科学考証がなってない
「ええと、まとめるとつまり」
泣き腫らした目を擦りながら、ぶら下がっていた受話器を元に戻すと、弓角君は細い指をまっすぐ立てて魔物を見つめた。
「宇宙からやってきた斉藤さんは地球の鳥を調査するのが目的で、今ボクらに見つかるのは大いに不味いから見逃して欲しい、てこと?」
「そうです」
激しくうなずく斉藤さんは、黒スーツの下にYシャツ、ネクタイと、サラリーマン然とした格好をしていて、ビル一つ無い土井中には少々場違いなように見える。その違和感を除けば、彼は全く普通の会社員にしか見えない。
しかし、弓角君を除く我々五人の、宇宙人に対する眼差しは、皆一様に怜悧だ。
当然である。
嘘くさい。
徹頭徹尾胡散臭い。
まず名前がおかしい。控えめに言っても数万光年は離れているであろう遥か彼方の星の住民が、お公家様のような名前をつける道理が何処にある。しかも苗字と名前の間には、鳥の鳴きまねまで入っているのだから、これはどう考えても悪ふざけにしか思えない。それも笑えない類の、である。
ひょっとして、とその不満をぶつけようとしたところで、また僕は思案した。彼はもしかすると、アブナイ人では思ったのである。
しかし、それではコンクリートに転がっているかつて鳥だったものは、どうすれば説明がつくだろう。散らばっている羽の大きさを見れば、殺されたのが雀なんかのような小鳥ではなく、もっと大きな、鳶のような鳥であったように見える。
例え何らかの道具を使ったとしても、血の一滴にすら自らの手を汚さずに、猛禽類を解剖することができるのだろうか。
斉藤さんの手とズボンは土で汚れているが、それは先の土下座で着いたものだし、鳥の解体から土下座までの一連の流れの中に、手を洗ったり、手袋をとったりするような暇は無かった。
つまり、ただの危ない人だと思おうにも、どうにも鳥の一件が邪魔をするのである。僕はひどく困惑して、目頭に手をやった。
さて、こうして書くと、まるで主役であるかのごとく、僕が目前の宇宙人を極めて冷静に分析し、主人公の腕の見せ所、この異変を一刀の元に解決して見せんと心を砕いているように思われるかもしれない。しかしそれは全くの誤解である。
現実には、みっともなく取り乱して、理解を拒む脳を妄想で諌めながら、必死で話についていこうとする、甚だ情けない小僧が一人いただけである。くどいようだが、決して(ここが重要なのだ)、決して僕は主人公ではなかった。
その夜の主人公は、誰あろう、緋色院さんであった。
「辻褄が合ってない」という呟きが、緋色院さんの口から漏れたものだと僕が気付くよりも早く、彼女は斉藤さんの前に立ちはだかった。
「これから言うことに、正直に、正確に答えてください。そうすれば、通報はいたしません」
有無を言わせぬ物言いであった。その傲岸不遜な言動に呑まれたのか、あるいは「通報しない」というエサにまんまと釣られたのか、斉藤さんは緊張した面持ちで「はい」とだけ答えた。
「まず、何故調査対象であるはずの鳥を殺したのですか?」
もっともな質問である。何時になく思いつめた表情をしている彼女が、どんな突拍子も無い質問をするのか心配していた僕は、少なからずほっとした。逆に斉藤さんは憂鬱そうな顔をしている。
「仕方が無かったんです。私たちの星間旅行法には、肺をはじめとして、不要な臓器がいくつもあります。移入調査とは、それらを排除しても尚その生物が生きていられるかを調べることなのです」
そこまで説明すると、彼は胸ポケットからペンを取り出す。
「調査にはコレを使います。先端を右にひねると、旅行法への適正を調べる青色の光線が、左にひねると、実際に旅行用に体を作りかえる、赤い光線が出ます」
彼の手に握られたペン型光線銃を身ながら、僕は「妙にペン型のなにかに縁のある部活動だ」と変なところで感心していた。
「通常は、調査用青色光線で、無作為に選んだ鳥を一人、分析して終わりなんですが、毎年一人はうぬぼれの強い奴が居て、赤色の方を俺に照射しろ、というんです」
「それで、今回も撃ったんですか」
「今年で三十人目になります。嘆かわしいことです」
「随分日本語がお上手ですね」
「ええ、まぁ」斉藤さんは急に伏目がちになって、気まずそうにもみ手などしている。「翻訳機がありますんで」
「それに格好もしっかりしてる。何処からどう見ても、ただの日本のサラリーマンにしか見えません」
「はぁ、それは」何故か弱り果てた様子で、口をもごもごさせている。言葉の後半は、こもってしまって殆ど聞きとれない。「どうも、ありがとうございます」
「やっぱり地球なんかよりもぐっと科学が発達しているんでしょうね」
そこまで言うと、緋色院さんはふいと横を向いた。勢いでスカートが広がる様が、怖いくらいに似合っている。
「そうだ、少しの間だけでいいから、そのペンを貸してはくださいませんか?」
「ああ、やっぱりこうなるのか」突然膝から崩れ落ちると、斉藤さんは顔を手で覆って呻いた。
「いけません。移入対象以外との接触だって、ただの馘首ではすまないのに、この上これを渡して、地球の科学技術にいらん介入をしてしまったら、お家はお取り潰し、私ゃ市中引き回しの上縛り首、島流しの刑にまで処されるかもしれない。それだけは、それだけはご勘弁を」
