22話 棺の中。楔は奏でる①
棺に囚われたヤコブは、実家にいた。
木材を貴重とした素朴なブリティッシュカントリー調で、温かみのあるリビング。絵に描いたような家族団欒が思い描けるその空間で、十二歳のヤコブはギターケースを抱いて臍を曲げていた。
説得を続けていた両親は、呆れ顔から苛立った表情になり始めている。兄デリックも、ギターを奪われて困り果てていた。
「ヤコブ、いい加減にしなさい。デリックが困ってるでしょう」
「大事なオーディションを控えてるのに、これじゃあ乗る予定の電車に間に合わないだろう」
「大丈夫だよ、父さん。一本くらい遅れたって」
苛立つ両親に反して、一番慌てなければいけないデリックは焦燥を見せていなかった。オーディションは明日の日曜日の午前からだが、今日は土曜日。学校終わりでアレンたちとロンドンに移動して、一泊して挑む予定なのだ。
「だが、アレンたちが待ってるんだろう?」
「僕が約束の時間に駅に現れなかったら先に出発してくれって、連絡しておいた」
「ほら。あなたが駄々をこねるから、みんなに迷惑が掛かってるのよ。もう十二歳なんだから、大人になりなさい」
「嫌だ! 悪いのは兄貴だ! 俺が先に約束してたのに、兄貴が破ったんだ!」
ヤコブは顔を赤くし、約束の件をずっと主張して激怒していた。
「何度も謝ったのに、まだ許してくれないのか。ヤコブ」
「だって、兄貴もサプライズ楽しみにしてるって言ったじゃん。だから俺、喜んでもらいたくて一生懸命に練習したんだ。なのにら兄貴のせいで俺の努力が無駄になった!」
「今日は無理でも明日があるじゃない」
「兄貴の誕生日は今日だ! 今日じゃなきゃ意味がない!」
どうしても自分を優先してほしいヤコブは、頑として兄を行かせたくなかった。
眉をハの字にするデリックは、ヤコブの前にしゃがんだ。ヤコブはギターを離すまいと力を込める。
「本当にごめん。僕もすごく楽しみにしてたのは、本当だよ。でも。まだ芽生えたばかりだけど、この夢を絶対に叶えたいんだ」
「オーディションなんて何度もあるじゃん」
「だけど、挑戦しようと決めた時に動かないと夢は叶えられない。ライバルはみんな貪欲に挑戦し続けてるのに、僕だけ呑気にしていられないんだ」
「兄貴はまだ十六だろ。人生まだまだこれからじゃん」
「十二のくせに、お祖母ちゃんみたいなこと言うなよ……」
弟の口から出た言葉に、デリックはつい微苦笑を溢した。
「頼むよヤコブ。お前のおかげで、僕は夢を見つけられたんだ。バンドデビューするために、僕を応援してくれよ」
「嫌だっ!」
ヤコブはギターを抱えたまま立ち上がり、逃げるようにデリックから離れた。
「それって、兄貴は俺よりも夢の方が大事ってことだろ。俺の努力よりも、バンドデビューの方が価値があるんだろ!?」
「そんなこと言ってないだろ」
「言ってる! そんなに夢が大事かよ! 家族よりも優先したいのかよ!」
「いい加減にしなさい、ヤコブ!」
デリックが怒らないぶん、両親の苛立ちが大きくなり、声も荒々しくなる。そんな両親の怒りさえ、ヤコブには関係なかった。
「もう知るか! 兄貴のギターなんか褒めなきゃよかった! オーディションなんか落ちればいい!」
「ヤコブ!」
「兄貴なんか嫌いだ! オーディションでもどこでも行ってもう帰って来るな! 一生帰って来るな! この世から消えちゃえよ!」
「なんてこと言うんだ! いいから早くギターを離しなさい!」
強引な手段に出るのを堪えきれなくなった父親は、ヤコブから力尽くでギターを奪った。
「あっ!」
少年では大人の力に敵わず、ヤコブの胸からギターが剥がされデリックに渡された。
「さあ、行け。あとのことは気にするな」
「ありがとう。父さん、母さん」
デリックは、母親に捕まえられ悔しさで半泣き状態のヤコブに顔を向けた。
「ヤコブ。本当にごめん。サプライズは、明日帰って来てからの楽しみにするよ」
手子摺らされたというのに、デリックは後ろ髪を引かれるような表情を残して出発した。
約束が守られなかったヤコブは不貞腐れ、膝を抱えた。
(兄貴のバカ野郎! 誕生日だからサプライズしたかったのに。今日じゃないと意味がないのに。明日やっても意味なんてない。明日なんて……)
臍を曲げるヤコブの心に、ふっと得体の知れない不安が過ぎった。
「明日……」
本当に明日が来るのかと、急に怖くなった。
ヤコブは衝動に駆られるように家を飛び出し、全力で走ってデリックを追い掛けた。
空は曇天に覆われ、一雨来そうだった。
ヤコブは全力で走ったが追い付かず、デリックは電車に乗ってしまい、駅を出発してしまう。
「兄貴!」
ヤコブは、諦めきれずに電車を追い掛ける。いつしか辺りからは建物が消え、道も消え、ヤコブと一直線に走行する電車だけとなる。
「待って! 兄貴、行かないで! 電車から降りて!」
必死に叫んでも、車窓の内側のデリックはヤコブに気付く気配がなく、辿り着く場所へと真っ直ぐ顔を向けている。
「兄貴! 謝るから! だから行ったらダメだ! 行かないで! ……あっ!」
ヤコブは躓いて転倒した。そのあいだに、電車はロンドンの終点駅へと到着した。
だがその瞬間。突如として爆発が起きた。一度だけではなく、三〜四回爆発した。駅舎からは炎は燃え上がり、灰色の煙が立ち上る。
その紅蓮と灰色のあいだから、デリックが乗っていたダークグリーンとホワイトの配色の車両が、ひしゃげた形で覗いていた。
「あ……。あにき……」
ヤコブは悲劇を叩き付けられて愕然とし、立ち上がる気力を奪われる。
するとその背後に、顔のない両親が現れた。
「電車に乗り遅れなければ、こんなことにはならなかった」
「あなたが我儘を言うからよ」
「そうだ。おまえのせいだ。全部、デリックに呪の言葉を掛けたお前の責任だ」
「そうよ。これは全てあなたのせいよ。ヤコブ」
顔のない両親は、実子のヤコブを容赦なく叱責する。
そして、声を揃えて刃を突き刺す。
「お前がデリックを殺したんだ」




