18話 真夜中の氷水
二人の帰りを待っていたヨハネたちと夕食を食べたあと、今日は食後のデザートも出されるというのにペトロは立ち上がった。
「ペトロ。マフィン食べないの?」
「あー……。うん。いらない」
シモンが訊くと少し視線を泳がせて言い、ヤコブがアルバイト帰りに買って来たマフィンを食べずに、自室へと戻ってしまった。
「……今日のペトロ、何か静かだったね」
「静かなのはいつもだろ」
「でも今日は、話を聞いてなかったりして、ちょっと様子が変だったよ」
「初めての撮影で緊張して、疲れたんじゃないか?」
ヨハネは、淹れてしまったペトロのぶんのコーヒーカップを、自分の前に置いた。マフィンも五個あるので、一つ余ってしまう。
「ユダ。あいつ今日、ずっとあんな感じだったのか?」
「朝から緊張状態だったからね。帰りの車の中でも、疲れたって言ってたし」
「でもさ。俺の気のせいかもしれないけど。お前のこと、ちょっと避けてなかったか?」
食事中、今日の撮影の様子を三人に話していたユダはペトロにも話を振ったのだが、相槌は打つものの、ユダと顔を合わせてもすぐに顔を逸していた。
「お前、何かした?」
「何もしてないよ。きっと、無事に撮影が終わって気が抜けたんだよ」
ヤコブはちょっと怪しむが、ユダはいつもの爽やかスマイルで否定した。
「疲れてたなら、甘いもの食べればよかったのにね」
「いらないなら、俺らで食っちまおうぜ。みんなで、ベリーマフィンを賭けたじゃんけんやるぞ!」
ヤコブとシモンは何を出すかをやる前から言って、心理戦を始めた。ユダもその心理戦に乗るが、ヨハネだけはヤコブの勘と同じように、二人のあいだで何かあったんじゃないかと心の中がもやもやしていた。
ユダが、ペトロを気に掛ける視線を送っていたことを、見逃していなかったのだ。
疲れたペトロはシャワーを浴び、今日は早めに寝てしまうことにした。
キッチンでコップ一杯のミネラルウォーターを飲み、自分のベッドルームに行こうとした時、リビングルームから戻って来たユダと鉢合わせた。
「あ……」
「ペトロくん。もうシャワーしたんだ」
ユダと顔を合わせたペトロは、ふいっと視線を逸した。
「うん。疲れたから、もう寝る」
「マフィン、本当に食べなくてよかった? ベリーもチョコもおいしかったよ」
「うん……。じゃあ。おやすみ」
「おやすみ。今日はお疲れさま」
いつもと変わらない穏やかな調子で労われ、ペトロはベッドルームに入った。
明日のアルバイトは、午後からにした。いつもより遅い時間にアラームをセットしてベッドに横になり、サイドボードの写真立てを見てから目を瞑った。
「…………」
しかし、なかなか寝付けなかった。一度眠るのを諦めてスマホで動画を観たりして一時間ほどして再び寝ようとするが、やはり寝付けない。
その後も、スマホをいじったり寝る体勢を変えたりしながら眠くなるのを待つこと、三時間。
「……眠れない」
今日は、どうしても寝付きが悪い。慣れない撮影で疲れているはずなのに、あることのせいで脳が覚醒している。
(ユダが、あんなこと言うから……)
───もしも、きみのことが好きかもしれないって言ったら、どうする?
唐突に、そんなことを言われたからだ。それを意識して、食事中も不自然に顔を合わせるのを避けてしまった。
(あれって、告白された……? でも、はっきりと好きって言われたわけじゃない。やっぱり、冗談だったのかな……。だけど、魅力的とか素敵とかすごい言われた。そういうのって普通、同性相手にそんなに言うことじゃないよな。やっぱ、からかってる……? でも、ユダはそんなことするようなやつじゃないと思う。たまに冗談は言うけど、真面目で、気遣いができて、誰にでも優しいし……)
「あ、そっか。オレが緊張してたから……」
(でもだったら、言うの撮影前だよな。終わってから、あんな小恥ずかしいこと言わないよな……。じゃあ、本気で褒めてくれてたってことか。そうすると、あれも告白……)
「……っ」
告白だと意識したペトロは、ほんのり顔を赤くしながら焦り始める。
(いやいやいや! 『もしも』って言ってたから、本当のやつじゃないって! じゃあ、なんで言ったんだよって感じだよな。単なる思わせぶりだと思うと、それはそれで何かムカつくような気がするけど。でも、帰って来てからはいつも通りだし)
「てことは。やっぱ本気じゃないってことじゃん」
その結論で、ペトロの戸惑いは収まるはずだった。けれどまだ一つ、ユダの行動で疑問が残っている。
(そしたら、あれは? オレの写真を待ち受けにしてた理由は、何なんだ? 褒めてはいたけど、だからって普通待ち受けにはしないよな……。それに。『もしも』ってことは、可能性があるかもしれないんだよな。ユダが、オレのことを、好きかもしれない……)
眠れずにぐるぐると考え、一周して始めの答えに戻ったその時。ドアのすぐ向こうのリビングで、足音がした。
ソファーで寝る前の読書をしていたユダの、フローリングを歩く靴音だ。ペトロは、その音に意識的に耳をそばだてた。
立ち上がったユダは、リビングの間接照明の明かりを消して、一度出て行った。すぐ戻って来たから、トイレだったんだろう。
リビングに戻って来た靴音は、ペトロのベッドルームから遠退いて窓際のベッドの方へ行く……はずだった。
ところが、靴音はベッドルームに近付いて来て、ドアの前で止まった。
「…………」
ペトロは息を潜め、目を瞑り寝た振りをする。しかし、すぐに靴音は遠退いていった。
目を開いたペトロは、安堵の息を吐いた。
「ちょっとドキドキした……」
呟いた直後、そう発言した自分に動揺してガバッと毛布を被った。
(え!? オレ今、何を想像した? ユダが寝室に入って来るかもなんて思った?)
「あり得ないだろ」
(でも……)
ペトロは、撮影の時にユダに励まされたことを思い出す。
(確かにユダは優しいし、包容力もあって頼りたくなる。褒められたのも、本当は嬉しかった。今日の撮影だって、付き添ったのがヨハネだったら、あんなに上手くいってなかったかもしれない)
「何でオレは、ユダの言葉を信じられたんだろう……」
(自分でもよくわからないけど、ユダがオレを信用してくれてるのは感じた。だから、真っ直ぐ目を見て言ってくれた言葉を信じられた。だけど、『信じてる』の一言だけで片付けられないような感情が動いてた。そんな気がする)
ユダが緊張するペトロを励ましたのは、社長として新人をサポートしたつもりでもある。だから「信じてる」と言ってくれたのだ。
けれど。仕事や社長という立場は関係ない、私情が込められていたような気がした。ペトロを特別に見るような。
「……」
『もしも』を考えると、胸がにわかに少しキュッとなった。
その時、サイドテーブルの上に立てていた写真立てが倒れた。
写真を見つめ、立て直したペトロは、持ち始めた熱に氷水を掛けた。
「これ以上考えるのはやめよう」
(オレは、何のために使徒になったんだ。強くなりたいから、ここにいるんじゃないか)
『もしも』なんて、この世にない。あれはきっと冗談で、ユダの気の迷いだ。
そう区切りを付け頭が冷やされると、自然と眠ることができた。




