20話 同伴出撃
シェオル界に植えられた植物は、マタイが手を伸ばしても枝に届かないくらいの高さになった。幹は太くなり枝葉も増え、立派な樹木へと育ってきている。死徒たちの切願を叶える準備は少しずつ、だが着実に育っていた。
樹木の生育状態を確認したマタイは、いつもの広間へ向かった。
ところが、やけに静まり返っている。敗走したバルトロマイを、フィリポが毎度の弄りでケンカになっているかと思いきや、そんな騒ぎが起きている音は一切しない。しかし、同士たちがいる気配はする。
広間の扉を開けると、全員が大人しく着席していた。胡座はかいているが、あのフィリポまで口を閉じて座っているので、マタイはにわかに拍子抜けした。
「どうした。やけに静かじゃないか。特にフィリポ。負けて帰って来たバルトロマイと、喧嘩をしなくて良いのか」
「最初は何時も通り、お決まりの嘲弄から始まったわよ。バルトロマイも喧嘩を買いそうだったんだけど、フィリポが急に止めたのよ」
と、手櫛で髪を整えながら先程までの状況をマティアは教えた。「そーそー」テーブルに伏せるタデウスも、フィリポの様子がおかしいことを言う。
「あと一秒で始まりそうだったけど、フィリポが突然大人しくなったんだよねー」
「流石の我も、困惑してしまった」
ケンカを吹っ掛けられたバルトロマイも、その異変に大変困惑したらしい。
「でも。部屋がぐちゃぐちゃにならなかったんだから、良かったよね」
争いごとにならなかったことに、トマスは心底安堵している。
「一体どうしたんだ。人格でも変わったか?」
「そーじゃねーよ。キレたマタイが怖かったから、今回は止めておく事にしただけだ。腹ん中じゃ、役立たずの唯の糞筋肉野郎だと思ってるけどな」
控えることを知らない達者な口に愚弄されたバルトロマイは、密かに睨みつけるが、マタイの恐ろしさはフィリポに同感なのでグッと怒りを堪えた。
「少しは利口になったと言う事か。見直せる余地は有りそうだな」
「じゃあまた、俺様に戦わせろ!」
「アンタ、其の為に大人しくなったんじゃないわよね」
フィリポに、呆れと疑念の眼差しを向けるマティア。だが、上座に座るマタイが、そんな単純に騙されるような人物であるはずがない。
「そう簡単に行かせる訳が無いだろう。奴等は、戦いを重ねる度に強くなっている。最初の段階しか知らんフィリポに行かせても、また負けて帰って来るだけだ」
「だとしたらよ。あと戦ってねーのは、マティアとトマスだけだぞ」
「お……おれは、自信無いよぉ」
名前を挙げられたトマスは、ビクビクして身を縮める。
「それじゃあ、アタシかしら」
トマスの辞退で半ば仕方なしに意欲を示したのは、もちろんマティアだ。
「では、マティアに行って貰おう。それと今回は、俺も同行する」
「いよいよ、マタイも戦うのー?」
タデウスは、戦況が一気に佳境まで進み早く楽ができることを期待したが、残念ながら、そんな怠けた願いはまだ叶わない。
「いや。探している『蝶』の確信を得る為だ。奴等の相手はマティアに任せる」
「見極められそうなの?」
「ああ。目星は付いていた。後は、匂いを嗅ぎ分けるだけだ」
「それじゃ。同伴で行きましょ」
マティアは長い黒髪をかき上げ、カウントダウン代わりのヒールを鳴らして広間を後にした。
休日に一人で出掛けたヨハネは、時々訪れている花屋にやって来た。店頭にも店内にも種々様々な切り花や観葉植物が置いてあり、ポットやガーデニング用の人形なども揃えられている。
季節の植物の香りを感じながら、何か目ぼしいものがあればと店内を十数分見て回った。けれど結局、何も買わずに店を出てしまった。
(気晴らしにと思って来てみたけど、あんまり買う気にならなかった……)
「たまには、切り花でも買えばよかったかな」
乗って来た自転車を引いて、ちょっとだけ後ろ髪を引かれながら帰り道を歩いた。
買い物に来た家族連れなどと擦れ違う中で、親しげな男性二人組が横を通り過ぎると、ふと立ち止まって振り向いた。
「また、行けなかったな……」
(最近、あの頃のことをよく夢に見る。忘れるなと言われているように……。僕は、次に進んでるはずだ。そのはずなのに……)
「なんで、言えなかったんだろう……」
ヨハネは、ユダに告白するチャンスを棒に振ってしまったことを引き摺っていた。
(告白できるチャンスだったのに、ユダの顔を見た途端、何も言えなくなった。というか。何を言えばいいのか、わからなくなった。自分の気持ちがブレたような。誰に思いを伝えようとしていたのかが、わからなくなった)
「次に進んじゃダメなのか?」
過去に囚われるのはいけないと思い、ヨハネは次へ進もうとしていた。ユダへの告白は、成就しないとしても通らなければならない門で、告白は通るために必要な鍵でもあった。
ヨハネは、また歩き出そうと前を向いた。そしたら目の前に人がいたので、びっくりして声を上げた。
「うおおっ!?」
「やっと気付いたー」
「ア……アンデレか。驚かすなよ」
「驚かしてませんよー。何度も声掛けたのに、ヨハネさんが気付かなかったんすよー。で。何してんすか?」
「買い物。アンデレは、今日は休みか?」
見るとアンデレは、半袖Tシャツにハーフパンツで身軽な服装だ。
「今日は仕事が半日だったんで、これからちょっと遅めのランチっす。そだ! ヨハネさん、一緒にランチしましょうよ!」
「僕はお昼済んでるから」
「じゃあ、付き合って下さい!」
「お腹空いてないのに?」
ヨハネは、ちょっと面倒臭そうな顔をする。
「いいじゃないっすか! ぼっちランチつまらないし、行きましょうよー!」
「悪いけど、誘いに乗る気分じゃないから。一人で行ってくれないか」
「えー! おれといれば、楽しくなりますよー! だから行きましょー!」
アンデレは、ヨハネの手を掴んで誘った。ヨハネはあからさまに顔に出しているのに、天性の空気ノーリーディングでお構いなしだ。
このまま流されてランチかとなった、その瞬間。ヨハネは、重く纏わり付く死徒の気配を感じる。
「……本当に無理だ。火急の要件ができたから、片付けに行かないと」
(しかも、二つ感じる)
その気配をアンデレも感じ取り、胸を抑えた。
「これ……なんすか? すっげー気持ち悪い……。これがもしかして、前に聞いた死徒ってやつのっか?」
「どうする、アンデレ。行くか?」
危険性だけは教えてあるが、死徒との遭遇はこれが初めてのアンデレに覚悟はあるかと訊いた。
「ヤバいやつなんすよね」
「まだ戦闘経験が浅いアンデレには、キツいと思う。お腹空いてるなら尚更」
「辞退可能ってことっすか? 確かにお腹鳴りそうなくらい減ってるけど、死徒の方が大事っすよね」
アンデレはお腹を触り本当に空腹のようだが、腹を満たすのはしばらく我慢することにした。
「じゃあ行くか。死徒デビュー」
「行きます!」
普段の空気は読めなくても、使徒としての意識はちゃんとしているアンデレを連れて、ヨハネは死徒の気配が感じる方へ急いだ。




