14話 情熱と契約
数日後。ペトロはユダ運転の車に乗り、オファーを依頼した企業のオフィスへと向かった。今日は広告の説明と、契約を結ぶ手続きがある。
「ていうか。なんでユダがマネージャーなの。お前、社長だよな?」
後部座席のペトロから、斜め前の運転席のユダに素朴な疑問が寄せられた。
本当は、通常通りヨハネがマネージャーとして付き添う予定だったのだが、今回は行かせてほしいとユダが申し出たのだ。ヨハネは自分が行くと言ったのだが、ユダが食い下がらなかったのでヨハネは泣く泣く役目を委ねた。
「今日は、ペトロくんの初仕事だしね。先方との契約云々もよくわからないだろうから、私が間に入ろうかと思って」
「じゃなくて。ヨハネが最初は付き添うって、聞いてたんだけど?」
「今回は特例ってことで」
「……職権濫用?」
「まぁ、細かいことは気にしないで」
「気になるから!」
誤魔化しの爽やかスマイルにペトロは若干のモヤモヤを残しつつ、依頼のあった企業のオフィスが入るビルに到着した。エントランスでは既に、丸メガネを掛けたボブヘアの女性が立って待ち構えていた。
「お待ちしていました。宣伝担当の、フィッシャーと申します」
「初めまして。ノイベルトです」
ユダはフィッシャーと握手して挨拶し、ペトロのことも紹介した。
「ペトロ・ブリュールです。初めまして」
「初めまして」
ペトロも、フィッシャーと握手をして挨拶する。ペトロを見る彼女は目を輝かせて、とても何かをしゃべりたそうにしている。そして、何かしらのエネルギーも漏れ出ている。
二人はエレベーターに乗り、オフィスへ案内された。エレベーターの扉が開くと、すぐ目の前に、見たことのある有名企業のロゴが飛び込んで来た。
「この会社って、よく聞くメーカーの……」
「そう。私たちも時々飲んでる、ビールの製造と販売をしている企業だよ」
ガラス張りのオフィスの横を通って会議室に案内され、もう一人の担当者の男性を交えて話が始められた。
「今回はオファーを引き受けて下さり、ありがとうございます」
「いいえ。あんな、熱烈なファンレターのようなメールを頂いては、お断りするのも申し訳ないですし」
依頼メールをファンレターと言われたフィッシャーは、「お恥ずかしいです」と気不味そうにする……。いや。少し照れているのだろうか。
「先日、戦われている姿を初めてちゃんと見て、その時のペトロさんの表情にズキュン! と言うか、バスンッ! と胸にきて! その興奮が収まらなくて、その勢いのまま……。送信したあとハッと我に返って、これはドン引きされて断られると思ってました」
「驚きはしましたが、その気持ちは私もわかります。うちのペトロに初めて声を掛けて下さって、ありがとうございます」
「それでですね。オファー快諾への返信も、興奮してすっかり忘れてしまって今更なんですが。今回の依頼内容について、説明させて下さい」
(この人、どんだけ我を忘れるんだ……)
若干フィッシャーの忘れっぷりが心配になるペトロだが、タブレットの企画書を見せられながら今回の内容の説明を聞いた。
「お気づきの通り。弊社は、ビールの製造販売を主とする事業を長年続けて参りました。そして今年、周年を迎えた区切りの年で、これを機に弊社の新たな顔を作りたいと考え、違う飲料の販売に着手する運びとなりました。それが、こちらの炭酸水です」
両者が挟むデスクには、ラベリングがされた新商品の炭酸水のサンプルが置かれている。
「お二人も、炭酸水はよく飲まれますか?」
「ええ。ビールも飲みますが、毎晩食卓に出てます」
「ご存知の通り、我々は、炭酸水を好んで飲む国民性です。なのでこの際、弊社もその中に飛び込んでやろうということになりまして。様々なメーカーの炭酸水を飲み比べて研究し、この度、販売することになりました」
