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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第5章 Verschwinden─裏表─

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20話 不知覚



 トマスの棺に囚われた現実世界の姿のままユダは、目蓋を開いた。


「ここは……」


 真っ暗だった。深閑の夜陰などではない。辺りには何もなく、深い霧が立ち込めた暗闇の空間。


(ここが、棺の中……?)

「真っ暗で何も見えない」


 真っ暗な上に霧が視界を遮り、無闇に歩き回れない。どこに危険が落ちているかもわからないので、ユダは動かず警戒して辺りを見回す。


(誰もいないのか。さっきの死徒も……)


 さっきからずっと、人の気配もなく、微かな物音もしない。一つの光も、風も、何も現れる様子がなかった。

 と思っていたその時。「……!?」視界の端に何かを捉えたユダは、バッ! と振り向いた。


「……なんだ。これは……」


 何もなかった場所にいつの間にか立っていたのは、黒っぽいT字型のモニュメントのようなものだった。身長が180センチ以上あるユダより少し低い高さで、材質はわからないが艶がある。

 その艶のある表面に、一人の男性が映し出された。それはユダの姿ではなく、見知らぬ人物だ。四十代くらいの年齢で、シャツとジャケット、スラックスと革靴を着用した服装は、一昔前のようなレトロさがある。


「!?」


 一体誰なのかと戸惑っていると、右にも左にも同じT字のモニュメントが現れ、それらにも見知らぬ男性が映し出された。一人目と同年代と、それより少し若めの男性だ。

 服装を見ると、カジュアルな服装にハンチング帽を被っていたり、サスペンダーを付けていたり、だんだんと時代を遡っている。どうやら、それぞれ生存年代が違うようだ。


「なんなんだ。これは……」


 自分の姿ではなく、過去の人物たちを映すモニュメントの思惑がわからず、ユダはただ困惑する。




 トマスは棺の中へ消え、残された五人はゴエティア・シャックスと相対する。

 しかしペトロは、ユダを囚えた棺からなかなか心を離すことができない。


「ペトロ。大丈夫か」

「……大丈夫」


 ヨハネに声を掛けられ、ペトロは返した。上辺だけの平静なんて気休めでしかないが、偽物でも蓋をしておかなければ、目の前の敵を相手にはしていられない。


「そういや。お前が仕えてる死徒の名前は?」

「主の名は、『惨苦のトマストマス・デア・ライデン』。御覧になられた通り、主は気が弱いお方だ。あまり苛めないで頂きたい」

「おれたちはイジメてなんかいないぞ!」


 むしろイジメられてる! と抗議の声を上げるアンデレ。


「完全に勘違いだ。それに僕たちは、僕たちのやるべきことをやろうとしているだけだ」

「左様か。弱き者を歪んだ正義で裁く事が、其方(そなた)等の役目と申すか」

「ボクたちの正義が歪んでる?」

「勘違いしまくりだな。一体どっちの正義が歪んでるのか、考え直してみた方がいいぜ?」

「ならば。明白にさせようではないか」


 シャックスは、羽が付いた両腕をバサッと広げた。同時に羽根を撒き散らされ、五羽の鳩が現れてペトロたちの前に一羽ずつ降り立った。


「鳩?」

「悪魔が、平和の象徴を使い魔にしてんのかよ」

「今はブロート持ってないんだよ。ごめんなー」


 アンデレはしゃがんで鳩に謝っている。


「アンデレ。真面目にやれよ」

「ごめんごめん。いつも習慣で……」


 ペトロに注意されたアンデレは、立ち上がろうとした。しかし、ふらついて倒れてしまう。


「あれ?」

「おい。しっかりしろよ。戦いはまだ始まってもいないぞ」

「わかってる。わかってるんだけど……。え。おえ?」


 アンデレは何度も立ち上がろうとするが、一生懸命立とうとしてもできない幼児のように、身体が言うことを利かない。


「立てないんだけど。なんで!?」

「はあ? お前ふざけて……。ん?」


 すると、身体に異変が起きたヤコブは片目を覆い、平衡感覚を失ったようにペトロまで倒れ込んだ。


「ペトロ!?」

「……ヨハネ?」

「どうした!」

「急に視界が真っ暗になって。何も見えない」


 突然視覚を失ったペトロは、一点を見つめ動揺している。


「何も?」

「ヤコブ!?」


 ヨハネが振り向くと、ヤコブまで倒れ込んでいる。その異変は、次々と伝播する。


「一体何が……。っ!?」


 そしてヨハネも、急に仲間たちの声が遠くなったかと思うと、戸惑う間もなく何も聞こえなくなる。


「……聞こえない」

「ヨハネ?」

「ヨハネさん、どうかしたんですか!?」

「言葉も音も、何も聞こえない」

「!?」


 聴覚を失ったのはヨハネだけでなく、シモンもだった。だが、こんな突然に集団異変が起こる原因は一つしかない。


(やつの能力か!)

「お前、シャックスとか言ったな。オレたちに何をした!」

其方(そなた)等の知覚である視覚、聴覚、そして運動感覚を奪わせて貰った」


 ペトロとヤコブは視覚を、ヨハネとシモンは聴覚を、そしてアンデレは運動感覚を失ったのだ。


「姑息なマネしやがって……」

「アンデレ、動けないのか!?」


 視覚を失ったペトロは、振り向かずにアンデレに尋ねた。アンデレは倒れたままで、その場から動けなかった。


「ほとんどムリっぽい!」

「ハーツヴンデも出せないか!?」

(そっか。おれの治癒能力!)

「たぶん出せる!」


 ペトロの言葉の意図を汲み取り、先程活躍しそびれたアンデレはハーツヴンデを具現化する。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン───〈護済(ヘルフェン)〉!」


 しかし、身体に力が入らなくて杖の柄を握ることができない。


(手に力が入らない! でも、持てなくても触れれば……!)

「心を癒せ 心魂は不可侵、ゲヒトエスディアグート・黒雲は沈降に非ず。(ルーイヒ・)祝福を受けよ(ジーゲン)!」


 アンデレは已む無く〈護済(ヘルフェン)〉を地面に置いた状態で触れ、精神治癒を行った。


「どうだ、みんな!」

「今、やってくれたんだよな?」

「やったんだけど……」


 しかし、ペトロたちの表情に変化はない。


(効いてない!?)

「もっかいやってみる! ───心を癒せ 心魂は不可侵、ゲヒトエスディアグート・黒雲は沈降に非ず。(ルーイヒ・)大いなる祝福を受けよ(ジーゲングロース)!」


 アンデレは、力を増大させて再度試みるが。


「……ダメだ」


 治癒は、全く意味をなしていなかった。




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