22話 棺の中。覗く影身
ユダの周りに現れたT字のモニュメントは、一ずつ増え続ける。映る男性たちは年齢も体格も違い、増えるたびに服装が時代を遡っていく。
(一体、これはなんなんだ。映っているのは誰なんだ)
その人物たちに表情はなく、目鼻もはっきりとは見えない。
ただ。全員が真っ直ぐにユダを見ている。何かを伝えるように。訴えるように。ユダは、なんとなくそんな感じがしていた。
(私に、関係している人たちなのか……?)
一方。トマスはモニュメントの陰に膝を抱えて隠れながら、ユダの様子を見ていた。霧のおかげで、うまく身を潜めることに成功している。
「真っ暗だなぁ〜。全然何も起きないし。戦わなくて良かったけど、一寸退屈かも……」
(マタイに、甚振ってやれって言われたけど、どうやって甚振ったら良いんだろう……)
「何も起きないなら、此の儘放置して帰っちゃおうかな……。でも、其れは其れで、皆に文句言われちゃうよなぁ〜。でも、何かが起きる気配が無いんだよなぁ。どーしよう〜……」
帰りたくても帰れないし、甚振りたくてもあまり戦いたくないトマスは、膝を抱えたまま左右にゴロンゴロンと起き上がり小法師のように揺れる。
モニュメントに映る人物たちの表情をじっと見つめながら揺れていると、ピタッと止まる。
「……あ。そぉだ」
退屈を紛らわせる方法を思い付いたトマスは、害のなさそうなヘタレの顔から、ニタリと笑みを浮かべ悪徒の面付きになった。
ユダを囲むように現れるモニュメントは、三十を超えた。何も起こらないまま増えていくそれにどんな意図があるのかわからず、ユダはただ困惑し続ける。
すると。それまで一切動かなかった男性たちの口元が、僅かに動き始める。
「……$……ηa」
「……?」
(何か聞こえる?)
暗い隧道を抜ける風のようなそれに耳を澄ますと、それは声だった。
「……αす……ε……ナ」
「ワ……rεる……η」
微かな声は、あちこちから聞こえて来る。ユダを囲むモニュメントの中の人物たちが、次々と、そして口々に、同じ言葉を発していた。
「ワ$uれ……な……」
「……ス……るナ」
「わスレ……な」
(忘れるな……?)
ユダは眉根を寄せ、怪訝な表情を浮かべる。
「『忘れるな』って此奴等言ってるぞ。お前は何を忘れたんだ?」
身を隠していたトマスが、モニュメントの陰から姿を現した。人格が変わり悪徒面で、声も言葉遣いも別人になっている。
「何を……? 私は、何か忘れてるの?」
「忘れてるから言ってんだよ。口を揃えてるって事は、大事な事なんじゃないのか?」
しかし、その口調はまるで、親切そうな友人だ。
「大事な、こと……?」
「分からないのか? 白状な人間だなぁ。早く思い出さないと、此奴等怒っちゃうぜ?」
囁くように聞こえる声は、耳を澄まさなければはっきりと聞き取れない。けれど、ユダの意識は彼らの言葉の輪郭を捉え、一人一人の声が重なるように聞こえ始める。
「ワスレルな……」
「わすレるナ……」
「ワスれるな……」
低音の声。高めの声。嗄れ声。錆声。モニュメントが増えるごとに、「忘れるな」という声が重なる。
360°から聞こえるそれは、まるで厳格に責任の追及をされているようで、ユダは追い詰められる感覚になってくる。
「忘れる……」
(何を……。何のことを言ってるんだ……)
「忘れルナ……」
「わスレるな……」
「忘レるナ……」
忘れた何かを忘却していることを赦さないと言わんとばかりに、集中的に言葉が浴びせられる。もちろん、ユダには心当たりはない。だが、掛けられるプレッシャーにストレスを感じ、呼吸が浅く早くなる。
(忘れるなって。何を……!?)
