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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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17話 星の街中で



 いよいよ、ペトロ初の広告の撮影へと挑む日となった。

 初めての撮影なので、いつもならマネージャーとしてヨハネが付き添うのだが、今回もまたユダが職権濫用して同行している。

 撮影は、会社のオフィスと同じフロアにあるスタジオで行われる。今日もフィッシャーから熱烈歓迎を受けたペトロは、用意された部屋で撮影用の衣装に着替えていた。


「ていうか。変わった起用理由だな。よくあるのか?」

「直感だけっていうのは、あんまりないかな。本当は気乗りしなかった?」

「いや。一度やるって決めた以上は、ちゃんとやるよ。それはいいんだけどさ……。この衣装、お腹出るんだけど」


 用意されていた衣装は、ヘソ出しの白いショートパーカーとカーゴパンツだった。

 ペトロが着替え終わるまで身体ごと逸していたユダだったが、ちらりと覗くかわいいおへそに目がいくと、パッと掌を向けて自分の視界から隠した。


「何してるの?」

「ううん。気にしないで」


 いつもの爽やかスマイルのユダだが、その微笑みの裏では心がざわついていた。

 着替え終わると、ヘアメイクをしてもらう。「肌キレイですね〜」「目もキレイだし、女の子みたい〜」と二人のヘアメイクはテンションアゲアゲでペトロを褒めるが、本人は緊張してそれどころじゃない。


「ペトロくん、大丈夫?」

「ダイジョウブ……」

(緊張でガチガチだなぁ……)


 着替えまでは気持ちに余裕があったが、準備が整い撮影スタジオに入ると、ユダが心配するほどペトロは全身ガチガチだ。カメラなどの撮影機材に、水色の背景のブースを照らす眩い照明、撮影スタッフたちのいる雰囲気に飲まれてしまった。

 今回は見学で来たのではなく、自分が撮られる側だと実感してきたのだ。


「では、撮影始めます」


 スタッフに呼ばれたペトロは、緊張状態でカメラの前に立つ。すると緊張は一層増して、ガチのロボットになりかける。


「こういう撮影は、初めてなんだよね。最初のうちは緊張するかもだけど、だんだん慣れるから」

「はい……」


 カメラマンから気遣われるが、ペトロはすっかり強張ってしまっている。


「それじゃあまずは、そのままの感じで撮ってみましょうか。写真はバストアップなので、商品は顔のあたりで持つようにして下さい」


 商品の炭酸水を持たされたペトロは、とりあえずCMプランナーに言われた通りに顔の近くに持ち、最初のシャッターが切られた。次に「商品名が見えるように、もう少し上に」と指示され、今度は顔の横で持った。

 そのまま撮影は続けられるが、ペトロの表情が固く、笑顔を指示してもぎこちない。撮影初心者にありがちではあるが、CMプランナーとカメラマンは顔を合わせて悩んだ。


「少し休憩しましょうか」


 フィッシャーの配慮で、少し休憩を取ることになった。経験したことのない緊張からの一時的な開放で、ペトロは背中を丸めて大きく息を吐く。

 フィッシャーたちと一緒に見守っていたユダは、ペトロを照明の下から連れ出してペットボトルの水を差し出した。


「緊張、解れない?」

「うん」

「そうだよね」

「前に撮ってもらった時、仕事じゃなくても結構緊張したんだ。なのに、本番で緊張しないのは無理だよ。仕事、軽く受け過ぎたかなぁ……」


 初仕事で完全にナーバスになるペトロは、不安な表情で後悔を口にした。使徒の使命にはあんなに前向きな意志を見せていたのに、意外な姿をユダの前で初めて見せた。

 ヤコブもシモンも最初はそうだったが、今はこなせるようになっている。ペトロにも彼らと同等……いや、それ以上のポテンシャルを見出しているユダは、それを見せてほしくて彼の肩に手を置く。


「ペトロくん。私の目を見て」


 ペトロは素直に、不安な面持ちでユダと視線を合わせる。メガネ越しに真っ直ぐに見つめてくるライトブラウンの瞳の中に、自分の姿が映り込んでいた。


「きみはまだ、自分に自信を持てていないだけだ。だけど、きみの魅力は私が知ってる。ペトロくんの中に、もう一人の違うきみが隠れているのがわかる」

「もう一人の、オレ?」

「きみもまだ知らない自分だよ。その未知の顔を、私たちに見せて。きみが着ている皮を、一枚脱ぐだけで変われる。もっと魅力的な人になれるよ。だから大丈夫」

「……本当にできるかな」

「できるよ。私を信じて」


 その眼差しは、いつもの穏やかなものとは少し違った。ペトロを信じていて、緊張を解して勇気をくれているようだった。


(何でだろう……。不思議なくらい、その言葉を信じられる気がする)

「……わかった。ユダの言葉を信じる」


 休憩が終わり、ユダに背中を押されたペトロは、再びカメラの前に立った。


「それじゃあ。リラックスするために、一度笑ってみましょうか」


 カメラマンは撮影再開の前に、まずは肩の力を抜いてもらおうと言った。


(一枚皮を脱ぐ……)


 シャッターが切られると思っているペトロは、一度目を閉じ、深くゆっくり呼吸する。そして、カメラに向かって微笑んだ。

 その瞬間、スタジオ内が少しざわめいた。

 細められた碧眼は原石の中の宝石のようで、眩い光に照らされる姿は、麗しさと儚さを備えていた。

 ユダは呟く。


「やっぱり」

(ペトロくんは、こっちの素質もあったんだ)


