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絶好の出歯亀スポット

思えば、彼女の身勝手さが院部君を精神的に追い詰め、それを救ったことのお礼として僕が実験を拝観する権利を押し付けられたのだから、今回の騒動の大元は緋色院さんじゃあないのか。

沸き立つ苛立ちを抑えるために、やぶ蚊をぺちぺち叩きながら、僕は無茶な責任転嫁を始めていた。

裏山は、あまり手入れされていないこともあって、隠れるのに好都合な大木が其処彼処にあるのだが、ただ一つの例外として、山頂近くに、山自体が円形脱毛症にかかったかのようにハゲている箇所がある。

大人が二、三人横になれるくらいの小さな広場で、その十円ハゲから神社の方を見下ろすと、ご神木からやぐら、下り階段近くの鳥居まで、浦内寺の敷地の全域をひと目で見わたすことができる。

あれほどうるさかったお祭りの喧騒も、このあたりまで来ると殆ど聞こえず、声の大きい親父さんたちの酔いに任せた大笑いがかすかに耳に入る程度で、むしろその笑い声が、なぜか夏の終わりすら感じさせたりして、ホタルが飛び交い、マツムシも切なく咽び鳴き、星空でさえ、これでもかといわんばかりに煌めいて、まるで思春期の男女の逢瀬の場として、ロマンスの神様があつらえたかのようなロマンティック空間がそこに形成されていた。

そんな甘酸っぱい場所から一歩引いたところに、その青春紋様を余すとこなく目撃するためだけに作られたとしか思えないような、絶好の出歯亀スポットがあって、そこに僕は不機嫌な顔をして座り込んでいる。


一向にやってこない院部君。

人を見る目のない夏河岸さん。

偽物のクロロホルムを渡して逃げた丘品先生。

全ての元凶たる緋色院さん。

関係者各位の顔が、負の感情を伴って頭の中を回りだして気分が悪くなり、同じ部分を三回も蚊に食われているのを発見して、ついにこらえていた怒りが爆発し、僕はいよいよ悪鬼の如き形相となった。

そうしてホタルを踏みつけ、マツムシ蹴散らし、夜空に唾吐き咆哮せんと危うく腰を浮かせかけたところで、不意に山道を登ってくる足音がして、脆弱な悪鬼は慌てて身を隠した。


やってきたのは院部君である。僕は内心ほくそ笑み、再度立ち上がりかけた。

夏河岸さんの居る前でクロロホルムのことをばらしてしまえば、明日からの彼の待遇は劣悪を極めるだろう。今しかないと思ったのである。

だが、麦わら帽子が彼の手に引かれて来るのが見えて、僕は無意味な屈伸運動を余儀なくされた。




そうやって何度か屈伸をすると、さらに五匹ほど増えた金魚の袋を下げて、弓角はにこやかに私の手を取った。

金魚すくい屋の水面に映った彼の顔が、金魚の背びれと赤提灯の灯りのせいで上気して見える。

「さぁ、芽河さん。次は何にしようか」

「ちょ、っと、待って。休憩しましょう」

握られた手を無理にこじ開けながら、私は屋台から離れたところにある木を指差した。さっき葵たちと分かれてから、弓角は全ての屋台を制覇する勢いで私を引っ張ってきたのである。

断る暇もなく次々と買ってくるせいで、今の私の両手には、夏祭りの全てが握られていると言っても過言ではない。

「そう、まぁ、今全部まわっちゃうと、終わるまで暇になっちゃうしね」

不承不承といった様子の彼を木陰まで連れて行き、手に握っているものを、二人で取っ替え引っ変えしてどうにか整理をすると、私はようやく一息ついた。

手に持った食べ物を落とす心配が無くなると、、とたんに二人で手をつないでお祭りを歩き回ったのだ、という事実がまざまざと浮かび上がって、私はひどく身悶えした。

恥ずかしいったりゃありゃしない。

男子と二人というのが恥ずかしいのだ。

別に弓角だから恥ずかしいというわけではない。断じて違う。

けれども、明日から皆に――というよりかは詩織に、どんな噂をされるかと考えると、途端、胃に石でも投げ込まれたかのような気分になる。

私が沈痛な思いで屋台の裏側を眺めていると、やにわに弓角が「よし」と言って立ち上がり、

「ごめん、ちょっとこれ、持ってて」

私がそのタコ焼きを残りを受け取ると、あっという間に屋台の方へ駆けて行ってしまった。

まだ暖かいそれを持ったまま呆然としていると、後ろから肩口を引かれた。振り向くと、安藤がにやにやしながら立っている。

弓角とのことで何か言われるのかと身構えたが、安藤はただ頭をくりくりと揺らして笑い、私の肩に手を置いて、

「分かる。安藤はもう全部わかってる」

「はぁ?」

「独りってのはさみしいものだ。特にこういうイベント事になると、なおのこと辛い。こんなに」と言って、近くに置いてある弓角のものを指差した。

「物を買ってストレスを解消する気持ちはもう、安藤、痛いほどわかる」

どうやら私が、孤独に苛まれてヤケ買いを敢行したものだと思われているらしい。

一瞬唖然としたが、ややあって怒りが湧いてきた。

「ちょっとあんた――」

「でも良くない。非常に宜しくないよ。体にも財布にも、ゴミが出るから地球にも優しくない。人類は隣人愛を捨ててはいけないのです」

「話を――」

「孤独は辛いよ。うん、わかる。芽河は口が悪いよ。それでは人との溝が深まるばかりだ。孤独だよ、うん。いや違うよ、安藤は全然一人じゃあない。博士がいるもの。嫌なところばかり目立つけど、あいつにも良い点はあるんだ。どんなに嫌な奴でも、あいつが隣にいると善人に見えるという……やな奴だよ、あいつは」

