28話 「言霊」という束縛
「……ロンドンの駅で、爆弾テロがあったんだ。兄貴は、それに巻き込まれた」
「……」
兄がどうなったかまでは口にしなかったが、墓石を前に泣くヤコブの姿を見ていたので訊かずともわかった。
シモンは言葉を掛ける代わりに、ヤコブの手を握った。
「アレンたちは先に到着してて無事だったけど、兄貴が来なかったから二次オーディションは受けられなかった。せっかくレーベルに注目されてたのに、デビューするチャンスを掴めなかった……。全部、俺のせいなんだ。約束破られて駄々こねて困らせて、その挙げ句に兄貴をテロの犠牲にさせて、バンドのデビューのチャンスを奪ったんだ……」
「ヤコブ……」
ヤコブは握られたシモンの手を離し、両手で顔を覆った。
「俺は、兄貴を裏切った。応援してたのに、一時の利己的欲求に負けて最低なことを言った。『この世から消えろ』なんて……。その言葉が現実になるなんて、思わなかった。でも、俺の言葉は現実になった。俺が兄貴を殺したんだ」
自責するヤコブのくぐもった声は、少し震えていた。
ケンカで暴言や悪態をつくのは普通だ。一時の感情で発したその場だけの言葉に、誰も重い責任を背負うつもりで言っていないだろう。だが時に。偶然が運命か、言った通りの出来事が起きる。
「言霊」というものだ。
あの時の言葉は魔力が宿り、現実となった。それが偶然か運命かは、誰にもわからない。ただ。ヤコブの中では言霊は存在し、「全ては必然的に起きたのだ」と決定されていた。
絶望や自責の念が綯い交ぜになったヤコブの感情がシモンにも流れ、胸が締め付けられてくる。自分が味方になって、蔓の茨で傷だらけの心を守ってあげなければと真心を寄せる。
「ヤコブのせいだなんて、誰にも決められないよ」
「全部俺のせいだ。俺のせいでみんなを不幸にした。きっと恨まれてる。親父も、おふくろも、笑顔の裏では俺を恨み続けてるんだ」
「そんなこと……」
「あの時の喪失も絶望も、誰から見たって間違いなく俺がきっかけだ。だから、誰も俺の罪を言葉にしなくても、俺は俺を赦したらダメなんだ。たった一度の過ちで、絶対に奪っちゃいけないものを奪った罪を!」
(ヤコブ……)
シモンはヤコブの罪を否定したいが、どんな言葉を掛けるのが正解なのかわからず迷い、言葉が出てこない。
自分がきっかけで家族を喪ったことが、どれだけ重い枷になり苦しめているのか、記憶の欠片を見ても、心が繋がっていても、想像の範疇を出ない。今、名前を通して感じている苦衷も悲愴も、ヤコブが抱えている全てではない。
だからシモンは、共有されている感情が平等じゃないことが悔しかった。けれど、支えられることはあるはずだと、話を聞き続けた。
「だから、音楽に近付いちゃいけないって言ったの? 聴くことはできるけど、それ以上のことは赦されないって。お兄さんのギターも……」
「こんな俺が、音楽に関わることを赦されるわけないだろ」
「それじゃあなんで、MVに出ること決めたの?」
「今の俺で、何か償いができればと思ったんだ。少しでも罪悪感を軽くしたかった。シモンが、音楽は誰も拒まないって言ったし、少しだけ近付いてみようって」
ヤコブは、まるで聴取を受ける容疑者のような雰囲気を放っていた。
「出演をキャンセルしたのは、やっぱり後ろめたくなったから?」
「こんな俺が素知らぬ顔して出るなんて、どう考えても間違ってるだろ」
「アレンさんは、ヤコブの罪悪感を知ってるの?」
ヤコブは首を小さく横に振る。
「何も話してない。どんな反応されるか想像したら、怖くて……」
「そっか……。それは、怖いよね」
「それに。弟の俺の顔を見れば、アレンは兄貴のことを思い出す。だから俺は、アレンからわざと遠ざかった。お互いに過去を掘り返さないためには、そうした方がいいと思って」
ヤコブは、自分の罪が知られる前に、アレンに何も言わずに故郷を出た。もしも、何かがきっかけで彼が罪を知れば、余計な傷が増え、今までのような関係は続けられなくなる。だから、自然なかたちで縁が切れる方がまだ気が楽だった。
「でも。あれから六年経ってるよね。アレンさんの気持ちも、だいぶ整理できてるんじゃない?」
「六年経てば、気持ちの整理もできてると思うか?」
「出来事は忘れてないけど、前に進めてるんじゃないかな。だから、新しいメンバーでバンドも続けてるし、ヤコブにPV出演をオファーしたんじゃない?」
ヤコブが言ったように、顔を見ればどうしてもデリックのことを思い出すだろう。だが、ヤコブと再会し、一日一緒にいても、アレンは辛そうな顔は一切見せなかった。ヤコブのことを気遣ったのも、活躍を喜んでいるのも、気持ちの整理ができているからだ。
しかし彼は、ヤコブを完全な被害者遺族だと思っている。本当はグレーゾーンに立っているとは知らない。
ヤコブは恨まれるのを忌避していた。それでも、トラウマを体験させられて、自分がすべきことを残してはここからどこへも行けないと、気付かされた。
「俺さ……本当は、言わなきゃと思ってるんだ」
「でも。反応が怖いから、言うの避けてたんだよね」
「このまま隠し通そうとしても、きっといつかは知られる。だから……アレンには、ちゃんと言おうと思う」
「ヤコブ……」
「本当のこと言っても、キレられないかな」
遅かれ早かれ、自分の口から言わなければならない。人当たりがいいアレンでも、激昂する時はあるだろう。それを初めて目の当たりにして、痛罵されるかもしれない。けれど、デリックの死を受け入れたように、自分の罪も年月を掛けていつか赦してくれるだろうかと、シモンに尋ねた。
その恐れも、シモンは感じ取る。ヤコブは、一歩進もうとしている。その一助になろうと、もう一度手を握った。
「ヤコブが罪深く感じてることが伝われば、ちゃんと話聞いてくれるよ。もしもキレられても、ボクもヤコブと一緒に理解を求めに話をしに行くよ。何度でも」
自分が知らないヤコブだったとしても拒否しない。何も理解しないまま突き放したりしない、と棺越しに言ったように、共に罪悪感と向き合いたいと、シモンは微笑みかけた。
未熟な身体でも大きな支えとなっているシモンの存在が、ヤコブはとても心強かった。理解して味方をしてくれることが、純粋に嬉しかった。
「何だったら、最初から一緒に行こうか?」
「いや。一人でいい。じゃないと、意味がない」
ヤコブは、アレンに罪を告白する決意を固めた。その面持ちは、関係が壊れる覚悟の表情のようにも見える。
シモンは、ヤコブの覚悟が普通とは違うような感じがして、心にフッと陰が過ぎった気がした。
「……ねえ、ヤコブ。なんで、バルトロマイと再戦の約束なんかしたの?」
尋ねると、ヤコブは握っていた手を離してカモミールティーを飲んだ。
「一方的にボコボコにされたのが、情けなかったんだよ。だから、シモンのおかげで我に返った時に、絶対逃げないから次は万全の調子で戦わせろ! って言ったら、案外わかるやつでさ。簡単に再戦を約束できたってわけだ」
「それだけ?」
「それだけだ。……あ。そろそろ、メシできるころだな」
時計を見たヤコブはソファーから立ち上がった。そのついでに、シモンの頭を撫でた。
「ありがとな」
背中を押してくれて、味方をしてくれてありがとうと、感謝して微笑んだ。




