こんな不審な男
土井中仮面 第六話「卑劣!ホカホカ湯上りを襲う黒い影」
(野原に子供が一人縛られている。ノリ男が上手側から入ってきて、子供を立ち上がらせる。)
怪人ノリ男「ふふふ、馬鹿なガキめ、お風呂上がりに親の元を離れて一人ふらふらと出歩き、こんな不審な男に捕まってしまうとはな」
(ノリ男、子供の前に出て両手を広げる。)
怪人ノリ男「そしてまた、なんと愚かな親よ。一時でも子供から目を離してしまうとはな。これではこんな(と自分の胸に手を当てる)不審者に連れ去られてもしようがないな」
捕まった子「助けてー」
怪人ノリ男「(高笑いして)無駄だ。まったく、常日頃から防犯ブザーなどを持ち歩き、遅い時刻になったら絶対に一人で出歩かなければ、このようなことにはならなかったものを」
捕まった子「助けてー」
怪人ノリ男「無駄だというに。今頃は大人たちもお前を探しているのだろうが、このように物陰が多く身を隠せる所や、人気のない場所を優先的に探さない限り、そう簡単には見つからないだろうな」
土井中仮面「そこまでだ、ノリ男!」
怪人ノリ男「むっ、声はすれども姿は見えず。何処にいる?」(土井中仮面を探して辺りを見回す。)
土井中仮面「(下手川から徒歩でやってきて)ここだ!商店街入口の、市民の皆さんが誰でもご利用になれる駐輪場に自転車を止めてやってきたのだよ」
怪人ノリ男「げぇっ、無計画に商店の入口などに置かずにやってくるとは、ナマイキなやつめ」
土井中仮面「さぁ、お前の悪事もここまでだ、土井中カッター!(振りかぶって投げる)」
怪人ノリ男(腹のあたりでカッターを受けて)「ぐっ、やられた!(被弾箇所を押さえながら)しかし、我が悪の組織極東第六支部は、不注意な人間がいる限り、何時でも何処でも現れるぞ。精々、周りの人達に迷惑をかけていないかどうか、自分の生活態度を省みてみることだな!(高笑いしてその場から去る)」
捕まった子「(縄を解いてもらい)ありがとう、土井中仮面!」
土井中仮面「うん、これに懲りたら、もう無闇に親御さんの元を離れちゃダメだぜ。それでは、さらばだ!」
(土井中仮面、下手側に走り去る。)
「酷い脚本!」
いくらか集まっていた人も、潮が引くように帰って行く中で、唐突に詩織ちゃんがそう言い捨てたので、私はびっくりしてしまいました。
何人か振り返って私たちの方を見ましたが、それを気にも留めない様子で、詩織ちゃんはつかつかと人質の主人君に近寄ると、
「いくらなんでも、あんまりだわ」
「僕に言われても」
主役の二人が去ったあとで、主人君はただおろおろするばかりです。
私たちが詩織ちゃんに電話で呼び出されたのは、お昼を過ぎてからのことです。
「今すぐ駅前に集合していただけるかしら」
少しでも遅れたりしたら、あなたが内緒で書いている小説のことをばらすと言われて、私は気を失いかけました。
「何故そのことをご存知なのですか」
聞き返した時には、既に電話は切れていて、お母さんが寒くなってきたからと上着を着せようとするのもまどろっこしく、私は急いで家を飛び出しました。
集合場所には芽河さんと晩空君、そして詩織ちゃんが悠然と立っていて、私を見るとにっこりと微笑んで、
「良かったわね、ビリじゃあなくて」
芽河さんに支えられながら、私は改めて詩織ちゃんを恐ろしく思いました。
息を整えるために、しばらくぐったりしていると、痺れをきらした様子の晩空君が、詩織ちゃんに詰め寄ります。
「お前、いい加減に集まった目的を言えよな」
「あら、最下位は弓角君みたいね」
指差す方向を見ると、色付き始めた草原の向こうから、たんぽぽのような金色が、急ぎ足でこちらに駆けてくるのが見えます。
距離も遠く、弓角くんの足では、まだまだ時間がかかりそうです。
すると、詩織ちゃんは手を筒の形にして口元に持ってくると、実に可愛らしい声色で、
「弓角君、早くしないと、あなたが寝るとき枕元に人形を」
突然風が吹き付けてきたかと思うと、弓角君の手がぱっと詩織ちゃんの口を塞ぎました。
けれども、自らの尊厳をかけた地獄の短距離走はたいへん体によろしくなかったようで、そのまま弓角君はへばってしまいました。
疲労困憊の弓角君を満足気に見下ろしてから、詩織ちゃんは全員の顔を眺め回すと、何も言わずに原っぱの方へと歩き出します。晩空君と芽河さんの追求にも答えず、それどころか振り返って「少しは静かにしなさいな、他の皆さんに迷惑よ」と忠告しました。
気がつくと、いつの間にか私たちは人だかりの中にいて、詩織ちゃんはその一番前に陣取ると、私たちを手招きしました。
どうやら病み上がりらしい男の子が(いろいろな病気に罹って来たせいか、私は人がそろそろ病気になりそうだとか、もうすぐ治りそうだとかのことが、自然とわかるのです)お父さんに肩車をせがんでいたりして、なんだか和やかな雰囲気です。
そんな中で詩織ちゃんを問い詰めるのも気が咎めるのか、まだ肩で息をしている弓角君を支えながら、二人は不機嫌そうな顔で詩織ちゃんの近くに座り込みました。
そして、土井中仮面とノリ男の対決が始まったのです。
恥ずかしながら、私は今までヒーローショーというものを甘く見ておりました。
「ぴちぴちのハレンチスーツを着た男性が、着ぐるみを蹴ったり叩いたるするだけなのでしょう」と思っていたのです。
「なんたるバイオレンス!」
けれども、その認識は間違いだったと思い知らされました。土井中仮面のアクションの素晴らしさといったら!
