第250話 side.ラグナ・チーム③ ──歪んだ復讐心──
セドリックは、剣と盾を構えたまま、ゆっくりと呼吸を整えていた。
迷宮の大部屋には、戦闘の余韻がまだ色濃く残っている。砕け散ったネームプレートの光の残滓が、床や壁に淡く漂い、空気そのものが熱を帯びていた。
だが、その熱の中心は──ここではない。
セドリックは、ほんの一瞬だけ視線を横に走らせた。
少し離れた場所で、ルシアが糸を指先に巻き直している。無表情のまま、人形を回収するその姿は、まるで作業の後片付けをしているだけのようだった。つい先ほどまで、七人を一瞬で消し飛ばした張本人だとは思えない。
反対側では、リゼリアが軽く裾を整えながら、ぴょんと小さく跳ねていた。砕け散った敵の跡すら意に介さず、いつもの柔らかな微笑みを浮かべている。だが、その足運びと視線の鋭さは、まだ戦場から意識を切らしていない証だった。
(問題ないな……)
セドリックは内心でそう判断する。
三人は分断されているが、決して孤立してはいない。それぞれが、それぞれの役割を果たしている。ならば、自分が集中すべき相手は──。
セドリックは正面へ視線を戻した。
そこに立つのは、二人。
一人は、すでに顔を晒している金髪縦ロールの少女。気品ある立ち姿と、張りついたような冷たい笑み。
もう一人は、フードとドミノマスクで素顔を隠した大柄な男。腕を組み、まるで見世物でも眺めるかのようにこちらを見下ろしている。
空気が、静かに張り詰める。
セドリックは、盾をわずかに前へ出し、剣の角度を調整した。その所作は無駄がなく、同時に相手を刺激しない距離感を保っている。
そして、穏やかな声で口を開いた。
「──やはり、貴女も」
イライザ・ディーンベルクの瞳が、微かに揺れた。
「”統覇戦“に、エントリーされていたのですね。イライザ嬢」
責める色も、皮肉もない。
ただの確認。事実を口にしただけの声音だった。
だが、それが逆に、イライザの神経を逆撫でした。
彼女は、ふっと口角を上げる。
笑っているはずなのに、その瞳には冷たい光しか宿っていない。
「そうですわね……」
イライザは、羽毛のついた扇子を閉じたまま、指先でくるりと回した。
「どうしても、叶えたい願いがありますの」
一歩、前へ。
床を踏みしめる音が、やけに大きく響く。
セドリックは微動だにしない。ただ、視線を逸らさず、彼女を見据えている。
イライザは、わざとらしく首を傾げ、言葉を続けた。
「……いえ」
一瞬、声が低くなる。
「どうしても、復讐したい人達がいる、と言った方が正しいかしら?」
その言葉と同時に、扇子がぴたりと止まる。
羽毛が、空気を撫でるように揺れ、微細な魔力の気配が滲んだ。
(……やはり)
セドリックは内心で警戒を強める。
イライザは、感情に溺れるだけの少女ではない。怒りすら、力に変えるタイプの魔導士だ。
彼は、あくまで冷静に問いを重ねた。
「──私は、貴女と直接お話ししたのは、数回ほどだったと思いますが?」
その瞬間だった。
イライザの目が、かっと見開かれる。
「……そうですわねぇ!」
声が鋭くなる。先ほどまでの冷笑が、怒気に塗り替えられる。
「貴方とは、確かにそうですわ。セドリック様」
一歩、また一歩と詰め寄りながら、言葉を畳みかける。
「ですが……!」
扇子が、勢いよくセドリックを指した。
「『キミは悪役令嬢だから』などという、訳の分からない理由で!」
声が震える。
「私との婚約を一方的に破棄した、ラグナ第六王子殿下の側近で!」
さらに一歩、イライザがセドリックへ詰める。
「そのラグナ殿下が……私を捨ててまでご執心の!」
声が跳ね上がる。
「“悲劇の令嬢”ブリジット・ノエリアの兄である貴方……!」
息を荒げながら、薄く笑った。
「矛先が向くのも、仕方ない事とは思いませんこと?」
その笑みは、歪んでいた。
怒りと嫉妬と屈辱が、無理やり形を成したような笑みだった。
セドリックは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
深く息を吸い、吐く。そして、顔を上げた。
「──確かに」
声は、驚くほど落ち着いている。
「婚約破棄を言い出したのは、ラグナ殿下です。その点において、殿下にも非はあるでしょう」
イライザの眉が、ぴくりと動いた。
「ですが」
セドリックは言葉を区切り、淡々と続ける。
「貴女が公爵家の立場を利用し、実力主義であるはずのルセ大内において、権力を振り翳していた事実も、また理由の一つです」
