270話 公爵令嬢の付き人
「カリン」
俺はベランダに佇んでいる彼女の後姿に声をかける。
思えば久しぶりにカリンの私服姿を見た気がする。いつもは戦闘服か学生服だったからな。
俺は相変わらず学生服のままだが。
「大事な話って何だ?」
彼女の隣に行き、何とはなしに肘を柵の上に置く。
懐かしいな、この感じ。
「ねえ、クロノ。昔よくこうして一緒に夜空を眺めてたよね」
「ああ。そうだな」
カリンも俺と同じことを思ったらしくそんな言葉が聞こえてくる。
いつだったか。俺がエルザード家から追い出されるよりも、母さんが亡くなるよりも前の事だ。
当時の俺は常に強くなることを望まれていたが故に必死で訓練し続けていた。
その隣に居たのがカリンだ。
そして訓練終わりに一緒に居るのもそう。常にお互いの心の支えになってきたと自負している。
「でもクロノにとったら嫌な思い出だよね」
「そんな事ないさ。あの苦しい日々を耐えられたのはこの思い出があったからこそだ」
同志が居てくれたから、日々に文句を言う相手が居たから俺は母さんが居なくなってからも耐えられた。
心の支えになってくれた彼女には感謝しかない。一番長く苦楽を共にした同志。紛れもなく俺の中では大事な人の一人だ。
それにセレンから聞いたことがあるが、彼女はエルザードでも常に俺の事を気にかけていたとのことだ。
「俺にとってカリンとの思い出は大切なものだ。昔だからって色褪せることなんてない」
何故だか普段は恥ずかしくて言えない本心がつらつらと並べられていく。
カリンと二人だけの状況は結構珍しい気がする。だからこそこういった状況では想い出に浸りたくなるのかもしれないな。
「……あのね、クロノ。伝えたいことって言うのはね……その」
いつもはきはきとした活気あふれるカリンには珍しく、目を伏せ口ごもる。
それを俺は黙って見守り続ける。俺だって馬鹿じゃない。この状況で伝えられるのがどういった内容なのか。それを理解できない訳がない。
カリンは一度ギュッとこぶしを握り締め、やがて決心したかのように俺の方を向く。
その瞬間、目と目が合う。
赤らめた表情で、真剣な眼差しを向けてくる彼女に俺も緊張した面持ちで視線を合わせる。
「私、クロノの事が好き。馬鹿らしいかもしれないけど本気なの」
言い切った彼女はその表情のままジッと俺の目を見つめてくる。
好き。それはもちろん友達としてではないだろう。
そして俺にとってその言葉は凄く嬉しいものであった。
顔を合わさなかった日々もあるとはいえ、幼少期からいつも一緒に居た魅力的な女の子があろうことか何の魅力もない平凡な男に告白してくれたのだ。
俺はまっすぐに目をそらさずにカリンの瞳を見つめる。
そして彼女の両肩に手を置く。最早躊躇う事はない。首を縦に振り、そのまま目の前の女の子を抱きしめれば良いだけだ。
それが彼女の勇気に対する精一杯の誠意だろう?
だが現実はそううまくはいかない。
両肩に手を置いたまま体が動かない。どうして? その問いの答えは俺が一番知っている。
脳裏にちらつくブロンドヘアを思い浮かべるたびに理性を取り戻そうと必死になる。
この期に及んで俺は何を考えているんだか。そんな未来あるはずないのに。許される筈が無いのに。
目を閉じ、深呼吸をする。そしてその時、初めてカリンの肩を掴む自分の手が震えていることに気が付いた。
そしてそれに気が付いたのか、カリンはそっと俺の手に手を重ねてくる。
「クロノ。私分かってるよ」
「……」
カリンの言葉は誰よりも重くのしかかってきた。何について言っているのかは理解できた。
だからこそその言葉に答えられなかった。ただそれだけだ。
カリンが俺の体を抱きしめてくる。そしてすぐ離れるとこう言うのであった。
「行っておいで」
♢
あれからどれだけ経ったんだろ。二人はうまくいってるのかな?
