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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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21話 重なる未来(あした)



 二人は、ハッケシャーマルクト駅から歩いて数分の複合商業施設、ハッケシェ・へーフェへやって来た。表から見ると普通のデパートのように見えるが、通路を入ると一つの街のような空間が現れる、少し不思議な場所だ。

 施設は、連なるように建つ建物と八つの中庭で構成されており、洋服屋やチョコレートのお店、靴や時計の専門店の他、飲食店も劇場もある。敷地が広くあちこちに店舗があるので、歩いていると探検しているような気分になる。

 ユダとペトロは、食後の散歩がてらゆっくり見て回り、気になる店に入った。そこは、工房やアーティストが制作したオリジナル商品を取り扱うギフトショップで、かわいらしいぬいぐるみから革製品、お土産にできそうな小物などが数多く揃っている。

 二人は店内を回り、気になるものを手にする。ユダは、かわいらしいウサギのピンズを手に取った。


「あ。これ、ペトロくんぽい」

「オレ、ウサギっぽいの?」

「ううん。台紙に描いてある猫の方」

「そっちかよ」


 一角には腕時計やアクセサリーも揃えていて、品揃えは幅広い。


「アクセサリーもあるんだ」

「いろんなデザインがあるね。シンプルで使いやすそう」

「そういえばユダって、ピアスの穴空いてたんだな」

「今、気付いた?」

「普段は着けてないから。ちょっと意外」

「気付いたら開いてたから、出掛ける時は着けてるよ。せっかくだし」

(あ、そっか。忘れがちだけど、ユダって記憶喪失なんだっけ)


 あまりにも普通に生活をしているので忘れがちだが、ユダは現在進行形で大変な状況だということを、ペトロは思い出した。


「どれか買う? よかったらプレゼントするよ?」

「いいって。特別な日でもないし」

(それこそ、付き合ってるみたいじゃん)


 そして自分も今、現在進行形で心恥ずかしくなるような状況だと意識する。


「それに。何で、ユダからプレゼントされなきゃならないんだよ」

「そう言われると、回答に困るから……。あ。こっちのネックレスは?」

「ネックレスは、そんなに着けないなー」

「そうなの? でもそのネックレス、いつも着けてるよね」


 ユダはペトロの首元にある、アンティーク調のT字デザインのネックレスに視線をやる。


「お気に入りなの?」

「お気に入りっていうか……。昔、家族とフリーマーケットで買い物した時に、店出してたおばさんがおまけでくれたんだよ。なんか、アンティークものだとか言ってたけど」

「じゃあ、貴重なものなんじゃない?」

「さあ? ただの、アルファベットのネックレスだろ」

「だけどペトロくんにとっては、家族との思い出がある品物なんじゃない?」

「……そうだな」


 どこか切なそうな表情と声音で、ペトロはネックレスに触れた。

 様々な品物を取り揃える店には、アート作品も置かれている。写真を使っていたり、額縁に文字だけが入っているのものや、個性的なモンスターのイラストなど、種類があり過ぎて目移りしてしまいそうだ。


「せっかくだし、アート何か買ってこうよ。部屋の壁、ちょっと寂しいし」

「センスは、ペトロくんに任せるよ」

「あるのって、B5サイズくらいの風景のやつ三枚だけだよな。じゃあ……。この辺の、動物のイラストとかは?」


 ペトロは何気なく、小さめの額縁に入った猫のイラストを手に取る。


「さっき私が、猫っぽいって言ったから?」

「手前にあったから何となくだよ!」


 断じて、ユダに言われた一言が心に残ったわけではない。でも、かわいかったので一枚はそれにし、文字のアート作品も一枚選んで購入した。




 二人はまた車に乗り、今度は西の方へ四十分ほど車を走らせた。

 着いたのは、郊外の森の中にあるグルーネヴァルト塔だ。青空に映える赤いレンガ造りで、おとぎ話に出てきそうな中世の城のような印象だ。

 二人は二百段ほどある階段を登り展望台へ上がると、吹き抜ける春風と、どこまでも広がる青空と、眼下の広大な森が出迎えた。


「わあ。すごくいい眺め」

「ここ、来るの初めて?」

「うん」


 周りをグルーネヴァルトの森に囲まれる塔は、西にはハーフェル川を見下ろせ、東を向けば遥か遠くに市街地を挑める。


「夕日もきれいなんだよ。秋は森の紅葉が上から見られるし、冬には一面が真っ白なんだ」

「そんなに何度も来てるのか?」

「病院を退院して運転免許を取ってから、ドライブがてらいろんなところに行ったから」

「記憶喪失なのに、免許取れたんだな」

「うん。学習には、影響はないみたい」


 記憶喪失のことに触れてもユダはやっぱり事も無げで、こんなことは些細な出来事だと、過去にこだわりがないとでも言っているように感じる。

 そんなユダのことが気になるペトロは、もう少し記憶喪失に関して触れてみたくなった。


「いつから記憶がないの?」

「もう、一年半近くになるかな」

「自分に何があったのかも、わからないのか?」

「うん。気付いた時には、病院のベッドだったからね。私の状態に配慮して、担当医も看護師さんも詳しくは話してくれなかったし。“酷い出来事に遭遇した”ってことだけは聞いたけど」

