24話 棺の中。楔は奏でる②
「お前がデリックを殺したんだ」
情味を持たない両親に、淀みない叱責の刃を突き立てられたヤコブは、罪の重さで立ち上がれない。それでもなお、両親は責任を追及し続ける。
「お前は昔からそうだった。癇癪持ちで、自分の思い通りにいかないとすぐに不機嫌になって、いつも周りを困らせた。まさか、兄弟を殺すような子になるとは思ってもみなかった」
「どうして、そんな子になったの。成長すれば大人しくなってくれるものだと思っていたのに、いつまで経っても扱いづらいまま。おかげで心労ばかりよ」
「親父……。おふくろ……」
振り返って見た両親の顔は、絵の具で塗り潰されたように真っ黒だ。しかしヤコブの目には、我が子を絶望し見放した、冷然とした眼差しを向けているのが見えていた。
「デリックは悪いことなんて一つもしない、とてもいい子だったのに。私は、家族を殺す子を生んだ覚えはないわ。あなたは本当に、わたしたちの子供なの?」
「お前がそんなだから、デリックは死んだ。そして夢まで奪った」
「違うよ。俺は、兄貴を殺そうなんて……」
刃となった言葉の一つ一つが、大きくなった身体に丁寧に突き刺さっても、ヤコブは理解を求めたくて弁明をしようとした。しかし。
「しただろ」
背後から声がして振り返ると、両親と同様に顔のないデリックが立っていた。
「兄貴……!」
「お前、僕に言ったじゃないか。『兄貴なんか嫌いだ。もう帰って来るな。一生帰って来るな。この世から消えろ』って。あの言葉は、僕を深く傷付けた」
「あ……あれは違う! 本音じゃない!」
「きっと、僕のギターを褒めてくれたのも嘘なんだな。演奏も、歌も、プロになれるって言ってくれた言葉も全て」
「そんなことない! 俺は本当にそう思ったよ!」
最愛の兄の誤解を解きたくて、ヤコブは必死の形相で弁明しようとする。だが、顔のないデリックは、ヤコブの言葉に聞く耳を持っていなかった。
「ていうか。不機嫌な時と普段じゃ言うことが全く正反対で、本音がどっちかわからない癇癪持ちのお前の言葉なんて、まともに信じることなかったんだよな。お前は僕たち家族をいつも翻弄して、相手するこっちはうんざりなんだよ」
「俺……そんなに迷惑を掛けてたのか?」
「お前の相手なんて、面倒臭かった。一日も早くお前から解放されたかった」
その顔には、もちろん口もない。けれど、ヤコブにははっきりと動く口が見え、その口から唾でも吐き捨てるように「面倒臭かった」と言葉が出た。
優しかったデリックから初めてそんなことを言われ、ヤコブはショックで言葉を失う。
弟が厭わしいデリックは、棘のある言葉を吐き捨て続ける。
「お前の相手は、ストレスで仕方がなかった。共働きだったから、学校から真っ直ぐ帰って遊んでやったけど、なんで僕が放課後の時間を犠牲にしなきゃならないんだ。お前がミドルスクールに上がれば、少しは自分の時間を作れると思ったのに、僕がバンドをやり始めたら練習に付いて来るようになるし、煩わしくて仕方がなかった」
「でも。そんな素振り……」
「わかれよ」
デリックは声音と表情に、心底からの不快感を露にする。
「仲間の前で、そんな振る舞いしたくないだろ。だけどお前は、僕の心の内なんて知りもしないで、自分も仲間みたいな顔して図々しく入って来て、しかもギターを教えろなんて言ってきた。マジでウザいし、いい加減にしてくれよ。いつまでもいつまでも、金魚の糞みたいに付いて来やがって」
その口調は、もうデリックの言葉遣いではなかった。けれど、ショックを受けるヤコブは、優しかった兄の面影が次第に薄く遠くなっていることにも、全く気付かない。今の彼にとって目の前に存在するものは、罪悪感の輪郭をはっきりさせる現実だった。
