20話 もう一度近付くために
マタイが去ったあと。フィリポとタデウスはぶつくさ言いながら、影を手の代わりに動かしてケンカの後片付けをした。
「さっきのマタイ、マジで怖かったわ」
「だねー。ぼく、ゾクッとしちゃった。でも良かったね。抹消されなくて」
「其れは此方のセリフだ。テメェの方が消されて当然だからな、タデウス」
「何でぼくなのー? 口だけで、犬に手を噛まれただけで逃げ帰って来たのは、何処の誰なのさー」
プチッ。 またキレたフィリポは、タデウスにメンチを切る。
「ああん!? テメェまた俺様を侮辱しやがったな!」
「もう、止めなさいよ。少しは学習したらどうなの」
マティアが呆れた口調で制止させる。二人がまたケンカを勃発させてフィリポが部屋を吹き飛ばさないよう、監督役としてバルトロマイとともに残っていた。
「お前は賢くなれ、フィリポ」
「そうよ。じゃなきゃ、次は本当に消されちゃうわよ」
「分かってるよ! 次、使徒の糞野郎共をボコッたら賢くなってやるよ」
「諦めていないのね」
「当然だろ!」
「でも、此れで暫くは謹慎処分でしょうね。リベンジしたければ、喧嘩は御・法・度よ」
マティアはウインクし、人差し指を立てて忠告した。
ケンカで残骸にされたテーブルなどがひとまとめにされると、影の中に吸い込まれ、新しいものが影から現れた。壁も影で修復され、広間は元通りとなった。
フィリポはさっそく、新しい椅子にドカッと座った。
「じゃあ、次は誰がボコりに行くんだよ。タデウスは糞やる気ねぇし、後は、マタイを含めたお前等四人の誰かだろ」
「マタイは植物の生育観察に熱を入れてるみたいだから、アタシかバルトロマイかトマスじゃない?」
「では、我が行く」
もう仲間の失態を見ていられないと眉間の皺で語るバルトロマイは、名乗りを上げるとすぐに広間から出て行った。
「だそうよ、二人共。バルトロマイに感謝しなさい」
「期待してるよー」
「手柄を独り占めしたらぶっ殺す!」
「……やれやれね」
尻拭いに行ってくれる仲間に対して、反省の心も感謝の言葉もない二人に、マティアは溜め息を漏らした。
幹線道路のウンター・デン・リンデン沿い、アンペルマンショップのすぐ隣に、ヤコブのアルバイト先の飲食店がある。
レトロで親しみやすい雰囲気の伝統料理が楽しめるレストランは、地元の人だけでなく観光客も立ち寄る人気の店で、夏でも昼時には外に列ができるほどだ。
現在は午後二時だが、忙しい時間帯はまだ続き、店内も賑やかだ。サスペンダーに蝶ネクタイの民族衣装風の制服を着たヤコブも、キッチンカウンターとテーブルを何度も往復して動き回っている。
「お待たせしました。グーラッシュと、シュニッツェルです」
「ヤコブくん。テラス席のお皿片付けて」
「うぃっす」
ヤコブは先輩スタッフに言われ、トレーを片手に空いたテラス席の食器を片付けに行く。入口付近に待機する客はいないので、もうすぐ落ち着いてきそうだ。なので、こっそり小休憩のつもりで少しゆっくり片付けた。
「ヤコブ」
その時に声を掛けて来たのは、学校帰りに立ち寄ったシモンだ。
「おう、シモン。お帰り」
「今日も忙しそうだね」
「おかげさまでな。こっちに用事か?」
「ううん。もうすぐ休憩時間かな、って思って」
腕時計を見ると、もうすぐ午後三時になろうとしていた。客も並んでいないわけだ。
「じゃあ、少し待ってろよ」
「わかった」
十分ほどしてヤコブは休憩時間となり、二人は近くのドーナツ屋に入った。
ヤコブはグレイズドーナツとピスタチオクリームのドーナツ、シモンはヘーゼルナッツクリーム入りドーナツを注文した。
久し振りの放課後デートでちょっと嬉しいシモンは、甘いドーナツに満足する。ところが、デートは満喫しきれていなかった。
アルバイトの休憩時間のあいだしか、デートができないからではない。ヤコブの口数が少なくて気掛かりだった。
「ヤコブ、疲れてる? 夏バテ?」
「いや。そんなことないけど」
「じゃあ、なんで元気ないの?」
「……アレンに、悪いことしたなと思って」
「MVの出演をキャンセルしたこと?」
公園でのあの出来事のあと、自分にMV出演は相応しくないと考えたヤコブは、出演キャンセルを申し出ていた。
「だから、キャンセルしていいのって訊いたのに。後悔してるなら、今からでもキャンセルをキャンセルすれば?」
「いや。それは……」
「ヤコブは、過去のことがあっても出てみようって思ったんでしょ?」
「そうなんだけど……。やっぱ、俺なんかが出ちゃダメなんだ」
ペトロから、あの行動はトラウマを想起したのが原因だろうと聞いた。ということは、音楽に近付けないと言っていたことやMV出演をキャンセルしたのも、トラウマと関係しているのは確かなようだった。
ヤコブはトラウマと向き合おうとして、MVに出ることを決めたはずだ。それなのに引き返すのは、チャンスを逃しているだけだ。だからシモンは、少しでも手助けをしたかった。
「ヤコブは、音楽が嫌いじゃないんでしょ? 好きだから、MV出演も受けられたんだよね。キャンセルしたことを少しでも後悔してるなら、きっと辛いこととも向き合えるようになるよ。だから、どうしたら今日より明日がよくなるのかを考えてみよ」
辛いなら距離を置けばいいが、一度でも前向きに考えられたことはいい兆しだ。ヤコブにその勇気を忘れてほしくないと思って、シモンは微笑んだ。その言葉に、ヤコブはまた前向きになろうとした。
「そうだよな……。とりあえず、急に出演キャンセルしたことはちゃんと謝った方がいいよな」
「うん。理由も、言えたら言った方がいいよ」
トラウマと向き合えるようになり、シモンでも迷える手を引っ張ることはできる。しかし、無理やり前に進ませるのではなく、これまで通り変わらず支えることが一番いいと、シモンは考えていた。
飲食を終え店を出た。ヤコブはアルバイトに戻るので、ここでいったん解散する。
「じゃあ、アルバイト頑張ってね」
「おう。気を付けて帰……」
その時だった。二人は死徒の気配を感じ取る。
「この気配は、死徒か!」
「結構強く感じる……。近いね」
「俺、制服のままなんだよな……。でも、店戻って着替える時間はなさそうだし。このまま行くか」
店に連絡をしなくても、戻って来なければ祓魔に行ったと察してくれる。なので、ヤコブは制服のままシモンとともに、気配を感じるジャンダルメンマルクトへと急行した。