「知りたいとは思わないのか?」

「気にはなるよ。でも、調べてない。今は、別にいいかなって」

「何で?」

「身体じゅうに包帯を巻いて入院したってことは、それなりの被害が出た事件てことだし。もしも思い出したら、自分に何が起こるかわからないから」

(そうか。その“酷い出来事”が、ユダのトラウマになるんだ……)

「それに。今すぐ知らなくてもいいと思ってる。思い出せなくても、使徒の役目はちゃんと果たせてるしね」


 ユダは、どこまでもさっぱりとしていた。それが余計に、ペトロに“おかしい”と感じさせた。「過去にこだわりがない」というか、「記憶の忘却」=「自身の喪失」だと捉えていないような思考。そんなユダが、理解できなかった。


「なんで、そんなに普通でいられるんだよ。自分の過去がわからないって、不安にならないのか? 孤独で怖かったり、寂しくないのか?」

「最初の頃は、その感情もあったけど……」

「意識を戻した地点から後ろは、真っ暗じゃないのかよ。オレだったら怖いよ。自分の影も足跡も見えないのは、怖い」


 理解できないのが、どうしてか悔しかった。記憶喪失を事も無げに話すユダが、目の前にいるようでどこにもいないような感覚と、彼の後ろにある闇が自分でも怖くなり、ペトロは表情に影を落とした。

 その顔を見たユダは、自分の言葉で気を悪くさせてしまったと反省する。


「ごめん。今すぐ知らなくてもいいとか、トラウマと戦ってるペトロくんたちへの配慮が欠けた言い方だったね……。でも。こんなことが言えるのは、みんながいるからなんだ。最初に知り合ったヨハネくんには、いろいろ助けてもらったし。ヤコブくんやシモンくんも年上の私に遠慮なく接してくれるから、いつの間にか過去がないことへの不安は薄れていたんだ。一つ思うのは。もしかしたら今の私は、記憶を失う前とは違う性格かもしれないということ」

「病院の先生に、そう言われたのか?」

「ううん。みんなが、今の私を作ってくれた気がするから」

「ヨハネたちが、今のユダを作った……」


 穏やかにそう話すユダの言葉からは、何者でもない自分と同じ時間を過ごしてくれた仲間への、心からの感謝を感じた。


「だから。万が一にも記憶が戻らなかったとしても、これからまた記憶を積み重ねて、自分を作っていけばいいんじゃないかなって、そう考えたりしてる。大事なものは、必ずしも過去ばかりにあるわけじゃないから」

(大事なものは、過去ばかりにあるわけじゃない……)


 悲観的な感情が一切ないその言葉が、身体にゆっくり染み込んでくるような感覚をペトロは覚えた。

 太陽が次第に傾いてきていて、眼下に広がる青々とした海を黄金色で照らし始めた。


「この瞬間の私も、紙が一枚ずつ重ねられるように、一秒ごとに作られてる。きみがいることで、少し色付いた無地の紙が重ねられ始めてる」

「え?」


 ユダは、隣のペトロにブラウンの瞳を向ける。


「きみは私にとって、とても意味のある存在なんだよ」

「オレ……が?」

「ペトロくんと出会ったことで、無色透明だった私の未来が描かれる気がしてる」


 穏やかな面持ちのユダに真っ直ぐ見つめられ、交わった視線が外せなくなる。

「大事なことは、絶対に冗談なんかにしない」と言って心の丈の端を覗かせた時と、少し表情が違った。「好きかもしれない」と言われた時の、熱が込められ、胸を掴まれるような眼差しに似ていた。

 ペトロ鼓動が、少しだけ早くなる。


「それって……。どういう、意味?」

「きみがこれからも私の側にいてくれたら、わかるかもね」

「側って……」

「いてくれる?」


 視線を辿って、太陽の熱に紛れてユダの熱が伝染しそうだった。一度は氷で覆って拒んだ感情と願望が溶け出して、曝されそうになる。

 それだけは阻止したいペトロは、頬をほのかに染めながらユダから顔を逸した。


「当たり前だろ。今は仲間なんだし。当分は、同室で暮らすことになるんだから」

「うん。そうだね。今は同棲中だもんね」


 ペトロにかわされてもユダは笑顔で、余裕で冗談も言える。その大人の余裕が、やっぱり憎たらしい。


「同棲じゃなくて同室だから! またそんなこと言って。やっぱり、オレのことからかってるだろ」

「だから、からかってないって。そろそろ降りようか。買い物して帰らなきゃ」


 腕時計を見て、ユダは階段を降り始めた。買い出しは本当だったようだ。ペトロは何だか、からかわれたことを誤魔化されたような気がしてならない。


「ペトロくん」

「なに?」

「秋になったら、また二人で来ようね」


 振り向いたユダは、微笑みながらデートの約束を申し込んだ。


「……その時は、嘘つかないでちゃんと誘えよ?」


 デートまがいもそんなに悪くはなかったペトロは、仮予約を受けてやった。




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