27話 支えたい思い
「じゃあ、行って来ますー」
「気を付けて行けよ」
翌朝。学校に行くシモンを、ヤコブはリビングルームで見送った。学校まで送らなかったのは、このあとヨハネと一緒に、アウトドアメーカーの新商品広告の打ち合わせに行かなければならないからだ。
「ユダのやつ、元気なかったな。食事もあんまり喉通ってなかったし」
昨日の帰宅後から顔を見せなかったユダは、今朝ペトロと一緒に降りて来て、朝食を摂った。いつもと変わらないように見えたが、懸命に心配を掛けないように振る舞っている様子が覗えた。
「昨日、精神治癒はしたんだよな」
「うん。治癒して、顔色もよくなってた。そのはずなんですけど……」
ペトロに頼まれて精神治癒を施し、一安心したのだが、ぶり返しているのを見て、ちゃんとできていなかったのだろうかと、アンデレはちょっと落ち込んでいる。
「大丈夫。アンデレの治癒は、効いたはずだ」
「棺から出たあとって、なかなかスッキリしないもんなんだよ」
「そっか。ならいいんだけど」
ヨハネとヤコブにそう言われ、ちゃんと役に立てたようでホッとする。
「けど。トラウマが再現されなかったって……」
昨夜、ペトロから一通りの話を聞いた三人は、真剣な表情でテーブルを囲んだ。
「ペトロから聞いた話、おれよくわかんなかった」
「そんなの僕もだ」
「俺も理解できてねぇよ。爆弾テロ事件で行方不明になったやつと似てる、なんて言われても。偶然じゃないのかよ」
「そうだよ。きっと他人の空似ってやつだよ。 ほら! なんか伝説であるじゃん! ドッペンなんとかってやつ!」
「ドッペルゲンガーだろ。都市伝説の」
「そう、それっす! 絶対それだって!」
アンデレのふざけたようで至って真面目な発言を、いつもの二人なら突っ込むか笑い飛ばすが、さすがにそんな気分ではない。
「だけど。もしも他人の空似だったとしても、ユダの中じゃ、どれも適当には考えられてないんだろうな」
「でも、証拠がないよ。特に幻聴は、ただの幻聴だし。偽者とか何者だとか、真に受けることじゃないって!」
空気を読むのが苦手なアンデレも、たまにはまともな発言もする。それだけ、ユダのことを案じていた。
「アンデレの言う通りだ。だけど、アミーの幻聴は少なからず、みんなの心に影響を与えるものだったのは事実だ。そうなんだよな、ヤコブ」
「そうだな。それは否定できない」
嫉妬のマティアの棺の中だったヨハネは、アミーとの戦闘の様子を聞いていて、幻聴と幻覚の使い手ということも把握している。
「テロ事件の記事に、行方不明の人物、それにアミーの幻聴がプラスされれば、全部が繋がってると考えてしまうんだ。どれも関係ないものかもしれないけど、記憶喪失中のユダには、そう捉えられるんだ」
「確信がないのにっすか?」
「集まった情報が状況と偶然一致しただけだったとしても、自分の情報が何もないユダには十分な確証になる」
(でも。いろんなものが一気に重なり過ぎて、ユダ自身も整理ができてないんだ。記憶喪失の経験はないけど、すぐに受け入れられるわけがない)
ユダと一番付き合いが長いヨハネは、記憶喪失初期だった頃から知っている。
失くした記憶を補おうと懸命に社会に適応しようとしたり、次第に気持ちの余裕もできてドライブを楽しみ始め、そして、周囲を頼りながら前向きになっていった姿。記憶喪失をハンディキャップと捉えず、ユダは希望を持って生きていた。
それなのに突然、過去を取り戻せる切符をちらつかされた。受け取るべきものだとしても、それは本当にいい未来へ行ける切符なのだろうかと、もらうのを躊躇するのは当然だ。道端で遭遇した怪しげなチケット売りから、受け取るようなものなのだから。
記憶を取り戻してほしいという願いは、全員共通だった。だが、その願いを阻害するのが、ゴエティア・アミーの幻聴と、トラウマの不再現。誰もが信じている「ユダ」という存在が揺らいでいる事実が、一同を錯雑にさせている。
ユダのことを思うヨハネは、鬱気した表情になる。隣のアンデレはその気持ちの変化に気付き、心配して顔を覗いた。
「ヨハネさん。大丈夫っすか?」
「え?」
「自分のことみたいに、気持ちが塞いでる気がして」
(あっ……)
バンデのアンデレが横にいるのに、ユダのことばかり考えてしまっていたことに、ヨハネは少し後ろめたく感じる。
しかしアンデレは、嫉妬の陰も見せない。
「心配ですよね。好きな人が辛いと、ヨハネさんも辛いっすよね」
アンデレにはユダが想い人だと言ってあり、そのことに関してアンデレは理解をしてくれている。ヨハネの心を尊重しているのだ。
そんなアンデレのことはなんとも思っていないヨハネだが、その優しさが嬉しく感じた。
「……好きな人って言っても、もう特別な人じゃないし」
自分の気持ちを整理中のヨハネは、未練を覗かせて言った。
ユダのことは諦め、バンデになったばかりのアンデレとのことを考えなければならない。それなのに、心の隅で思うことを許されたからといって優先順位を間違えてはいけないと、線を引こうとした。
けれど、アンデレは言う。
「特別な人じゃなくても、好きな人は好きな人です。好きって気持ちは、愛と同じくらい特別な気持ちじゃないっすか。だから、好きなユダさんのことがめっちゃ心配になるのは無理ないです」
「アンデレ……」
「おれのことは気にしないで、遠慮なくユダさんのこと心配してください」
空気を読むのは苦手だし、強情なところもあって、未だに気が合うとは思っていないけれど、アンデレはたまにホッとさせてくれる言葉をくれる。木漏れ日のように、心を穏やかにさせてくれる言葉を。
自然な優しさをもらったヨハネは、フッと笑みを溢す。
「いいやつだな」
アンデレも、ニカッと笑い返した。
「僕たちがこうして不安になっても、何かが好転するわけじゃない。気持ちが不安定なユダを、僕たちが支えよう」
「そうだな。あいつが何者かなんて、二の次だ」
「ユダさんに元気になってもらうことを、考えましょう!」
「ああ」