「癇癪持ちの上に、生意気にプライドなんかぶら下げやがって。お前のそれは、ただのおもちゃなんだよ。お前はこれまで、どれだけの人に迷惑を掛けた。たった一人に振り回されて、僕たちの時間がどれだけ無駄に費やされた。どうせ今もその性格の犠牲を生んで、同じ過ちを繰り返してるんだろ。僕の夢を奪ったように、誰かの大切なものを奪うんだろ」
「そんなことはしてない! 俺はもう昔の俺とは違う!」
目の前の者が偽りの人格を持った幻覚だとわからないヤコブは、過去の延長線だと錯覚して亀裂を修正しようと必死になる。だがデリックは、なおも咎める。
「じゃあ。僕はなんで電車に乗り遅れた? オーディションに行けなかった? 夢を追い掛けていただけなのに、なんで死んだんだ? 全部お前のせいじゃないか。お前以外にいないだろ」
「それは……」
「なんで、お前なんかが僕の弟なんだ。もっとまともな弟がほしかったよ。両親の言うことを聞いて、利口で、勉強ができる、自慢できる弟がよかった」
デリックは面詰の終わりに、実弟のヤコブの存在を否定した。
「…………」
ヤコブは愕然とし、発したかった言葉は。
自分の記憶の中にいたデリックが、消えていくようだった。いつも笑顔で、文句を言わずに勉強を教えてくれて、遊び相手になってくれて、喜んでギターを教えてくれて、上達すれば頭を撫でて褒めてくれた優しい兄。その顔が、全て黒く塗り潰されていった。
絶望する傍らに、バルトロマイが音もなく現れた。紫色の双眸で睨み付け、静かにヤコブを問罪する。
「罪深い。弁明も許されぬ。お前の選択が、家族の運命を変えた。其れは修正できぬ事実であり、此れから先も偽れぬお前の罪だ」
「違う……。俺は、そんなつもりじゃ……」
「弁明は許されぬと言った。全ての罪責がお前にある。誰もお前を赦さぬ。お前の行動が、言葉が、一つの命を死へと導いた。其れが家族であるのは、謝罪を重ねても白にはできぬ大罪だ。身内とて、心から赦しは与えぬ。現実に、お前を責めただろう。お前の実兄が死んだのは、お前の所為だと」
そのバルトロマイの言葉で、ヤコブの記憶から当時の両親の姿が甦る。
「どうしてデリックが……。あの子が……ヤコブが我儘を言わなかったら……。デリックを引き止めなかったら……。デリック……。デリック……!」
デリックの葬送から帰って来た母親は、父親に抱き寄せられて泣き崩れていた。ヤコブはそれを、リビングのドアの隙間から見ていた。罪の証のその光景は、ずっと脳裏に焼き付いている。
(おふくろは、俺を責めて泣き崩れていた。そのあと、俺には冷たくなった……。時間が経って笑顔が増えて、気持ちの整理はついたんだと思ったけど、そんなわけがない。おふくろの涙は、俺が原因だ。みんなを悲しませたのは俺だ。大好きだった兄貴を酷く傷付けて、殺したのも……)
自分の振る舞いが、家族を不幸にした。日常を切り裂き、悲痛を招いた。その事実をもう一度胸に深く刻めとばかりに突き付けられ、赦されたかったヤコブは向き合う気力を失う。
「此処まで言われなければ己の大罪を認められぬとは、なんと頑愚な生き物。お前のような人間が使徒など、片腹痛い。罪を侵し者が使徒を名乗るな。お前は己の罪を隠し、人々を欺く悪だ。悪は此の世に存在を赦されぬ。故にお前も、赦されぬ存在だ」
ヤコブの足元から茨の蔓が次々と生え、足を絡め取りながら伸びていく。茨は皮膚を刺し、下半身は完全に蔓で覆われ、身動きがとれなくなった。
茨の痛みの感覚は麻痺していた。というよりも、自己防衛の意思がほぼ喪失していた。
上半身にまで伸びてくる茨の蔓は、有罪を突き付けられた心にも絡み付く。それを排除する資格は自分にはないと、ヤコブは抗おうともしなかった。