いよいよ胡散臭くなってきた。妙に和風な刑罰も怪しいが、そもそも首をつった跡に追放されても意味があるまい。
やはり彼は宇宙人などではなかった。鳥の死骸には目を瞑って、いったん彼を解放してから、改めて通報しようと決めて、僕は彼に近寄った。
その瞬間、緋色院さんは踵を返して彼に指を突きつけると
「だまらっしゃい!」と一喝した。訳も分からず棒立ちになる斉藤さんと僕を睨んで、彼女はまくし立てる。
「さっきから聞いてりゃ移入調査だの解体光線だの、子供だましにしてもあまりに酷い嘘を吐く。土台科学考証がなってないじゃあないですか、なんです、星間旅行には肺がいらないとか言って、さっきご自分の星と地球が似てるといったのはあなたでしょうに、そもそも地球の鳥が肺無しで生きられるわけがないじゃない。それがもうそろそろ肺無しでも生きられそうだなんて、夢物語も大概にしなさいな、大体今まで毎年同じ日に来てたってのに、なんで今年だけ前倒しなんです」
「そ、それは、今年は息子の二十歳のお祝いが会って、それに間に合うよう上に無理を言って」と、既に涙声の斉藤さんが、あまりに嘘くさい、そしてあまりに人間くさい言い訳を言えども、緋色院さんの糾弾が美しき家族愛程度になびくこともなく、逆にいよいよ熱を帯びてきて、
「言うに事欠いてとんでもない嘘を吐く。それともなに、似ているのは環境だけじゃなく、風習や文化にいたるまで、なにもかもそっくりなんだとでもおっしゃるつもり」
「違うんです、これは翻訳機のせいなんです。こいつはすこぶるつきに優秀で、私の星の風習に近い地球のそれを、勝手に探してくれるんです」
「じゃあそれを見せてくださいな」悪魔の如き笑みを浮かべて、緋色院さんが手を突き出せば、叱られた子どものように泣きじゃくりながら、斉藤さんは首を横に振る。
「ですから、ほんの少しでも技術介入をしたら、私ゃ馘首なんです」
「たかが片田舎の小娘に渡したところでどうにかなるものでもないでしょうに、ははぁ、出せないってことは、そんなもの、ありゃしないんだわ、この大嘘つき」
そこまで一息に言ってしまうと、緋色院さんは電話ボックスに飛びついて、素早く受話器を取り上げた。
「私、あなたが本当に宇宙人だったら、電話するつもりはありませんでした。最初の接触は重要ですもの、不必要なことをして、侵略なんかされたらたまりませんものね。だけど、あなたは地球人だわ、不審者だわ、私も自分の身が可愛いのです」
一番に指をかけて、緋色院さんは彼を睨みつける。「通報します」
「やめてください、ひどすぎる、あんまりだ、私は生まれも育ちも地球じゃあないんだ」
一体どうやったのか、いつの間にか閉まっている電話ボックスのドアにすがり付いて、斉藤さんはわんわん泣いた。
「宇宙人だ、宇宙人なんだ、頼む、通報しないでくれ」
甚だ妙な状況になったものだ。斉藤さんは「宇宙人なんだから通報しないでくれ」と要求し、緋色院さんは「地球人だから通報する」という。双方の利害は、一見一致しているように見えて、その溝は馬鹿馬鹿しく、また深い。
だが、二人の対立を何時までも放って置く訳には行かない。とにかく電話ボックスから引き剥がさなくては、リムジンは呼べず、僕らは帰宅できないのだから。
とは言うものの。
かたや学園の恐怖の象徴、脅威の自分中心快楽主義者。こなた出自正体目的名前、全てが悪ふざけのような自称宇宙人。
「どうすんだ、これ」呆気にとられたように晩空君が呟く。
「説得、できるかな」
「まさか」と僕が弓角君の意見に応えようとした時、ついに苛立ちが爆発したように「ああ、もうッ」と叫ぶと、芽河さんは僕に噛み付いた。
「あんた、早く詩織を止めてきてよ」
「何で僕が」と言い切るよりも早く、どすん、と音がして、振り返ると、斉藤さんが精も根も尽き果てた様子で、地面に顔を押し付けている。悲痛な呻き声が、地面とコンクリートの間から漏れている。
とうとう通報したのか、と慌てて駆け寄ると、緋色院さんはゆっくりと電話ボックスから出てきて、「静かに」と人差し指を口に当てて僕に注意すると、斉藤さんのそばにしゃがみこんだ。
「もう駄目だ」と呻吟する彼に、緋色院さんは一つ一つ言い聞かせるように言った。
「分かりました。それほど困るというのなら、通報はしません」
「本当ですかッ」
ぐいと顔を上げた斉藤さんの鼻水が、地面から糸を引いてるのを気にも留めず、両手で彼の顔を挟み込むようにして、緋色院さんは話しかける。
「ええ、ご家族が路頭に迷うようなことがあったら嫌ですもの」
感極まった様子で、三度土下座の姿勢をとろうとする斉藤さんの、顔にやったてを放さず、彼女は「ただし」と続けた。
「少しだけ、ほんのちょっとだけ、やっていただきたいことがありますの、良いかしら」
そして彼女は、彼女にしかできない角度で小首を傾げると、あの笑顔で莞爾と笑った。
断言させていただくが、その時の緋色院さんの笑顔には、悪意とか邪心とか、そういった負の要素は一切無かった。女性心理の機微など兄一つ分からない僕ではあるけれど、いや、その僕でさえはっきりと理解できるほど、彼女の笑みは潔白であった。
あるいは、だからこそ僕はその笑顔に見とれるのと同時に、曰く名状し難い恐怖に足元を掬われて、しりもちをついていたのかもしれない。
いつの間にか月を隠していた雲が、ゆっくりと晴れてゆくのが、目の端に見えた。




