もてはやされるための手段
教室の窓際で、二人の少女が手を取り見つめあっている。
片側の女生徒は、羞恥を端正な顔に浮かべて、けれどもう一人の少女には逆らえない様子で、濡れぼそった瞳で相手の目を見つめている。
そこにつけこんで、猫が小鳥を弄ぶが如く、もう片方の少女は妖しく、それゆえに美しい微笑を浮かべて、残酷に彼方の瞳を覗き込む。
その道の人から見れば垂涎もののワンシーンだが、しかし登校するなりこの耽美なシーンを見せつけられた僕の心に浮かんだものは、ただ恐怖と、わずかばかりの同情だけであった。
言うまでもなく、嗜虐心に満ち満ちた笑みを浮かべているのは緋色院さんである。
そしてもう片方は、転向以来どうにも声がかけづらく、接触を避け続けてきた、あのピンク色の髪の毛をした女生徒であった。
無言で退出しようとする僕に、緋色院さんは実に上機嫌な声色で、
「あら、主人君。彼女のことをご存じかしらん、この真風四子さんはねえ」
「魔女っ子がなんだって?」
そう口にしてから、僕は気になった言葉をそのままオウム返しにする癖を、本気で治そうと決心した。不快に思う人もいるだろうし、いちいち話を途切れさせてしまう。
何より、名前に織り込まれたその人の恥を、極めて無神経に突いてしまう可能性があるということを、ここ最近、二、三の例によって身をもって知ったからである。
真風さんは赤提灯の如く顔を真っ赤にすると、そのまま膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。悪いことにこの一部始終を、起床時間を間違えて早めに登校してきた安藤さんに目撃され、僕は「緋色院と共謀して、罪もない少女をいてこました大悪人」という濡れ衣を着せられ、ただでさえ低かった女性陣からの信頼を、再度大きく失うという騒動が起こった。
しかし、悲しいかなこんな出来事は別段珍しいことでもないために、今回は詳細を省かせていただく。
昭和の中期、とある剽軽な若者たちが、全く唐突にある事を思い立った。
「ちやほやされたい」
「女の子にもてたい」
「しからばどうすべきか」
「正義の使者にでもなろうか」
何故もてはやされるための手段として正義の味方を選んだのかは、未だ持って明かされぬ永遠の謎である。ともあれ、若者たちは自らヒーローと悪人を演じ、その様を衆目にさらしたり、手持ちのカメラで撮影したりした。
これが当たった。戦後の人々は「強い日本」を強く欲していたのである。設定上は強大な悪である秘密結社に、たった一人で立ち向かうヒーローの姿が、とてつもなく受けたのである。
かくして爆発的な速度で成長したヒーローと悪の組織は、密接に関係しあう別個の組織をそれぞれ作り上げた。
これが日本ヒーロー連合と、秘密結社悪の組織極東大連合の歴史の概略である。
そして、ヒーロー連合の傘下にあって、更に独自の発達を遂げたのが、真風さんがかつて所属していた「魔法少女組合(旧魔女っ子大連合)」であった。
主に小学生から中学生までの少女によって構成されるこの組織だが、しかし小学六年生と中学三年生の占める割合は極端に少ない。
受験勉強の為に魔法少女を卒業する学生が多いためである。
真風さんもその一人で、五年生の頃に脱退して以来、第一志望に合格、翌年学校側の不祥事が露見し閉校、転校までの一連の流れにおいて、魔法少女に変身したことは一度もないのだという。
「今考えれば、あんなふりふりな衣装なんか着て、正気の沙汰じゃあなかったわ」
中学生になり、早熟な同級生たちの瀟洒な服装を目のあたりにした彼女は、いかにも「お子様向け」な魔法少女の服装を、憤怒の念を持って放擲したのである。
それからは、髪の色以外ごくごく一般的な女学生として生活してきた真風さんに、しかしここで悲劇が訪れた。
昨晩遅くに、緋色院さんからかかってきた「お話があるから、明日はいつもより早く登校して欲しい」という電話に、一抹の不安を覚えつつも、しかしまさかそんなことはあるまいと、勇気を振り絞って教室のドアを開いた彼女が目にしたものは、かつて販売されていた自身のキャラクターグッズを握り締め、笑顔でこちらを見つめっる緋色院さんの姿であった。
絶句する真風さんの前で、彼女はある一節を口にした。
「たららた、すいすい、ラナルドリード、ちょっとおしゃまな魔女っ子よっちゃん、恋ノチカラで大変身」
足元から体中の血が流れ出てゆくようであったと、後に真風さんは語っている。
それは紛れもなく彼女の変身呪文であった。
呆然と立ち尽くす彼女の耳元に口を寄せて、緋色院さんはこう囁いたのである。
「今日の放課後、私の前で変身していただけると、とても嬉しいのだけれど」
その時の真風さんの心情は如何ばかりのものであっただろうか、神ならぬ好みには知る由もないが、とにかく、これが朝の密会のあらましである。
結局、彼女は変身することを許諾した。断って緋色院さんの口から事実を暴露されるよりかは、潔く自ら正体明かした方がまだマシだと考えたのだろう。
緋色院さんはこの結果に痛く満足し、彼女の肩を抱くと、猫なで声で、
「大丈夫、私に任せておきなさい。昔の衣装をそのまま使うわけがないじゃない。誰が見てもあなたとはわからないくらいに、綺麗にしてあげるわ」
それはそれで恐ろしいとは思えど、彼女に逆らえるはずもなく、真風さんは肩を落として自分の席へと戻っていった。
授業中も俯いたままため息を連発してばかりで、その態度に腹を立てた芽河さんが直訴しようと机の前に立っても、親類縁者悉く地獄に落とされ、いよいよ次は自分の番だと言わんばかりの底抜けに陰鬱な顔を目の前にすると、小言の一つも出てきやしない。
昨日まであんなに明るかったあの子が何故、と首をひねるクラスの面々も、帰りの会が終わり、続々と帰宅し始める生徒たちの中でただひとり、ゴルゴダの坂を登るキリストさながらの足取りで歩く彼女の靴の先が緋色院詩織の机に向いているのを見ると、全てを理解し心の底から同情したあと、逃げるように帰路につくのである。
緋色院さんはただ静かに笑って彼女の手を引くと、振り向きざまにAV研全員とヒーロー、そして怪人に向かって、
「皆さん、焼却炉の前に来ていただけるかしらん」
無論、逆らう者など一人としていなかった。