問答無用とばかりに放たれた土井中カッターがノリ男さんに命中した時など、私はついとなりの男の子と一緒に快哉を叫んでしまいました。
脚本もまた素晴らしく、怪人を倒しながら自然と防犯を学ぶこともできるという、保護者の方への思いやりに溢れた見事な演出。私も趣味で下手な小説をあくせく書き進めてはいるけれど、こんなに深いものはまだまだ書けそうにもありません。もっともっと学ばなければ、と痛く感じ入りました。
けれど、詩織ちゃんはこの脚本がなによりも気に入らないようで、主役を呼び戻せと主人君に訴えています。
「すぐ戻ってくるよ、現場の後片付けとか、色々やることがあるんだから」
果たして主人君の言った通り、数分のうちに土井中仮面とノリ男さんがそろって帰ってきました。
共にヒーローを応援した男の子が帰ってしまったのを残念がる私を尻目に、詩織ちゃんはお二人に本日の公演の台本を要求しました。
ノリ男さんから手渡された台本は、大きめの紙を半分に折っただけの薄いもので、この一枚にあの冴えた演出を織り込んだ脚本家の方に、私は深い尊敬の念を抱きました。
「緋色院さん」今回は邪魔しないって言ったじゃあないか、と言外に意を込めて、苦々しい顔をする主人君に笑顔を向けると、その表情のまま詩織ちゃんはノリ男さんの方に向き直りました。
「ねぇ、市の関わっている行事だって言うなら、この後あなたたちは市役所に色々提出したりするのかしら」
「ああ。つっても、実際に細かいとこを書くのは支部長で、俺たちは簡単なレポートみたいなのを支部長に出すだけだが」
お客さんの入り具合とか、反省点とか、結構書くぜ、と説明するノリ男さんの言葉を聞きながら考え込んでいた詩織ちゃんは、やがて何かを思いついた様子で台本を握り締めると、
「お願いがあるのだけれども、明日はその怪人スーツと、ヒーロースーツを学校に持ってきていただけないかしら」
「良いの?本当に?まぁ嬉しい、ありがとう」二人に一切口を挟む隙を与えずにそこまで言うと、詩織ちゃんは踵を返して可憐に走り去って行きました。
いつものように取り残された私たちは、「台本、提出しなくちゃいけないのに」というノリ男さんの呟きで我に返ると、困ったように顔を見合わせました。実際、困っていたのです。
「あいつ、今度は何を思いついたんだろう」
「おおかた、ロクでもないことでしょうね」
「紀男、本当にその格好のまま学校に行くのかい」
「阿呆か、パーツごとに分けて持ってくに決まってら」
ノリ男さんは忌々しそうにご自分のスーツを見下ろしました。
明日の彼の困難を思うと、詩織ちゃんもなかなか無茶なことをいうものだと、私は一人で憤慨していました。
というのも、ノリ男さんのコスチュームは、液体スティックノリをそのまま大きくしたものを被って、底から足を、側面から手を、正面の顔出し穴から顔面を突き出すというもので、部品ごとに分解すると言っても、精々赤いキャップの部分を胴体から外すくらいのことしか出来ないように見えたのです。
「明日は大荷物だな」と呟くノリ男さんに、私は密かに同情しました。




