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彼女のよんどころなき秘密

秋空高く晴れ渡る十月某日、僕はある一人の生徒から相談を受けた。

と言っても、別に頼られたわけではない。とある事情から、彼女のよんどころなき秘密を知ってしまい、「知られた以上はただじゃあおかねえ」と、半ば強制的に同犯者的立場へと引きずり込まれたのである。

彼女の名前は――いや、本当は、この言葉にも重大な誤謬があるのではあるが、とにかく、その名を、叙奏薫(じょそう かおり)と言う。




金曜日の昼休み、僕は職員室へと急いでいた。

部活の存続に関する、顧問に提出しなくてはならないいくつかの重要なプリントを、緋色院さんに押し付けられたのである。

「いっそ潰れてしまえ」と思っても、口には出さないことが、平穏穏便な学活を送る上での秘訣であることを、僕はここ数日のうちに、急速に学びつつあった。

爆睡する丘品先生を揺すって、叩いて、なだめすかして、どうにか書類を渡し、さあ昼ごはんだ、と教室に戻ろうとしたところで、背後から僕を呼び止める声がする。振り返ると、浦内さんが難しい顔をして立っていて、

「少し、話がある」

僕は思わず身構えた。

転校して以来、主にAV研に関わる事柄で、彼女には再三叱られてきたのである。浦内さんに話しかけられるということは、すなわち気づかないうちに、なにかろくでもない失態を演じてしまった、ということにほかならなかったのである。

「いや、あの、ごめんなさい」

訳の分からないままへどもどしていると、浦内さんは悲しげな顔をした。

「そんなに四六時中怒っているように見えるのか」

「まあ、少なくとも僕に話しかけるときは」

何やらショックを受けたような様子で「そうなのか」と何度も呟いてから、ふと我に返って咳払いをすると、

「とにかく、ちょっとこっちへ来てくれ、会わせたい者がおる」

言われるがままについて行くと、廊下の影で生徒が一人、所在なさげに立っていた。栗色の髪の毛をした、小柄な少女である。

大分失礼な物言いだけれども、久しぶりにまともな人を見た気がして、僕は胸を撫で下ろした。

だが、二人を引き会わせた浦内さんが、役目は終わったと言わんばかりに壁に寄りかかり、こちらを見ているのに気が付くと、またまごついた。

件の彼女は、涙を湛えた瞳で僕を見つめては、躊躇いがちにその目を伏せて、ほうと深いため息をつくばかりである。

僕だって木石で出来ている訳で無しに、同級生の女子に、人目のつかない所へ呼び出されて、その子が意味ありげな流し目を度々こちらに送ってくるというお定まりの状況に、不埒な妄想が膨らまなくもないのだけれど、しかし記憶にある限り、彼女とは大分前に、次の授業のことで二言三言話したことがあるくらいで、例えば暴漢から身を呈して彼女を守ったとか、そういうロマンティックな出来事は、ひとつたりともありはしない。

人が人を好きになる時は、案外なんの事件もなく、ただなんとなく好きになるのだ、という話を聞いたこともあるけれど、では四半世紀にも満たない生涯の内で、女性から憧れの眼差しを一身に集めるような、そんな男振りの良い時期があったのかと問われれば、僕は一切の迷いなく首を横に振る。

現実を見なければ、と気を引き締めて、けれども精一杯に気取って服を正すと、僕は彼女の目を見て微笑を浮かべた。

「それで、僕に何の用ですか、ええと」そこで詰まった。名前が思い出せなかったのである。

転校してきた日に受け取ったまま、尻ポケットに押し込んだままだった座席表を取り出すと、急いで名前と顔を照らし合わせる。

宇宙人、不良、御曹司等に、頭の中で斜線を引いてゆき、最後にひとつだけの小田名前を、半ば反射的に読み上げた。

「叙奏(かおる)さん、いや、(かおり)さんかな、すいません、どちらで呼べばいいのか」また謝り癖が出た。

「どちらでも構いません」

彼女はほとんど泣き出しそうな笑顔を浮かべて、僕の手を取った。

「どちらとも正しいのですから」

「公太郎、よもや、まだ名前のことに気づかないと言う訳ではないだろうな」

もちろん、気付いていた。

融けてしまいそうな白く細い腕が触れたと時、僕が慌てて身を引いたのは、決してやましい気持ちからではなかったのである。けれども、その事実を飲み込むのには、なかなか苦労がいった。


女装少年 叙奏薫との出会いは、上記のように、甚だ馬鹿馬鹿しく、けれども当人たちにとっては、あまりにも重いものであった。



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