秘密の合図は空のカップで、2人の合い言葉はハーブのお茶で
大旦那様ご夫妻には、昔から寝る前にお茶を召し上がる習慣がございます。
お茶を淹れるのは、旦那様が独身の頃からお使えし、今や家令を務めるダニエルさん。
空のカップの回収は、僭越ながら侍女頭の私が拝命しております。
今日も頃合いを図ってお二人の寝室にお邪魔すれば、小さなテーブルには空のティーカップが2つ。今日は赤いバラの模様のカップです。
お二人にご挨拶をし、そそくさと部屋をあとにした私。
それからささっとカップの後始末をして、自室へと戻りました。
不寝番の日以外は、これが1日の最後の仕事。自室で着替えていると、不意にノックの音がします。
私は慌てて、夜着の上からガウンを羽織りました。
「入っても良いですか? アンバーさん?」
「ええ……でも、随分早かったのですね」
「急いで来たのですよ。合図をしましたでしょう?」
使用人のそれとしてはかなり広い部屋に入って来たのはダニエルさん。ブレーズ伯爵家の家令。
そして……私の素敵な夫です。
大旦那様夫妻が夜のお茶に使うカップ。これは昔から私達の秘密の合図なのです。
青色系なら 「今日は部屋に戻れない」
黄色系なら 「先に寝ていなさい」
そして赤色系は 「もうすぐ戻ります」
多忙な夫が赤いカップを選ぶことは、そう多くございません。
今日も私は廊下をスキップしそうになるのを、なんとか押し留めておりました。
私と同じくくつろいだ姿のダニエルさんは、おもむろに作り付けの戸棚を開けます。
そこにあるのは様々なハーブティーの茶葉の缶。
お茶を淹れるのが趣味の夫が集めたものです。
「今日はどれにしましょうか?」
「そうですね……カモミールはどうですか?」
「良いですね。では……新しく出来た百貨店とやらに行ってみませんか?」
どのお茶にするか選ぶのは私。……そしてこれは2人の合い言葉でございます。
眠りを誘うカモミールなら 「明日は二人ともお休みですし、お出かけしましょう?」
不安を取り除くラベンダーなら 「気がかりなことがあるのです」
元々はちょっとした遊び。
けれどもいつの間にか、大旦那様と大奥様まで同じ合言葉を使うようになってしまっております。
ちなみにもう夜も遅いというのに、目が冴えるペパーミントを選んだなら?
フフッ……内緒にございますわっ!




