知るべきなのかな」

(私は『私』だから、何者でもいいと思っていた。けれど。どうでもいいと思っていた『本当の私』がいるのなら……)


 ユダは、この苦しみの答えを探すための一歩を踏み出す選択を、しようとしていた。

 自分を知りたいと思うのならば、ペトロもその背中を押してやりたいと思う。だが。「本当のユダ」とは一体どういう意味なのだろうと考えると、一抹の不安が過る。


「……ユダ。いったん、そのことから離れた方がいいよ」

「……無理しようとしてるかな?」

「だから。外行って、気分転換しよ。クラブでも行く? あんまり騒がしいの嫌なら、カラオケで思いっきり歌う? それか爆買い? あ、そだ。リビングルームからありったけの酒持って来て、浴びるくらい飲む?」


 ユダの気分も自分の気分も変えたくて、少しわざとらしくなってもペトロ明るく振る舞った。


「ううん。そんなことしなくていいよ」


 顔を上げたユダは、思い遣るペトロに薄っすらと微笑む。


「本当に、ペトロがいればそれでいいんだ。きみが側にいてくれたら、それだけで安心できるから」


 そう言ってペトロの身体を引き寄せ、彼の温もりで自分という存在がここにいることを確かめるように、抱き締めた。


「心配掛けてごめんね。いろいろ気遣ってくれて、ありがとう」


 表情や声から、不安の中に穏やかな雰囲気を感じた。先程よりは気持ちが落ち着いてきたようで、それを感じ取れたペトロも少し安心する。

 けれど、心は晴れない。


(確かにオレの時も、ユダに側にいてもらえるだけで安心できた。だけど、本当に側にいることだけでいいのかな……)


 ユダのために、何かできることはないのか。自分にユダの心は救えないのかと、ペトロは自分に問い掛け続けた。




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