30話 密かな拮抗
帰って来てから初めてヨハネの側から離れたユダは、隣の自室へ戻った。
一人で時間を過ごしていたペトロは、ソファーに座ってドラマを観ていた。
「ペトロ。ちょっといい?」
話があると言われ、ペトロはテレビを消した。
ユダは、ペトロの隣に腰掛ける。そして、今のヨハネの状況を話した上で、自分の意志を伝えた。
「ヨハネくんにはバンデがいないから、誰かが助けてあげなきゃいけない。さっき介抱していた時、ヨハネくんは私を頼ってくれた。私は、その望みを叶えてあげたいんだ」
「それって。ユダが、ヨハネのバンデになるってこと?」
「そうじゃないよ。バンデの相手は変わることはないから、心配ないよ。ヨハネくんを支える人がいないから、一番付き合いの長い私が力になりたいと思うんだ」
「そっか……」
ペトロは目を伏せ、少し心配ごとがありそうな表情をする。気乗りしなそうなその様子に、難しいだろうかとユダは伺う。
「ダメかな」
断念しかけそうな声音を聞いて、ペトロは慌てて目を合わせる。
「あっ。ううん。ダメじゃないよ。こういう時に誰も頼れないのは辛いってことは、十分知ってるし。オレもヨハネが心配だから、何かできたらって思う」
ペトロが本心を言うと、ユダはホッとした表情になる。
「ならよかった。引き止められたら後ろ髪を引かれるどころか、巻き取られそうだったから」
「オレは、そんなに独占欲強くないぞ」
「あ。でも……」
ユダは言い辛そうに、一瞬視線を外す。
「なに?」
「できれば、ヨハネくんの心が安定してくるまで、側にいてあげたいんだ。だから、ほとんど部屋にいないことになると思うんだけど」
「えっ……」
ヨハネを助けるのは賛成したが、そこまでするとは思っていなかったペトロはちょっとショックを受ける。
「ペトロも、さっき聞いてたよね」
「え?」
「ヨハネくんが、私に言ったこと……。だから、気になるよね」
「それは……」
「だからさすがに、それは許してくれないよね」
確かに、ヨハネの告白を聞いて動揺した。好意を抱くその相手の側にユダを行かせるのは、一抹の不安がある。
しかしペトロは、ヨハネの気持ちと、ユダの思いと、自分の胸中を反芻して、相応しい選択をしようとちゃんと考えた。
そして、平静さを乗せた顔を上げて言う。
「いいよ」
「いいの?」
「だって、ユダはオレの彼氏だからダメ! なんて、こんな時に言えないよ。ヨハネは、ユダのことを必要としてるんだろ。オレも、ユダに側にいてもらってすっごく安心したし、すっごく勇気もらったから、その温かい優しさをヨハネにも分けてあげてよ」
「ペトロ……」
「今は、ヨハネを支えてやって」
ペトロの寛大な判断に感動して、ユダは抱き締めた。
「ありがとう。ペトロ」
「部屋、隣だし。万が一何かあっても、声で察して乗り込むから」
「あれ。万が一が前提?」
「冗談だよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべ一応釘を刺しておいたが、忠告するに越したことはない。
「それじゃあ、戻るよ」
ペトロから身体を離すと、ユダは立ち上がった。
「戻る」。そう聞いたペトロは、ユダの手を握る。
「もう行くの?」
「ヤコブくんにいてもらってるから」
「そっか……。ヨハネにかまけて、オレのこと忘れるなよ?」
「それはないから、大丈夫だよ」
「寂しくなるかもしれないから、ちゃんと時々戻って来て」
「うん」
ユダは一人にしてしまう罪悪感を埋めるように、ペトロの額と唇に感謝と約束を残し、ヨハネの部屋に戻って行った。
一人になってしまったペトロはドラマの続きを観ようとしたが、ちょうど終わってしまっていた。
再びテレビを消すと、静かな空間が寂しさの輪郭をはっきりさせた。ペトロは騒がしい心を慰めようと、ベッドに寝転がった。
「思わず掴んじゃった……」
(ユダなら大丈夫。ヨハネのことが心配で、力になりたいだけ。バンデの代わりを努めるだけで、それ以上のことは何もしない。ユダはオレたちのリーダーだ。こういう時に動くのは当然だ)
「それなのに。なんで不安になってんだろ」
(自分でも気付かないうちに、こんなにユダを求めるようになってる。独占欲なんてないと思ってたけど、これもそうなのかな)
引き止められなかった代わりに、ユダの匂いが残る枕をぎゅっと抱き締める。
「でも。行かないでって、言わなくてよかった」
(あんまり強く手を握ったら、離せなくなる。願望を求めるままに、幸せに浸ってしまう……。これからも手は繋いでいたい。だけど、加減しなきゃ)
心も身体も繋がって、人並みの幸せを感じることができているユダといる時間は、大切にしたい。
けれど。日々少しずつ重ねられていく愛が、ペトロの迷いとの拮抗を生んでいた。




