27話 温もりに寄り添われたくて
「痛っ」
図書館で一緒に勉強をしていた時。レオがノートの紙で指先を切った。
「大丈夫?」
「このくらい舐めれば治る」
「でも、血が出てるよ」
少し深く切ってしまったようで、傷口から血が浮き出てきていた。なのでヨハネは、持っていた絆創膏をレオの指先に巻いてあげた。
「サンキュ」
感謝の言葉を口にしたレオは、誰にも見られないように机の下でこっそりヨハネの手を握った。ヨハネよりも男らしい手は、木漏れ日のように温かい。
「ヨハネって、おふくろみたいだな」
「えー。奥さんじゃなくて?」
「だから、一緒にいるとホッとする……。あのさ、ヨハネ。これからも……」
レオは何かを言ったが、霧が掛かっていくようにぼやけ、何を伝えてくれたかは聞き取れなかった。
日暮れが近付く頃。テラスの窓から斜陽が射し込む自室のベッドで、ヨハネは目を覚ました。
「あっ。気が付いた?」
付き添ってベッドの横に座っていたユダが、顔を覗いた。
ぼやける視界に入り込んで来たユダがレオに見えたヨハネは、一気に覚醒する。
「レオ!」
顔色を変えて勢いよく起き上がると、しがみつくように抱き付いた。
「レオ……。僕、ちゃんと言えなくて。レオに、言わなきゃならないことあるのに。僕は……!」
「……ヨハネくん?」
頭の上から、戸惑いが混ざったレオではない声が聞こえ、ヨハネはハッとして身体を離して抱き着いた相手の顔を見た。
ユダの顔が超至近距離にあり、一瞬で発火寸前になるヨハネは、逃げようとして反対側のベッドサイドギリギリまで0.5秒で遠ざかった。
「大丈夫? ここがどこかわかる?」
「わ……わかります……」
ヨハネは今すぐ入れる穴がなかったので、真っ赤な顔を掛け布団で目の下まで隠した。
ひとまず大丈夫そうでユダは一安心し、ハーブティーを淹れてあげた。そして、棺から出て来たあとの経緯を話した。
ヨハネはよく覚えていなかったが、気を失ってしまったのだ。棺の中で再会したレオの姿に、かなりの衝撃を受けたのが原因だろう。
「さっきまで、アンデレくんが精神治癒を施してくれてたんだよ。目を覚ますまで粘ろうとしてたけど、それじゃあ疲れちゃうからって今日は帰ってもらった」
「そうですか……。ここまで、どうやって運んでくれたんですか?」
「私がおんぶしたよ」
「す……すみません……」
寝起きで抱き付くわ、おんぶもしてもらうわで、また顔から火が出そうになり、ハーブティーでなんとか落ち着こうと口を付けた。
「気を失ってるあいだ、うなされてたけど……。悪い夢でも見てた?」
「僕、うなされてましたか?」
「うん。前半は、ずっと謝ってた」
「そうですか……。あ」
ふとベッドサイドの起き時計が目に入り、もう夕方だと気付いた。今日の食事当番はユダなので、準備をしなければならない。
「もう夕飯の支度の時間ですよね。僕は大丈夫なので、行って下さい」
「そしたら、ヨハネくん一人になるよ?」
「いつも一人なので、平気です」
気遣いはいらないとヨハネは微笑んだが、明らかに元気がなかった。こういう時、言葉と気持ちは裏腹だとユダはわかっている。
「平気じゃないよね。わかってるよ」
「いえ。本当に……」
「遠慮も気遣いもしなくていいよ。今は、ヨハネくんのことが一番心配だから。夕飯はヤコブくんたちに任せてあるから、大丈夫」
ユダは柔らかな声で微笑を湛え、ヨハネの背中に優しく手を添える。
触れている手が、温かかった。背中からじんわりと、身体じゅうに温もりが染み渡っていくようだ。捧げてくれている優しさが、今だけは自分だけのものだと思うと、ヨハネは特別なご褒美をもらっているような気持ちになる。
「……あの。さっきは、突然すみませんでした」
「さっき?」
「だ……抱き着いて、しまって……」
一応謝罪をと切り出したが、ヨハネは思い出して赤面する。
「急に起き上がってきたから驚いたけど、気にしてないよ……。誰かと間違えた?」
「えっ」
「うなされてる時も、抱き着いた時も、同じ名前を口にしてたから」
尋ねられたヨハネは、目を伏せる。その名前は、ユダには聞かれたくない名前で、自分で口にするのもなるべく避けていた名前だった。
「まぁ。夢と現実が混同することって、稀にあるよね」
しかしユダは、ヨハネの胸中を推し量ってそれ以上訊こうとはしなかった。
他の誰かなら構わないが、過去をユダに明かすには少しためらいがある。ヨハネの過去の心と現在の心を繋ぐことだから、話すということは、秘め続ける思いにも触れてしまう。
だがヨハネは、少しだけユダに聞いてほしくて、俯きながら口を開いた。