炭酸水を新商品として販売する経緯を聞いたユダだったが、「ですが」と、これから契約する先方に遠慮なく物申す。
「炭酸水を販売しているメーカーは、結構ありますよね。そこに新規参入するそのチャレンジ精神は素晴らしいと思いますが、商品の目新しさや目立つ広告を打たなければ、埋もれてしまうと考えますが」
「その通りです。私たちも、どうやって新商品を消費者にアピールするか、散々悩みました。そんな時に出会ったのが、ペトロさんなんです」
「オレ、ですか?」
フィッシャーから突然熱い視線が送られ、ペトロはちょっとたじろぐ。
「ペトロさんを一目見た時、この人だ! と私の直感が働いたんです。理由なんてありません。この人なら、消費者の目を奪えると直感で確信したんです」
(直感で確信……。何を言ってるんだろう、この人……)
仕事の契約の場はどこもこんな感じなんだろうかと、初体験のペトロは戸惑うする。そんなペトロに構わず、ユダは冷静にビジネスの話を続ける。
「フィッシャーさんのおっしゃることはわかります。ですが、彼はこれが初仕事なので、率直に言って、確実に商品の購買に繋がる約束はできません。実を言うと私も、彼には隠れた実力があるんじゃないかと買っていますが、可能性は良くも悪くも未知数です」
「そこはご心配なく。結果によって、不当な契約解除などは致しませんし。大コケしたら、一人で突っ走ったわたしの代わりに、上司に全責任が押し付けられるだけですから」
(上司の人、巻き添え食らうのか……)
顔も名前も知らないフィッシャーの上司に、同情を禁じ得ないペトロ。だが、今回のプロジェクトのゴーサインも出しているので、上司もペトロに期待しているのだろう。
「それに、今日お会いしてわかりました。ペトロさんの起用は直感ですが、成功の確信は100%……いえ。200%してますから!」
フィッシャーは拳を握って力説した。その燃えるような目の輝きは、不確定な確信への自信が現れていた。
(未経験者に期待し過ぎじゃないか?)
フィッシャーだけでなく、もしや隣の同僚や上司までもが、おかしな妄想に取り憑かれているんじゃないだろうかと、ペトロは心配になってくる。だが。
「そうですか……。本当は、私も思っていたんですよ。購買に繋がる約束はできないと言いましたが、私も彼の隠れた実力を信じています!」
ユダも、不確定な確信を抱いている一団の一人だった。
(根拠がないけど、本当にそれでいいのか!?)
情熱の勢いで突っ走ろうとする危険な同士のユダとフィッシャーに、ペトロは心の中で突っ込まずにはいられなかった。遠慮をしていなければ、「冷静になって考え直せ!」と言っているところだ。
「そんな感じなんですが。引き受けてくださいますか、ペトロさん」
(そんな感じなんですが、って……)
起用理由を始め、全てに納得できていない。寧ろ大コケして、関係者全員で後悔しないか不安だった。プロジェクトにゴーサインを出した上司は、せめて社員に白い目で見られるだけで済むだろうか。
だが。フィッシャーのその熱意には、嘘はないようだ。というか。謙虚に断っても、ビームみたいな熱視線に焼かれるまで粘られそうな気がした。彼女の同僚からもじわじわ熱意を感じ、隣からも、控えめながら同じような視線をメガネ越しに感じる。
これは、今さら後に引けない空気だ。
(オレも、やるって断言したしな……)
「わかりました。力になれるかわかりませんけど、よろしくお願いします」
「ありがとうございます!」
ペトロの正式な承諾を聞いたフィッシャーと同僚は、感謝の言葉のあとに大きな拍手をしてハイタッチした。隣のユダも、喜びを表情に滲ませていた。
こうして、不安要素しか残らない交渉を経て、ペトロは企業と初めての契約を交わした。




