終わらないお祭り
一人の少女が、土井中から姿を消した。
焼却場の魔物について取材を行っているときに聞いた話である。
おじいちゃんが若いときの話だって言ってたから、もう何十年前になるかしら、と取材に応じてくれたその人は言っていた。
「今じゃあ、私がおじいちゃんと同い年になっちゃった」と笑って、彼女は僕らに煎餅を勧めた。
「神隠しってやつですかね」
気だるげにそれをかじりながら、晩空君はため息をつく。「オカ研が喜びそうなネタだ」
「土井中には、不思議がいっぱいだなあ!」
無邪気にそう言った弓角君のセリフを、僕はまだ覚えている。
夏河岸さんはようやく院部君から視線を外すと、再びやぐらの方を見下ろした。
「いっちゃんね、お祭りが好きなんだ。昼でも、夜でも、とにかくずっとみんなが一緒にいて、一緒に笑って、一緒にはしゃぎまわって、いろんな出来事があって、それを眺めたり、時々参加したりして。
終わらないお祭りの中にいたい。いつまでも続くお祭り、いつまでも一緒で、いつまでも笑ってて、いつまでもはしゃいでて、それで、少し疲れたら、こうやって院部ちゃんと一緒に、ちょっと離れたところから、お祭りを眺めていたいの」
ワンピースを翻してくるりと振り向くと、麦わら帽子で口元を隠して、夏河岸さんはもう一度微笑んだ。
「こうやって、またすぐにお祭りに行きたくなっちゃうけどね」
急に走り出したかと思うと、神社への道の入口で、彼女は院部君の方を見た。
「先に行ってるよ、院部ちゃん神社の前で待ってるね」
林の中を駆けて行く音が遠くなって、あっという間に聞こえなくなった。
僕は出歯亀ポイントから這い出ると、院部君に駆け寄った。
「院部君、怒らないで聞いてくれよ」
「ああ」
「そのクロロホルムは偽物だ」
「ああ」
「怒ったかい」
「ああ」
「別に怒ってもいないのかい」
「ああ」
「あんた、本当は宇宙人じゃあないんでしょう」
「ああ」
いつの間にか隣に立っていた緋色院さんは、彼の触角を掴むと、無造作に引っぱった。
「ぎえっ」と叫んで倒れると、院部君はもそもそと起き上がって、僕の顔をじっと見た。
「すまぬな、コータロー。実験は失敗である」
妙に虚ろな彼の声を、僕は黙って聞いていた。声が出なかったのである。
院部君の目は僕を見てはいなかった。緋色院さんすらその目には映らない様子で、神社に向かって歩きながら、彼はぽつりと呟いた。
「コータロー、お前さんが来てから、学活は毎日がお祭りサンバですぞ」
「そうかな」
「うむ」触角をぴくりとも動かさないまま、彼は林の中に足を進める。
「だから、いっちゃんの奴がおっしゃるお祭りってのは、学校生活のことではなかろうか?」
「どうだろう」
僕の言葉も殆ど聞こえてないようで、月の上を歩くような足取りで、院部君は林の闇に消えた。
ぽつねんと残された僕は、緋色院さんのため息で我に返った。
「耳を塞ぎたくなるほど青臭い照れ隠しね」
けっ、と渋い顔をして彼女は言い捨てる。「終わらないお祭りですって」
「タイムトリッパーと言ってたぜ」
固まった鼻血を剥がしながら、僕は努めてなんでもない様子でそう言った。
「冗談にしても、全然笑えないよね」
「宇宙人がいて、アンドロイドがあって、それでタイムスリップは信じないのかしら」
僕はただ黙っていた。
「悪いけど、今日はもう帰るよ」
僕はその時、精神的にも物理的にも洒落にならないダメージを、頭部に負っていたのである。
「帰って、風呂入って、寝る」
緋色院さんは止めようともせず、ただ小さく独り言を言った。
「院部でも、誰かに惚れることがあるのね」
甘酒を飲んでからの記憶が一切なく、また怪我人が一人も出なかったこともあって、安藤さんの処罰は反省文だけで済んだ。
明朗快活な彼女も、今度ばかりは流石に笑っておられず、説得に当たった男子生徒に「くどい」と言われるまでの三日間を、会う人会う人に謝って過ごし、逆に相手を恐縮させた。
その三日の間、僕は院部君の姿を、一度も見ることができなかった。
無断欠席が三日目に突入した時点で我慢ができなくて、僕は嫌々ながら校長先生に彼の安否を尋ねたが、校長は「感動的な告白だったねえ」とはぐらかすばかりであった。
「打ち上げ花火のタイミングはばっちりだったかな。あれは私が飛ばしたのだよ」
「夏河岸さんは、本当にタイムトリッパーなんですか」
「君はもっと自分の能力を磨きたまえよ。ほら、夏河岸、伊代。なつかし、いよ。懐かしいよ」
久しく忘れていた能力のことを思い出させられて、僕は不機嫌になった。
へらへらと笑う校長に見切りをつけると、僕な足音を立てて下駄箱に向かった。
あくる日、いつも通り早めに登校して、荷物を整理していると、音を立てて扉が開き、ひどく野性的な出で立ちの院部君が現れた。
「やった。我のやつ、とうとうやりやがった」
目の下にくまをこさえて、シャツは破れ、触覚だけが無傷の彼は、教卓に倒れ伏すと、達成感のみなぎる声でしゃべりだした。
「スクールライフを永遠に続けるために、我はついに昨日新たな粒子を作りやがる予定なのだ」
粒子は作るものではなく、発見するものじゃあないか、という疑問を、僕は口に出そうとは思わなかった。
「どんな粒子なんだい」
「太陽すら嘲笑うという有名な一家から着想を貰い受けてな、SZE粒子という名のこんちくしょうは、人間の体にのみ作用してな、大体八時間ほどホモ・サピエンスがそれを浴びると、ここ一年分の記憶と成長がぽんと消えてしまうのである。土井中全土に行き渡るよう、照射装置を昨日四方の山々のてっぺんに置き去りにしてやった。こいつを春休み最終日に動かせば、僕たち私たちは永遠にガラスの十代」
そいつはすごいやね、と適当にあしらう僕の肩を鬼のような形相でつかみ、院部君は息も絶え絶えに続けた。
「伊の字には内密に頼むぜ、教卓の前の皆、我との約束だ」
そこまで言うと、糸が切れたように彼は動かなくなった。少しして登校してきた水素さんと安藤さんは、教卓の上で規則正しい寝息を立てる彼を見て、軽くため息をついた。
「しっかし、いつ見ても人間離れしているな、この院部団平は」
「そうでもないさ」先程の彼のセリフを思い出して、僕は笑いながら言った。
「今日なんかは、なんだかものすごく人間臭く見えるよ」
じゃあ普段は人間と思ってないのか、という安藤さんの言葉から、僕は聞こえなかったふりをして逃げた。




