市役所公認の秘密結社
夏の最後の長雨が、それまでの暑気と一緒に自宅前の小川の橋も一緒に流しさってしまい、立ち尽くす体に吹く風もすっかり冷たくなった十月のある日、僕は人質になった。
別に凶悪事件に巻き込まれたわけではない。頼まれただけである。
駅から徒歩で十分程のところに、何処かの樹海から毟ってきたけれど、どうにも始末に困ってしまい、仕方なく「ここなら人目のつかないだろう」とポイ捨てされたかのような林がある。葉に遮られて、地面に陽の光はまともにあたらず、そのせいでいつも湿っている。
そこを音を立てて歩いて行くと、古びたアパートの前に出る。
柿渋色の木造建築で、二階までびっしり蔦に覆われている。
壁から屋根にかけて見境なく絡みついているから、強く引っ張ると、たちまちアパートごと倒壊してしまいそうな趣すら感じる。
そこの二階の手前側の部屋で、這い寄る数多の節足動物たちと日々孤軍奮闘している少年こそ、土井中の支配を企み暗躍する秘密結社、悪の組織極東第六支部に所属する幹部怪人、山都 紀男なのである。
「人質になってくれるはずの子が、季節の変わり目で熱出しちゃってよ。今回は野外で戦闘するっていうシチュエーションだから、さ」
昼休みの教室で山都君はそう言うと、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「病み上がりの子供に、ずっと外にいてもらうのは、まずいだろうし」
ノリ型怪人だと自称する山都君は、短く刈り込んだ頭に白いタオルを巻いた男子学生である。
痩身だが筋肉質で、三白眼気味の目の端はつり上がっている。
彼が籍を置く悪の組織極東第六支部は、前述したように土井中の総攬を狙う団体であるが、かと言って彼らが本気で侵略活動を行っているわけではない。
というのも、市からの依頼を受けて事件を起こし、地元のヒーローに倒されるのが彼らの仕事なのである。
「市ぐるみ演劇みたいなものさ。大体いつも、商店街がターゲットになるんだが」
いまいち理解できていない僕に、噛んで含めるように山都君は説明する。
「市から依頼を受けたら、俺たちがそこに行って、なるべく人目を惹くように、実害が出ないように事を起こす。人が集まった頃合をはかって、ヒーローが出てきて俺たちを倒す。俺たちが敗走して、ヒーローも役目を果たして帰ると、店の方で残った野次馬に商品を売ったりするんだよ」
派手な客寄せだな、と彼は笑って、それから急に真面目な顔になった。
「それで、来週もまた一つ事件を起こすことになっているんだが、さっき言った通りでね」
一時間くらい縛られているだけでいいんだ、という物騒な字面の頼みを、結局僕は引き受けることにした。
今でこそ温室育ちのもやしっ子として、弱くか細く情けなく人生を享受しているが、まだ歯も生え揃わぬ子供の頃などには、ウルトラな戦士やライドする仮面の男に憧れて、遊具の上によじ登ってでたらめに技名を叫んで飛び降り、足をくじいて泣きながら家に帰ったこともあるのである。
そういったヒーローへの憧れや悲しい思いでのことを話すと、山都君は気不味げに僕をみて苦笑いをした。
「まぁ、土井中のヒーローだから、そんなに大した奴じゃあないさ」
「しかし、ヒーローを間近で見る機会なんて滅多にないぜ」
「そんなことはない」彼は振り向いて、机に突っ伏して熟睡している男子生徒を、顎で指した。
「こいつが土井中担当のヒーローだもの」
件の生徒は、牛の唸るような声を上げて、寝苦しそうに寝返りをうった。
駅前の商店街、通称土井中銀座の人々の笑顔が、市役所公認の秘密結社、悪の組織極東第六支部によって曇らされるとき、彼は愛用の自転車に乗って現れる。
破廉恥なまでに真っ赤に染め上げられたヒーロースーツは、サイズが合わないせいで袖が余っている。
ズボンの裾もまた長く、いつも引きずって歩いているせいで、今の彼の裾は、一種新しいファッションであるかの如く見事に擦り切れている。
最大の特徴は頭部にあるヘルメットだ。
バイクのそれを改造したものらしく、スーツと同じく恥ずかしいほど赤い。
その中央に三本の白い線が入っていて、額のあたりに、銀紙で作ったかのような安っぽい逆三角形が張り付いている。
最近キャラクター饅頭が商店街で発売された秘密結社悪の組織極東第六支部との戦いに明け暮れる彼を、人は安直に「土井中仮面」などと呼んで、それなりに頼りにしていた。
その正体は、在鍛理学園に通う一中学生であり、スリッパ履きで登校してくる究極の不精者、仮面 正義その人である。




