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怪人鼻血男

聞き覚えのある音がして、木陰から身を乗り出すと、やぐらの上辺りから何か光るものが飛んで来るのが見える。

あっと驚く暇もなく、それは急に失速すると、院部君たちの前で弾けた。


夜空にぱっと広がって、二人の姿を照らし出す。

一見吐き気のするほど甘くロマンチックな情景だが、彼女の後ろで佇む彼の手はクロロホルムを握ろうとしているし、その後方には、全身くまなく蚊に刺されて奇妙に膨れた男が鼻血を流して呆然としている。

胸がときめく青春風景の一場面というよりかは、B級ホラー映画のワンシーンのようである。

知らぬが花というべきか、それでも夏河岸さんは心の底から感動した様子で、怪人鼻血男が急ぎ木陰に隠れても、まだ花火の名残を夜空に見ていた。

「院部ちゃん、これを見せるために、いっちゃんを呼んだのね」

「そうであるとも」

痺れを切らしたのか、夜景を眺めている夏河岸さんの背後で、院部君の手には薬瓶がしっかりと握られている。

今こそ参上すべしと立ち上がると、今度は緋色院さんに服の端を引かれて後ろ向きに転倒し、木の瘤に背中をしたたかに打ちつけてしまった。

「もう少し待ちなさいな。彼が手を出してから出て行くのが、一番効果的なんだから」

激痛に声も出せない僕に一瞥もくれず、緋色院さんは二人の様子を伺っている。

院部君は、既にタオルにクロロホルムをたっぷり染み込ませたようで、中身が香水だから、なんだか甘ったるい香りが辺りに広がって、叙情的なのか馬鹿馬鹿しいのか、いよいよわからなくなって来た。

やにわに、彼がタオルを構えて、夏河岸さんの背後に迫る。

「やっちまえッ」と緋色院さんが小さく叫ぶ。

「やめてくれっ」と、動けない僕が心の中で叫び返す。




「ありがとう」と声がした。

院部君がタオルを後ろに隠すのと、夏河岸さんが振り向くのとは、ほとんど同時だった。

「院部ちゃん、この場所、探すのに苦労したでしょう」

「え、まあなかなかにですな」しどろもどろになった彼は、咳を一つ二つして、

「神社の裏に誰も来たがらんよな、いや、花火をご覧ずるのにそれはそれは良き場所がありけると聞き、探してみやがりましたぞな。ま、それなりにわれも辛かったといふべきか。蚊に刺されたり、ハチにまで太いのをぶちこまれたけつかんね」

なんとなく嫌な表現ではあるが、彼の苦労譚はまんざら嘘っぱちでもなさそうだ。

いつだったか、朝早くに登校すると院部君が教室の隅にうずくまっていた。何事かと聞いたときに突き出された彼の腕の腫れを、僕は唐突に思い出した。

何事かをむにゃむにゃ呟き続ける彼を見つめると、夏河岸さんは再度口を開いた。

「大変だったでしょ」

「何を仰るうさぎさん。これもみな実験、いや、貴殿のことを思っての凶行でありますがな」

「院部ちゃんは優しいんだね」

花のつぼみが開くように、彼女は笑った。

「院部ちゃん、実はいっちゃんからも、マンモス重要なお話があります」

「ふむ、ほざいてみたまへ」

後に校長から聞いた話だが、この時、先ほど放たれた後、山中に転がっていた安藤さんの腕に握られていた打ち上げ花火の、その最後の一つが遅れに遅れて、ぽんと飛び出したのだという。

花火の音がしても、夏河岸さんは院部君の顔から目を離さなかった。

「いっちゃんはね、何十年も昔から、時間を飛び越えてやって来た、時間旅行者なのです」

ぱあん、と音がして、再び彼女の姿が後ろから照らされた。院部君は、身じろぎ一つしなかった。

「タイムスリッパーねえ、なんだか使い古された言葉だわ」と呟く緋色院さんの横で、僕はやけくそになって

「懐かしいよ、ね」と言った。

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