勇者の鍛錬
放物線を描いた小石は、狙いを外れて見当違いの方向に飛んで行き、僕は面白くなくなって草地に座り込んだ。
「慣れれば上手く投げられるようになるさ、僕も大分練習したもんだ」
仮面君はそう言って、握った小石を横に軽く投げた。
小気味の良い音がして、的にしていた空き缶の男の顔がひしゃげた。
情けない表情をしたそれに、僕はリベンジのつもりで大振りに石を投げる。
明後日の方向に消えた小石を呆然と眺めていると、風に吹かれて缶が横倒しになった。
あまりの投擲センスの無さに、腹を抱えて笑い転げているように見えて、僕は悔し紛れにそいつに近づくと、至近距離から回収ボックスに叩き込んでやった。
時計は十時前をさしている。
「台本を忘れた」と言って商店街の方に走っていった山都君も、そろそろ戻ってくる頃だ。
九時頃に集合場所に着くと、既に二人が何事かを話し合っていて、遅れてしまったのかと焦ってあいだに飛び込むと、どうやら今日繰り出す必殺技について協議していたらしく、仮面君がヘルメットから銀色の逆三角形を取り外すと、
「じゃあいつも通りに『仮面カッター』でとどめってことでいいかな」
「そうしてくれると助かる」
「仮面カッターって?」と頓狂な声を上げると、仮面君は三角形を捻ったり伸ばしたりしながら答える。
「僕の技さ。他に技がないもんだから、いつもこれを最後に持ってきてるんだ」
「つっても、頭の飾りをとって、薄く伸ばしたのをぶん投げるだけなんだけどな」
宴会用大皿くらいに平たく広がった三角形には、よく見ると縁にゴムカバーのようなものが付いている。
本当はキックとかやってみたんだけど、版権の関係が難しくてね、と呟いて、仮面君は僕の方を向いた。
「しかし、一時間も前に来るとは思わなかったよ」
「俺たちは前準備とかもあるから早めに来ただけだしな」
二人から褒められて、僕はみっともないくらいに反り返って、実に良い気分になった。
早くに来たのは、別段褒められる理由でもない。単純に暇だったのである。
周りが山ばかりであるためか、土井中の電波状況は最悪だ。
我が家のおんぼろテレビに砂嵐の映りこまない番組はないし、父さんが仕事用にと持ってきたノートパソコンは、屋根裏部屋に置かない限りただのインテリアにしかならず、携帯の電波状況が圏外から変わったところを、僕は今だに一度も目撃してはいないのである。
当然、数少ない友人とのメールのやりとりなんぞ、出来るはずもない。
田舎の方に引っ越すと聞かされた時も、まさか電子機器が軒並み使えなくなるとは夢にも思わず、友人たちの電話番号なども聞いてこなかったせいで、唯一の電信手段たる黒電話も、今の僕にとっては役に立たないただの置物である。
結局、長い休日の時間を、僕は惰眠を貪るか勇者の鍛錬に費やすしかなく、おかげで体調はすこぶるつきに良好で、勇者コウタロウは今や向かうところ敵なしである。
そういった事情を思い出して鬱々とする僕に、仮面君は「せっかくだし、これ、投げてみるかい」と持ちかけてくれたのである。
いまや無残にひしゃげてしまった空き缶を見ながら、僕は首を横に振った。
「やっぱり、僕はヒーローになれそうもない」
彼の唯一の武器を、妙なところに放り投げて壊してしまうことを恐れて、まずその辺の石で肩慣らしでもしてからにしよう、という提案を勧めた先程の僕の判断は、やはり正解だったのかと空しく思った。
「そんなこたないさ。僕にだってなれたんだ、何回か練習さえすれば、いつか出来るようになるとも」
カッターを元の大きさに戻そうと、捻る、蹴る、踏むの奮闘を続ける仮面君の背後に、台本らしきものを握りしめてこちらに走ってくる山都君の姿が見えた。