鼓膜を通る声は、ユダの中にある何かを揺り動かす。固く閉じられた扉の鍵を壊してこじ開け、目覚めさせようとする。
「忘れるな」の意味もわからず、責任追及をされ続けるユダ。逃げようにも、四方にはT字のモニュメントが入り組んで立っている。
目の前に、最後のモニュメントが現れた。それに、血塗れの青年が浮かび上がる。
「忘れるな」
「……っ!」
ユダは反射的に〈悔責〉を出し、そのモニュメントを粉砕した。モニュメントは破片となり、青年の姿もバラバラになった。
「はあっ……はあっ……はあ……」
「酷いなぁ」
背後に再びトマスが現れた。「っ!」声に驚いたユダは振り向きざまに大鎌を振るうが、モニュメントを破壊しただけだった。
「皆、お前の為に言ってたんだぞ。其れを拒絶するなんて、酷い奴だなぁ」
また背後から声がし大鎌を振るうが、またも空振り、トマスの姿を捉えられない。
(なぜだ。私はなんで、こんなにも動揺しているんだ)
精神が揺さぶられ、これまでにないほど集中力が欠如している。
瞬間移動したトマスは、また別のモニュメントに寄り掛かっている。
「お前が何か大事な事を忘れてるから、此奴等は教えてやってるのに」
「その大事なことって、なんなんだ!」
「知らないよ。何でおれが、お前の事を知ってなきゃならないんだ。お前の事を知っているのは、お前自身だろ」
「わからないから訊いてるんだよ!」
「惚けてるのか?」
またトマスは消え、今度は反対側のモニュメントの上に腰掛けた。
「大事な事を忘れるくらい惚けるなんて、其れは大変だな。其れじゃあ、もっと刺激してやらないとだなぁ!」
親切そうな友人面は、やはり仮初だった。モニュメントに映っている人物たちが動き出し、腕を伸ばしてきた。
「おれが手助けしてやるよ!」
映っている姿は無傷なのに、二次元と三次元の境界線を飛び越え立体となって出て来た腕は、傷付き血を流していた。
「……っ!?」
動き出した者たちは、今にもモニュメントの中から出て来そうで、血に染まった何十本の腕は、ユダを捕まえようとしていた。
ユダは怖じ気立ち、自分を襲う全ての負の感情を振り払うように〈悔責〉を振るう。
「断切る! 来たれ黎明、祝禱の截断!」
力を込め青白い光を帯びた刃で、囲んでいた全てのモニュメントを粉砕した。映っていた人物たちはバラバラとなり、血塗れの腕も消え、周囲は瓦礫のみとなった。
「そこかっ!」
深い霧の中にいたトマスの気配を感知し、大鎌を振りかぶった。しかしトマスは、自身の身体から作り出したフリスビーほどの大きさの刃の円盤、〈氷野疼獄〉で受け止める。
ユダは瞬時に反転して今度は足を狙うが、影の中に逃げられる。
「痴愚の刃がおれに当たるか!」
ユダの背後に現れたトマスから、三連の円盤がそれぞれ違う軌道で投げられる。
敵意を感知したユダは振り向くと同時に、正面・右側・左後方から襲って来た三つを連続で弾き落とし、トマスに接近する。
「はあっ!」
連撃を食らわせ、トマスは刃の円盤で大鎌を簡単に受け止める。刃同士がぶつかる音が、何もない空間に響く。
(こんなところに長居はできない!)
「解放してもらう!」
「良いのか? 此処に居れば、忘れてる事を思い出せるかも知れないのになぁ」
武器の大きさの差はあれど、互角に見える。トマスには、気持ちのゆとりさえ覗えた。
「忘れたままでも、不自由はない!」
「お前は其れで良いかも知れないけど、何かを忘れてる事を赦さない奴等が居るんじゃないの? 先刻の人達とかさぁ!」
「知らない人たちだし、心当たりのないことを言われ続けて、非常に不快だよ!」
「本当に自分勝手で酷い奴だなぁ。あれだけ言ってるんだから、お前の人生にとって重要な事なんじゃないの?」
(私の人生にとって……)
そう言われ、自分の過去を知るきっかけになるんじゃないかと、棺の中に留まる選択を一瞬しそうになる。
「だからさ。もう一寸此処に居なよ!」
ユダの一瞬の気の緩みを見逃さなかったトマスは、二枚の刃の円盤をユダの両側から放つ。ユダは後退しながら弾く。「っ!」だが避けたつもりが、一つだけ左腕を掠めた。
「それは断る!」
(一瞬でもバカなことを考えるなんて。これが、棺の恐ろしさか!)
攻撃を受けたことで正常な思考を取り戻し、ペトロの顔が浮かんだ。外でトマスのゴエティアと戦いながら、自分の帰りを待っているんだと思うと、こんなところで油を売っている暇はない。
「惚けたお前には、丁度良い場所だと思うけどなぁ!」
八枚の刃の円盤が、同時に上方と下方から迫る。普通なら、全てを一人で一気に捌くのは無理だ。
しかしユダは、下方から迫る四つの鈍い光を大鎌の刃で止め、上方からの四つの刃は屈んで髪を掠めて回避した。
だが回避した四つの刃は、トマスに操られUターンしてユダの後方からスピードを加速して再び狙う。それを感知するユダは止めた刃を一度弾き飛ばし、通常の能力を超えた反射神経で振り返るとともに四つの刃の円盤は破壊した。
弾き飛ばした残りの刃の円盤も半分破壊し、半分はお返しにトマスに返してやると、間髪を入れず攻撃を繰り出す。
「断切る! 来たれ黎明、祝禱の截断!」
「ぐっ!」トマスは自身の武器は受け止めるも、斬撃を受け不本意にも負傷する。
(これ以上ここにいたらダメだ。早く脱出を……!)
トマスが負傷で怯んだ隙きに、ユダは内側からの棺の破壊を試み始めた。