一人部屋に籠って自身の付き人について思いを馳せる。カリンはきっとクロノの事が好き。
そして二人には私なんかじゃ敵わないほどの絆がある。きっと結ばれるんだろうな。
「……戻ってきたらお祝いしなきゃ」
そう呟いた私は椅子から立ち上がり、鏡を見る。
そして初めて自分が涙を流していることに気が付いた。
……泣いたってしょうがないじゃん。私とあの人は付き人と主人の関係だもん。
きっとクロノからすれば手の掛かる厄介な雇い主だよ。
ずっと振り回し続けてきたんだもん。
カリンはずっとクロノの心に寄り添ってきた。私なんかとは違うんだ。
「別にこれから会えなくなるわけじゃないんだから」
そう呟くと私はそのままベッドに仰向けで倒れこむ。
そしてクロノと出会った時の事を思い出す。魔神族に襲われていた私を救ってくれた騎士様。
最初はそんな御伽噺みたいな関係に惹かれて彼に想いを馳せた。
二度目に会った時は心が躍った。まさかまた会えるだなんて思いもしなかったから。
私の我儘で付き人になってもらった。普通だったら許してもらえないようなことだけど、無理を言ってそうしてもらった。
それから二人で一緒に行動を共にするようになった。そうして彼の事を知っていく内により一層その感情が高まっていった。
命を救われたから好きになった。入りは憧れにも近い薄っぺらい理由だったかもしれない。
でもちゃんと彼と接していく内にその想いが私の中で確固たるものとなっていたんだ。
「しょうがないじゃん。だって二人はお似合いでしょ」
頭では分かっていても次から次へとあふれ出してくる涙を止めることはできない。
いつか来ると思っていたそれがとうとう今日来たのだと思えば思うほどに感情を抑えることが出来ない。
どうしよう? 二人が帰ってきて私がこんなんじゃ、駄目なのに。笑顔で祝わなきゃいけないのに!
視界が涙で滲む。もうそろそろ戻ってくる頃。
なら私も二人に会いにいっておめでとうって言うんだ。そうしたら全部うまくいく。うん。きっとそう。
ベッドから起き上がり、鏡を見て乱れた髪の毛を少し手で直すと部屋の扉の方へと歩いていく。
まさにドアノブに手を伸ばそうとしたその瞬間、どういう訳か扉が勢いよく開く。
そしてその向こう側から現れたのは決心がついたかのような彼の姿。
ああ。成功したんだ。良かった。
遠くへ行ってしまいたくなる自分の感情を押し殺し、彼の顔を見つめる。
そして彼は私の手を握り、こう告げる。
「リア様。無礼と存じ上げてはおりますが、お伝えしたいことがございます」
「うん。良いよ。言って」
なるべく短く。感情が悟られないように答える。
「私は……付き人という身分でありながらあなたの事をお慕い申し上げております。この先の人生を付き人とは違う形で共に歩ませてはくれないでしょうか?」
何を言われているのかすぐには理解できなかった。
だってクロノはカリンを選ぶものだと思っていたから。
徐々にその内容を理解した時、我慢していた涙が目から零れ落ちていく。
早く伝えなきゃいけないのに声が震えて言葉にできない。かろうじて振り絞った言葉。
「……はい。喜んで!」
そう言って私は彼の胸に飛び込んだ。
♢
「英雄様がご婚約されるんだとか」
「誰とだい?」
「英雄様って言っただろ? 黒の英雄様と金の英雄様がだよ」
「ほ~う、やっぱりそうだったかい」
魔神を討伐し世界を救った二人の英雄が婚約した話は瞬く間に世界へと広がっていった。
むろん、アークライト家で行われた婚約式はそれはもう豪華に執り行われたとのこと。
各国の要人が駆け付け、祝福した。
アークライト家当主のゼルダン・アークライトがかなり羽目を外したらしく、奥様にそれはもう窘められたとのほほえましいエピソードも交えて全国に伝わっていった。
そんなめでたい話が駆け巡る中、一人の青年は町で配られた号外を手に取り、そこに載っている黒の英雄の顔を見てこう呟く。
「フィー。今度は僕が……きっと」
歴史上から消え去ったはずのその名前を呟いた青年は一人喧騒の中へ消えていくのであった。
こんにちは作者の飛鳥です。3年間、書いてきたクロノ達の物語はここで完結となります。今まで読んでくださった方々、そしてこの作品に立ち寄ってくださった方々、本当にありがとうございました!
彼らの物語を少しでも皆様に楽しんでもらえていればそれほど嬉しい事はありません!
どうか記憶の端っこの方にでも残していただければと思います。
それでは皆様、『公爵令嬢の地味な付き人』をご覧いただきありがとうございました! またどこかでお会いしましょう!




