2話 無欲な看板
「実は、オファーをもらうのはこれで三件目でね。でも、ずっと断ってるんだ」
「えー。もったいないよ。なんで?」
ヤコブは「断るなら俺にくれ」と言いたそうな気持ちを、ちょっとだけ覗かせている。
「僕たちは使徒が本業だろ。平時は急な戦闘に備えてなきゃいけないから、できるだけ自由に動ける状態でいたいし」
「でも、一人くらいいなくたってなんとかなるだろ。憑依タイプなら、最低三人いればいいんだし」
「憑依タイプならな。だけど、死徒の時は全員いないと始まらないだろ」
「まぁ。確かにな」
「それに。ペトロが、専属モデルにあんまり興味を持ってなくて」
ユダは、もったいなさそうな気持ちを漏らした。それを聞いたヤコブは、頬杖を突いてペトロにジト目を向ける。
「お前は贅沢だな。せっかく声掛けてもらえてんのに。仕事増えるの嬉しくないのかよ?」
「嬉しくないわけじゃないよ。でも、ヨハネが言った通り。使徒が本業なんだし、モデルの仕事優先して戦闘に穴開けてみんながピンチになるくらいなら、全然断るよ」
将来へのレッドカーペットが敷かれるかもしれないというのに、ペトロは眩しい照明よりも目の前の目的の優先を考えていた。自分にはまだ、そこまで自由は許されていないと。
「オレも、オファー来るたびにユダから話は聞いてたけど、そう思ったから、使徒都合の理由で断わってもらってるんだ」
「そうだったんだね。でも、やっぱりもったいない気がするなぁ」
「ライバルの俺すら、もったいないと思うぞ。初の露出であれだけ注目されたんだから、モデル続けることもできるだろうし。将来の仕事にする気はないのかよ」
「それは、今のところ考えてないよ。バイトのぶんの収入もあるから、別に今のままでいいし」
生活費はかかるが家賃はタダで、娯楽も少しは楽しめている。ペトロの場合は、既に二つの専属イメージキャラクターを務めているので、現状に満足しているようだ。
「でもペトロ。ヤコブくんが言うように、使徒の役目が終わったあとも、ペトロならモデルの仕事を続けられると思うよ。もしも、本当はもっとやりたいけど、私たちのことを考えてセーブしようとしてるなら……」
「遠慮なく、モデルの仕事やれって? できるわけないじゃん。中途半端に使徒をやるつもりはないよ。オレにはオレの信念があるから」
「ペトロの信念て?」
「自分がやるべきことを、ここでみんなと最後までやり遂げること。だから、仕事は今のままでいい。この日常で、満足してるから」
忘れていた人並みの幸せは得られた。他愛のない話で笑い合える仲間もいる。今のペトロに、これ以上贅沢なものは必要なかった。
ユダはペトロと目を合わせ、微笑み合う。その光景が、ヨハネには朝日に負けず劣らず眩しかった。
ヨハネは朝食の後片付けをする。食器を洗う隣で、ユダが手伝ってくれていた。
「ありがとうございます」
「二人でやった方が早いしね」
ユダは、ヨハネが洗った食器を拭いて棚に仕舞っていく。何気ない日常の一コマに過ぎない時間でも、ユダに隣に立たれると少し落ち着かない。
(ペトロと恋人になったのは、とっくにわかってるのに。腕が触れそうな距離にいると、ドキドキする……)
ヨハネはバレないように、チラッと隣のユダを見る。
まだセット前の前髪が、腕の動きと連動してサラサラと揺れている。シャワーを浴びたあとなので、ボディーソープの香りもほんのりとした。
(こんな少ない片付け一人で十分なのに、それでも手伝ってくれる気遣いが好きだ。出会った瞬間から、僕に向けてくれるその優しさが好きだ)
その気遣いや優しさは、自分だけに向けられている特別なものではないのはわかっている。八方美人でない自然な振る舞いは、誰にでも分け隔てない。
それでも、二人きりの時に優しくされると、自分だけのものだと思いたくなってしまう。
(やっぱり僕は、まだユダが好きなんだ)
ユダの特別でありたいというヨハネの思いは、盛夏に向かうとともに、また少しずつ熱を持ち始めていた。
午前十一時。約束通り、某出版社の男性ファッション雑誌編集部の編集長が自ら、ペトロの専属モデルの直談判に来訪した。
最初はメールでのオファーで、ユダもその際に丁重に断ったのだが、編集長から直接話をしたいと言われた手前、断り切れなかった。
直談判だからと言って返答を変えるつもりはなかったが、一通りの話を聞き、「本当はお受けしたい気持ちは山々なのですが」とテンプレの前置きをして自分たちの事情も丁寧に説明し、どうにか納得してもらえた。
納得し諦めた編集長だったが、帰る時は残念そうに肩を落としていた。ユダとヨハネは、その後ろ姿を事務所前で見送った。
「なんだか、あの背中を見ると申し訳なくなりますね」
「三人目だけど、やっぱりちょっと心が痛むよ」
心の中でもう一度謝罪して、二人はデスクに戻った。
「それにしても。起用理由を熱心に語ってくれましたね」
「ジェンダーレスを象徴する存在として、か……。確かに、白い肌とブロンドと碧眼、同性と比べると線も細めで女性に間違われる容姿は、魔法のように周囲の視線を集める。実際、最初の広告は話題になったしね」
「あれ、三つ子説が出てましたよね。今は、同一人物だと周知されるようになりましたが」
事務所の看板で恋人のペトロのことを褒めるユダの顔を、ヨハネは少し見づらかった。
「あれだけ表情が違うと、初見で勘違いするのは仕方がないよね。撮影を見てた私ですら、別人に見えたんだから」
「炭酸飲料の売上も右肩上がり。ペトロの注目度もうなぎのぼりで、Win-Winてやつですね」
けれど、仕事の話だと割り切って、いつもの自分を演じて話を合わせる。
「ショートダンス動画も、反応よかったし。またやってもらおうかな」
「それ、誰のためです? ユダが見たいだけじゃないんですか?」
「あ。バレた? でも、ヨハネくんもまた見たくない? ペトロのぶきっちょダンス」
「僕は別に……。ペトロはダンス苦手なんですから、強要して嫌われても知りませんよ」
本人は控えているつもりだが、ペトロの話になると充足した表情を隠せていない。ケンカして不仲にならないかと、ヨハネは嫌なことをふと思ってしまった。




