13話 アクセルとブレーキ
その晩。食卓を囲んでいる時に、どこか上機嫌なユダから、一同にあることが報告された。
「実は今日、いいお知らせがあるんだ」
「いいお知らせって、何?」
「もしかして。俺たちとうとう表彰されるのか!?」
日頃の功績を称えられてとうとう州から表彰される日が来たと、ヤコブは心を弾ませるが、
「そうじゃないよ」
否定され、一瞬で糠喜びに終わる。
「でも。実は一度、感謝状を贈りたいって連絡が来たことがあったよ」
「マジか!」
「だけど断ったよ」
「何でだよ!」
またも、一瞬でガッカリさせられるヤコブ。
「だってその頃は、活動を始めたばかりだったし。それに私たちは、褒められるために使徒をやってるわけじゃないからね」
「ごもっともだな。ヒーロー扱いされてるからって調子に乗るなよ、ヤコブ」
たまにされるイジりのお返しを含めて、ヨハネが言う。
ユダに感情を弄ばれた(勘違い)上に、イジってきたヨハネの表情がちょっとムカついたヤコブは、彼のグラスビールを奪って一気飲みした。
「それでユダ。どんないいお知らせなの?」
「なんと! ペトロくんに初めて、仕事のオファーが来ました!」
シモンとヤコブは、「おおー!」と感嘆の声を上げた。
「おめでとう、ペトロ!」
「ていうか。オレもサプライズなんだけど」
「何だ。まだ、本人にも言ってなかったのかよ」
「みんなの前で発表したくて」
ペトロ本人より誰よりも、ユダが一番嬉しそうだ。
「どんな仕事なの?」
「炭酸水の広告だよ。昨日の戦闘も見てたらしくて、キリッとしたかっこよさに痺れたらしいよ」
「来たメールを読んでもらえるとわかるけど、熱量が半端なかったですよね」
「十行くらいの長文だったもんね。それだけ熱望してくれてるのは、社長としてとても嬉しいよ」
「どうする、ペトロ。引き受けるか?」
「まだ返事はしてないから、きみが決めていいよ」
ペトロへ来た仕事なので、社長のユダと副社長のヨハネは承諾の判断を委ねた。ヤコブとシモンも、初めて来たオファーなので、食事の手を止めて答えを聞きたがった。
少し考えたペトロは、ユダに向かって首肯する。
「やってみたい。引き受けていいよ」
「わかった。じゃあ、明日の朝イチで先方に連絡しておくよ」
「よぉし! せっかくだから、乾杯するか!」
「そうだね。ワインでも開けようか。セレクトは、ヨハネくんに任せるよ」
「しょうがないですね。でも、あんまり飲み過ぎないで下さいよ?」
ペトロの初オファーの祝杯を上げ、ワインボトルが二本開けられた。またヤコブが先輩風を吹かせてマウントを取ったり、上機嫌なユダがペトロの肩に手を回そうとするのをヨハネが止めたりと、また賑やかな一夜となった。
お開きになり、静寂が訪れた夜遅く。
パジャマに着替え、観葉植物を眺めながら紅茶を飲んでリラックスしていたヨハネに、ヤコブから「今から部屋に行っていいか」とメッセージが来た。
「いいよ」と返信したその一分後、ビール瓶を一本持ってスウェット姿のヤコブがやって来た。
「ちょっと飲まねえ?」
「さっき飲んだだろ」
「ちょっと飲み足りたくて」
「シモンは、放っておいていいのか」
「もう寝たよ。明日も学校あるのに、夜更しさせねぇよ」
ヨハネは自分の冷蔵庫にあったつまみのサラミを用意し、なんのためでもない乾杯をしてサシ飲みが始まった。そしてヤコブは、いつもの軽い自慢話をし始めた。
「今日バイト行ったじゃん? そしたら、また客に連絡先教えてほしいって言われちゃってさ。いつも通り、上辺の理由で断ったけど」
「大変だな」
鉄板話が始まったな……と思いつつも、ヨハネはちゃんと相槌を打つ。
「でさぁ。考えたんだけどよ」
「何を?」
「使徒やってる上に企業の広告にも出て外でバイトするの、何気にリスクだと思わね?」
「リスクって?」
「顔バレしてること。たまに仕事になんねぇんだよ」
「じゃあ、裏方の仕事をすればいいんじゃないか?」
「ぶっちゃけ、裏方はつまらない」
「注目されないから?」
「そう! どうしたらいいと思う?」
「モデルで食えるようにする」
「それなー。一番シンプルアンサー」
想像していたように仕事が舞い込んで来ないヤコブは、頬杖を突いて手でサラミを丸めて食べた。
ヨハネはサラミをフォークで畳んで口に運ぶと、ヤコブのピンポイントを突く。
「あのさ。ペトロを妬ましく思ってるだろ」
「別に、妬ましくなんか思ってねぇよ。俺の方が先に仕事始めてるし」
「でも。一番最速でオファーが来たけど?」
「それは、ちょっと悔しいけどな。でも、俺が先輩なのは変わんねぇだろ」
