ナオンと楽に会話する十二の秘訣
踊りが終わって、自由行動の許可が出ると、僕は焦って走り出した。
院部君は踊りに参加していなかった。夏河岸さんに会う前にクロロホルムを奪取しようという僕の計画は、早くも崩れ去ったのである。
神社に向かって駆けながら、僕は彼からの手紙を取り出して、改めて文面を一文字も見逃さないように読んだ。
「アサの告はくはダミィである。同ふうのち図にしたがへ」
筆圧の濃い字で書かれた手紙に、色鉛筆で書きなぐられた地図が付いていた。
どうやらご神木がある辺りよりも、さらに奥の小さな山の上に集合場所を変えたらしい。
この手紙は、彼が学校に置き忘れた荷物から見つけたものである。
浦内寺で彼に荷物を渡すついでに計画の中止を訴えようと、とりあえず家に持ち帰ったのだが、見ると外側のポケットに四つ折りの紙が挟まっていて、その表に、ミミズが這い回ったあとのような文字で「コータローへ」と書いてある。
慌ててそれを取り出して読み、僕は計画の変更を知ったのである。
おそらくは実験を人に目撃されないための変更なのだろうが、僕にはこれが、あまり良い策には思えなかった。
仮にクロロホルムが本物だったとして、人体実験計画が恙無く進行したとしても、昨日夏河岸さんに何かあったのだ、ということをクラス全員が知っているのである。そんな状況で、彼女が実験の後遺症か何かを引きずって登校してきたら、あっという間もなく院部君は破滅である。
よし後遺症が無くても、クラスメイトは夏河岸さんに昨晩何があったのかを聞きたがるだろう。果たして実験台にされた人間が、こちらに都合よく口裏を合わせてくれるのか。
そういったもろもろの反省点も含めて、今回の実験はなんとしても中止させなくてはならない。
いくつもの屋台を横切って、神社の横の林から山頂への道へ入る。焼きそばの焦げる匂いがぷんと鼻を突いて、僕はあの朝、院部君に優しい言葉をかけたことを、腹が鳴るほど後悔しながら、羽虫をよけつつ山頂へと駆け出した。
そのちょっと焦げた焼きソバを食いながら、俺は改めてやぐらの周りを見渡した。
いつもの寂れた土井中の、何処に隠れていたのやら、今日の人出は半端じゃあない。
「年に一度の祭りだからの」と浦内サンが説明していたのを思い出す。
「多少時期が遅くとも、帰省する家族が多いんであろ」
確かに、呆れるほどの人出だが、その中に在鍛理生の数は少ない。皆、院部の告白を見てやろうと、ご神木の方に集まってるのだろう。
悪趣味だと思う。放っといてやれよ、本人たちの問題なんだから。
結局、今ここにいるのはいつものメンツ。つまり、俺と弓角、芽河、葵木サンだ。
弓角はこう言うお祭りに目がないみたいで、さっきから屋台に走っては、その店の商品全部をひとつずつ買ってくる、ということを無限にループしている。
「流石は財閥の一人息子」なんつうのは、イヤミっぽいから俺は言わない。
「ホラ、芽河さん。水アメだよ!あと焼きソバとクレープと、タコ焼きとポテトとわたあめと……」
「太るからいらない」
芽河は何時にも増して不機嫌だ。
何が不満なのかしらんが、とにかくずっとツンツンして、やぐらの方をキッと睨んでいる。
「えぇ~、もったいない……せっかくのお祭りなんだから、もっと楽しまなきゃあ!」
弓角はそんなことを全く気にしないで、自分の荷物のそばに、なんかの景品らしいプラモの箱を置いたりしている。
左手に水フーセンと金魚を吊り下げて、右手には食い物。二、三年くらい前のヒーローのお面を頭に斜めがけして、腰の帯にはウチワが刺さっている。
「なんつうか……お前は十二分に楽しんでるなあ、五徳……」
「だってお祭りだよ?芽河さん、痩せてるし、チョットくらい食べても平気だよ!」
「よッ、余計なお世話よッ!」
芽河の顔が赤くなったのは、赤提灯の灯りか、九月の熱気のせいにでもしとこう。