「ちょっと、いい加減に――」

「今日の祭りにも来てないしな。先生のくせに!博士の奴、一人で行って来いと言いやがった。しょうがないから安藤に友人は多いけど、一人で来たよ、偉いだろう、褒め称えてくれよ。安藤は偉人さんだな」

「ねぇ、少し落ち着いて――」

「でも、得てして偉人は孤独だよ。行動が周りに異端視されたり……偉人は寂しい。安藤も寂しい。そうだよ、孤独だよ、安藤は。水素も他の奴と一緒に行っちゃったし。さみしいなぁ。太平洋一人ぼっちだ。辛い。虚しい。一人は嫌だ。安藤を一人にしないでくれ!」

うわぁっ、と叫ぶと、安藤は木の幹にかじりついてわんわん泣いた。

どうにもかける言葉が見つからなくて、私が狼狽していると、安藤はゆっくりと幹から顔を離し、じろりとこちらを見る。

「安藤も寂しい。芽河も寂しい。二人は孤独仲間だな。誰からも相手にされず、ただそこにいる。ならばせめて、二人だけでも互いに認め合って生きていこうじゃあないか」

にじり寄ってくる安藤に、孤独孤独と連呼されて決めつけられることへの怒りよりも、異様に悲しい二人組に編成されることへの恐怖の方が先に立ち、私は花火の袋を差し出した。

この手持ち花火は、弓角に連れて行かれた的当て屋で手に入れたものだ。

本音を言えば、花火よりも上の方にあった、ふかふかの人形が欲しかったのだが、弓角の前であるし、自分のキャラクターにも合っていない気がして、けれども一番の理由は、射的に限らず、遊びごとに関する私の腕前が、壊滅的であったことだ。

この花火だって、人形を狙ったものが、狙いが外れて当たったものだが、人形と花火とは、全く正反対の場所にそれぞれ置いてあったのである。

もしこれが狙い通りの人形だったら、絶対に渡さないだろうな、という下らない考えを振り払い、安藤に花火を押し付けて、私は言った。

「人に当たらない程度に活気のある場所で、これで遊んでたら、きっと人が集まってきて、孤独ともおさらば出来ると思うわ」

暫し目を瞬かせた後、我に帰った安藤は、花火をしっかりと抱きしめると、礼を言いながら走り去った。




しばらく木の下でぼんやりと座っていたが、そうすると先程まで一人になりたいと思っていたのに、仲間はずれにされたのだ、という気持ちがふっと湧いてきて、自らのあまりの身勝手さに、怒りよりも虚しさが先に立ち、「あああ、とうとう詩織に似てきた」と無性に悲しく思えて、俯いた。

頭を垂れていると、なんだか陰気なことばかりが思い出されて、私はいよいよ卑屈になっていった。

きっと弓角は、こんな萎びたたくあんみたいな色の浴衣が似合う道連れに愛想を尽かして、一人で祭りをまわることにしたんだ。

こんな、そばかすがあって、口が悪くて、野暮で、メガネで……。

「メガネは関係ないわよ」

一人でそう呟いてみても、ただただ虚しくなるばかりで、酔いどれオヤジ達のバカ笑いが、お腹の底に悲しく響いて、ついに私は声を上げて泣き出した。

自分で無愛想に振舞っておいて、阿呆らしい、と苦々しく思う私がいる一方で、どうしても涙が止まらない。

そうして涙を流れるがままにしてると、ぱたぱたと足音がして、見れば弓角が、なにか大きなものを抱えて走ってくる。

私が慌てて目元を拭うのを、何かしら不審に思った様子で、彼は首をかしげた。

「どうしたの?」

「なんでもない」

声が震えるのを抑えると、ことさらにぶっきらぼうになった。

「そう」と言ったきり、弓角は黙ったまま返事をしない。嫌われたな、と思って彼の顔を盗み見ると、今ここで腹でも切ろうかと言わんばかりの、一世一代の覚悟を決めたような顔をして、下を向いている。

本当に怒らせてしまった。いよいよ駄目だ、とこちらも覚悟を決めて、それでも溢れてくる涙を見られまいと、ひたすらに目元をこすっていると、目の前に人形の顔が現れた。

「あの、これ」

舌が上手く回らないようで、しどろもどろになりながらも必死に話そうとするから、突き出された人形が、話すたびに揺れる。

「さっき射撃の時に芽河さんが見てて、得意だから、でも本人の前で取るのって、なんか嫌味っぽいし、だから」

なんだが顔が暑いのは、枝にぶら下がっている赤提灯のせいだ。私はそう自分に言い聞かせた。そうでもしないと、この気恥かしさには耐えられない。

「これは、あげます」

何故か最後だけしかつめらしくそう言うと、再度弓角は人形を私に差し出した。

私の方は、まだ袖で顔を隠したままだった。喉の奥から、どうにかお礼の言葉を絞り出すと、出来るだけ速やかにそれを受け取った。

人形の腹に顔を押し付けながら、私は悶絶した。


ああ、もう、恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。


こんな気持ちになるくらいなら、さっきまでの卑屈を引きずっていた方が、どんなにか楽であろうか!

私は生まれて初めて、詩織の鉄面皮を心の底から羨ましく思った。

空前絶後の照れくささを誤魔化すために、私はひどく唐突に詩織のことを口にした。

「詩織は、何処にいるのかしらね」

言ってから、そのあまりの無関係さに、私は再度赤面した。

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