 ペトロを見かけた時から、その存在の価値に気付いていたユダだったが、この一瞬で彼の可能性に確証を得た。

 目を奪われたカメラマンは、この瞬間を反射的にシャッターに収めた。


「いいですね! じゃあ次は、クールめにお願いします」


 リクエストを受けたペトロは、微笑からクールフェイスに表情を変えた。

 目付きが変わり、さっきとは別人のような変貌ぶりに、その場にいたスタッフたちは一様に驚き、ユダも初めて目にするペトロの魅力に吸い込まれ、釘付けになる。

 その後も、決め顔やナチュラルな表情を求められる度に、ペトロは雰囲気を変化させた。見ている者たちは、その度に感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。


「すごい……」

(今日が初めての広告撮影だっていうのに、こんなに臨機応変にリクエストに応えられるなんて……。一枚皮を脱いだだけで、こんなに変わるのか。さすがに、予想の範疇を超えてるよ)

「なんて人なんだ。きみは」


 ポスター用撮影のあとは、SNSやネットで流すオーバーレイ広告用動画を撮った。セリフはなく、実際に商品を飲んでカメラに自然な視線を送るだけなのに、それだけでも妙に惹き込まれた。




 朝から始めた撮影は、夕方に終わった。終わる頃には立ち会ったスタッフ全員がペトロに魅了され、興奮したフィッシャーも初めてとは思えない仕事ぶりを大絶賛し、起用してよかったとフライングで喜んだ。

 使用する素材はどれを使うかは会議で検討するらしく、「わたしとしては、どのパターンも使いたいんですけど!」と悶える彼女に、「使えるのなら、全パターン使って下さい」とユダは言っておいた。

 無事に初の広告撮影を終えた二人は、帰路に着いた。辺りはすっかり夜の帳が下りていて、街にも星が落ちていた。


「ヤバイ。疲れがドッときた……」


 後部座席のペトロは、座席から滑り落ちそうなくらいダラッと力が抜けていた。バックミラー越しにその姿を見て、ユダはクスリと漏らす。


「緊張しっぱなしだったもんね」

「今日撮ったやつが広告になって、駅とかに掲示されるんだよな……。全然、想像できないや。それに、本当にオレなんかで宣伝効果出るのかな。ド新人だよ?」

「言ったでしょ。確証があるって」

「根拠がない確証だけどな」


 ペトロはそこはまだ、ちょっと頭がおかしい大人たちの戯れ言だと信用ならなかった。


「だけど私は、ペトロくんなら宣伝効果抜群だと、心の底から確信してるよ」

「本当に?」

「本当だよ。だって、きみには魅力があるから」


 そんなことを不意に言われたペトロは、こそばゆい気持ちを心の中に密かに隠す。


「魅力って……。具体的にどんな?」

「笑うと、花が咲いたようなかわいさがあるしり男っぽい面を全面に出すと、色っぽさが出るし。自然な仕草も飾ってなくて、素敵だった」

「うっ……」

「全てのきみが、素敵だったよ」

「……っ。やめろよ。恥ずかしい」


 褒めそやされている気分になって、恥じらう表情を隠したかったペトロは、窓外に顔を逸らしてなるべくユダに見られないようにした。


「そんなに恥ずかしがることないのに。褒めてるんだよ?」

「恥ずかしいものは、恥ずかしいのっ! ……あ。そう言えばユダ。オレのあの写真、無断で待ち受けにしてるだろ」

「あれ。バレちゃった」


 ユダは、ほんのりおどけて言った。バレたことに、後ろめたさは感じていないようだ。


「あれも恥ずかしいから、オレの許可なく使うな。必ず変えろよ。絶対!」

「わかったよ。あとで絶対変える」

 

「もう……」ペトロは車の窓枠に肘を突く。本当は今すぐ変えてもらって、恥ずかしさから開放されたい。


「何で、オレの写真なんか使うんだよ」

「仕方がないよ。あの一枚に、とてつもなく惹かれてしまったんだから」

「惹かれたって……。確かによく性別間違われるけど、同性だぞ?」

「性別は関係ないよ。私から見て、ペトロくんはとても魅力的に映ってる。どんなに美しい女性よりも、女性のようにキレイに見せている同性よりも。私は、そのままのきみに惹かれている。どうしようもなく」


 女性なら一発で落ちそうな落ち着いたトーンのセリフの連発に、ペトロは不覚にもドキッとしてしまう。けれど、その反応と車内に漂い始めた空気を誤魔化そうと、微苦笑した。


「何だよそれ。冗談言うなって」

「冗談じゃないよ」

「え?」

「紛れもない本心だよ」


 その声音は、本当に冗談なんかではなさそうに聞こえ、窓外を見ていたペトロは思わず、バックミラーに映るユダを見た。

 車は黄色信号で減速し、一時停止した。


「……ねえ。ペトロくん……。もしも、きみのことが好きかもしれないって言ったら、どうする?」

「えっ……」


 バックミラーに映るユダの視線が動き、ペトロの瞳と交わった。

 いつもの優しい眼差しや、さっき背中を押してくれた時のものとは違う。熱が込められ、ジリッと胸に何かが灯されるような視線。

 まるで時が止まったかのように、車が動き出すまで、ペトロはその視線から目を離すことができなかった。




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