その心の内を見抜いているヨハネに突かれ、ヤコブは苦い顔をするも、マウントで自尊心をセルフディフェンスした。
ヤコブはサラミの油分をビールで流すと、話を変えた。
「ていうか。こんな話をしに来たんじゃねぇんだよ」
「じゃあ、何を話すために来たんだよ」
「お前さ。いつまで言わないでいるつもりだよ」
「何を?」
「ユダに告らねぇの?」
ちょうどビールを口に含めたヨハネは、吹き出しそうになった。慌てて飲み込むが、失敗して激しく咽る。
「ゴホッ! ゴホッ……!」
「もう何ヶ月思いを秘めてんだよ。とっとと告白しろよ」
「コホッ。そう言われても……」
「いつまでも思春期女子の真似事してても、しょーがねぇだろ」
「わかってるけど。だって……」
ヨハネは恋する乙女よろしく、頬を染めて口籠る。もう何度も見たそのリアクションに、ヤコブは呆れて溜め息をついた。
「『そう言われても』。『だって』。背中を押してやる度に、それを何回聞いたことか……。目の前にあるのは、ツークシュピッツェ山じゃねーだろ。そこらへんの公園にある滑り台に登るくらい、楽勝じゃねぇか」
「せめて、シュヴァルツヴァルトにしてくれ」
「そこも、電車で行ける楽勝なとこだけどな」
ちなみに。どちらも国の南側にあり、「黒い森」と言われるシュヴァルツヴァルトも、れっきとした山岳地帯である。
「とにかく。楽勝楽勝言うけど、僕はお前みたいにガツガツしてないんだよ」
「いや。俺もそんなに、ガツガツしてないけどな」
「僕だって、言おうと努力してる。けど。いざとなると、言葉が堰き止められんるんだ」
もどかしくて悔しそうなヨハネは、グラスの中のビールを飲み干した。ヤコブは、空いたグラスに二杯目を注いでやる。
「だけど。いつまでも、ってわけにはいかないぞ。最近のユダを見てると、俺たちとは違う視線をペトロに注いでるように見える。今日だって、やけに嬉しそうだったし」
「それは僕も感じてる」
いつもユダへ密かな視線を注いでいるヨハネも、その変化は敏感に感じ取っていた。想像しているような意味を持っているかはさすがにわからないが、好意を寄せるからこそ違いがわかる。
「だから、いつでも大丈夫なんて思わない方がいいぞ。いつ何があるかわかんないし」
「何がって……」
「言ってほしいか?」
問い返したヨハネ自身もなんとなくわかっていることを、わざとはっきり言ってやろうかとヤコブは挑発的な目をする。
わかっているヨハネは、言われる前に話を進めた。
「でも。それはさすがに、展開早過ぎだろ」
「ユダが、会ってそんなに経ってない相手に手を出さないって、そう思ってるのか?」
「ユダに限ってそれはない」
確信しているヨハネは、迷いなく言い切った。けれど、ヤコブは意地悪を言う。
「そうだな。でも、あいつも男だぞ」
「……っ」
ヨハネはギクリとする。
普段は穏やかで紳士的な印象が強く、好きでも“雄の顔”なんて想像できていなかった。寧ろ、恥ずかしくてできない。そんな顔を一度でも想像したら、ユダの顔なんてまともに見られなくなる。
「ずっと探してて、ようやく会えたやつと同室なんだぞ。もしもあいつにそういう気持ちがあるんなら、いつリミッター外れるかわかんねぇだろ」
「……いや。ユダは、そんな人じゃない」
ヤコブに煽られ不安が過るが、心からユダを信頼するヨハネは濁りのない眼で言った。意地悪を言ったヤコブだったが、その意見には同感だった。
「ま。そうだな。あいつは基本的に紳士だし、いけると思っても慎重になりそうだな。でも。だからって二の足を踏みまくってたら、後悔だけして終わるぞ。もしもあの二人が〈バンデ〉になったら、お前は手も足も出せなくなる」
「それもわかってる」
ヤコブに指摘されたことは全て理解しているし、心に常に留めている。けれど、出会ったころから思い続けているが、「好き」の「す」の字も言えない日々が続く今では、側にいられるだけでも満足だと思い始めている。
そんな自分を情けなく思う。けれど、言いたくても言えない。ヨハネには、逡巡する事情がそれなりにあった。
「なぁ、ヨハネ。お前昔から、そんなに奥手だったの?」
「そんなことない」
「じゃあ。何でユダに告白するの、そんなにためらってんだよ」
「…………」
苦衷の表情を僅かに浮かべ、ヨハネは沈黙する。その表情を見たヤコブは、察してやった。
「わかった。今の質問は忘れろ。だけどヨハネ。お前が告白できるかは、たぶん時間の問題だと思う。早めに気持ち固めとけよ」
ヤコブに言われるまでもなく、早く覚悟を決めるべきなのはわかっていた。それでもヨハネは、たった二文字をユダへ伝えることをためらい、拒んでいた。