「とにかくっ」と上擦った声で芽河は言い捨てる。
「あたし、この祭りが終わるまで、ココから動かないから!」
「ダメだよ!年に一度しかないお祭りだよ、パーッと楽しまなきゃ損するよ!」
いつの間にか食い終わったフランクフルトの串をゴミ箱に捨てると、弓角はギュッと芽河の手を握って歩き出した。
あっという間に耳までリンゴ色になった芽河を、弓角はズンズン引いて行く。
「さっき的あて屋で、芽河さんの好きそうなモノを見つけたんだ。これでもボク、射撃は得意なんだよね」
「わ、わかったから、手を離して!これじゃあまるで、あのっ……誤解されるからッ!」
「男の花道」の文字が雑踏の中に消えて見えなくなるまで、俺らは黙って二人を眺めていた。やがて葵木サンがホーッとため息をつく。
「お二人は仲良しなんですね!」
「五徳が無理に引っ張ってるだけって気もするがな……」
そこまで言うと、俺たちはなんとなく黙りこくってしまった。
やぐらから少し離れたこの場所は、祭りの喧騒も遠く聞こえるから、喋らないでいると空気もシーンとしてしまって、恐ろしく気まずい。
俺たちも射撃に行こうか!なんて言おうとも思ったが、ヘタに人ごみの中に葵木サンをつれてって体調を悪くさせたら、申し訳ないなんてものじゃあない。そもそも女子とふたりで祭りを廻るとか、恥かしいにも程がある。
気まずい。
超気まずい。
葵木サンはさっきからチラチラこっちを見るばかりで、一向に話そうとしない。
もしかしたら「なんでこんな不良モドキなんかと一緒にいるんだろ」なんて思われてるのかもしれない。
そんな風に考え出すと、ガンガン気分が滅入ってきて、尚の事話題が見つからない。
こうなったら最終手段、この日のために買った本「ナオンと楽に会話する十二の秘訣」第二章、「ひたすらナオンを褒める」を実行に移すしかない。
黄土色のグラサンをかけた著者近影が絶望的なまでに胡散臭かったが、もうそれしか思いつかない。
俺が悲壮な決意をかためていると、神社の方から走ってくる奴が目の端に見えた。あの真っ赤な着物は、間違えようがない。
緋色院は肩で息をしながら、それでも作り笑顔を浮かべて、ポーズさえとりながら喋りだした。
「あらお二人さん、ひょっとして私ったら、お邪魔しちゃったかしら」
「いえ全く」
キッパリと否定されて、かなりのショックを受ける俺を置いて、二人は話し続ける。
「あら、そう。ならいいんだけど……ねぇ、主人君を見なかった?」
「いや、知らねえぞ。俺はてっきりお前と一緒にいるモンかと……」
踊りが終わって、なんとなく部員で集まった時に、主人がいないことには気がついていたのだが、緋色院も来ないのが分かると「また緋色院が公太郎を連れ回してるんだろ」と思って、それっきりにしていた。
「私たちのトコには来てないけど……そういえば、神社の方に走ってくのを見かけました」
「マジで?」
グッと顔を近づける緋色院に、ちょっと引きながら葵木サンが答える。
「は、はい。でも、ご神木の方じゃありませんでしたよ。あっちは確か……」
神社の裏山の、頂上までの道ですね、というセリフを終わりまで聞かずに、緋色院は手に持っていた空のカップを葵木サンに握らせると、
「裏山の頂上ね、ありがとう。お礼に、ゴミ箱にゴミをシュートするゲームの参加券をあげるわ」
「いらないです……」
「貰っときなさいな。それじゃ、私は主人君を追うから」
言うが早いか、真紅の髪をなびかせながら、嵐のように緋色院は去っていった。
葵木サンに体よくゴミを押し付けたそのあまりの身勝手さに、怒りよりもむしろ笑いがこみ上げてきて、俺たち二人は顔を見合わせると、どちらからともなく腹を抱えて笑い転げた。
ひとしきり笑い終わってから、まだ頬が緩んだまま、葵木サンは色々な事を話してくれた。
それらに応えながら、俺は生まれて初めて、緋色院の自分勝手さに心の中で礼を言った。