感情を挟まない。
ただ、事実を並べる。
「目に余る行為があった。看過できないと判断された。それだけの話です」
イライザの唇が、わななく。
セドリックは、さらに続けた。
「それから……妹、ブリジットに関してですが」
一瞬だけ、間を置く。
「ラグナ殿下が、勝手に気にかけているだけです。彼女は、この件に何の関係もありません」
言い切りだった。
正論。だが、それは──イライザの感情を、完全に切り捨てる言葉でもあった。
イライザの顔が、見る見るうちに怒りに染まる。
「……お黙りなさいッ!!」
扇子が、ばっと開かれる。
口元を隠す仕草とは裏腹に、声は抑えきれずに響いた。
「私の怒り……!」
「ここで貴方がたを倒し!」
「ラグナ殿下のチームを脱落させでもしなければ……!」
イライザの瞳が、燃える。
「収まりがつきませんわッ!!」
怒号が、迷宮に反響する。
セドリックは、心の中で小さくため息を吐いた。
(……やれやれ)
理屈は通じない。
だが、それでも──。
彼は、盾を構え直し、視線を逸らさない。
イライザ・ディーンベルクは、感情に飲まれているが、決して侮れる相手ではない。
イライザは、扇子を開いたまま、しばし荒い呼吸を繰り返していた。
怒りで紅潮した頬。
吊り上がった瞳。
だが、その奥には──冷静な計算が、まだ確かに残っている。
「……ふふ」
やがて、彼女は小さく笑った。
それは、先ほどまでの激情とは違う。
勝利を確信した者の、静かな笑みだった。
「流石ですわね、セドリック様」
扇子の影から、視線が鋭く突き刺さる。
「貴方の言うこと……理屈としては、正しいのでしょう」
一歩、引く。
まるで舞踏会で距離を取るかのような、優雅な所作。
「ですが――」
声が、低くなる。
「正しさだけで、心が救われると思って?」
その問いには、痛みが滲んでいた。
誇りを踏みにじられた者にしか持ち得ない、深い亀裂。
「私は……今日この日のために」
扇子を、ゆっくりと畳む。
「入念に、準備をしてまいりましたのよ」
その瞬間、セドリックの背筋に、ぞくりとした悪寒が走った。
イライザの魔力が、はっきりと膨れ上がる。
だが、それは彼女自身の力ではない。
横に立つ、フードとドミノマスクの男──そこから、異質な圧が漏れ出していた。
イライザは、扇子の先で、その男を指し示す。
「私は、今日この日のために──強力な“助っ人”を、用意しておりましたの」
声が、はっきりと響き、ぱちん、と扇子が閉じられた。
「さぁ……思う存分、暴れておしまいなさい」
一拍、間を置いて──
「グレゴール・ゲイン!」
その名が響いた瞬間、フードの男が、ゆっくりと前へ出た。
重い足音。床が、わずかに軋む。
周囲の空気が、目に見えて押しのけられていく。
男は、無言のままフードに手を掛けた。
バサリ、と布が落ちる。
続いて、金属製のドミノマスクが、外される。
現れたのは──
岩のような体躯。
無数の古傷が走る、ゴツゴツとした顔。
首から肩、腕に至るまで、鍛え抜かれた筋肉が鎧の下からでも分かるほどだった。
その男は、口角を吊り上げる。
「……久しぶりだなァ……セドリック・ノエリア」
低く、唸るような声。
その声を聞いた瞬間。
セドリックは、目を見開いた。
「……!」
一瞬、言葉を失う。
その表情を見て、イライザは満足そうに微笑んだ。
(……やはり、動揺しましたわね)
だが──次の瞬間。
セドリックは、首を、ゆっくりと傾けた。
そして、心底困惑したような顔で、口を開く。
「……誰だ、キミは?」
静寂。
完璧なまでの、沈黙。
イライザの表情が、固まった。
ルシアとリゼリアの方でさえ、一瞬、動きが止まる。
男──グレゴールの顔が、みるみるうちに歪んでいった。
「…………は?」
低い声。
だが、その奥に、確かな怒りが滲む。
セドリックは慌てた様子もなく、真剣な顔のまま言葉を重ねる。
「すまない。本当に、心当たりがない。
どこかでお会いしたのだろうか?」
本気だった。
煽りでも、皮肉でもない。
だからこそ──
グレゴールの額に、青筋が浮かび上がる。
「……この、俺を……覚えてねェってのか……!?」
声が、跳ね上がった。
セドリックは、はっとして、少しだけ姿勢を正す。
「……あ。いや、それは……」
困ったように、視線を泳がせる。
「もし、過去に何か失礼があったのなら、謝罪しようだが……本当に、全くもって、1ミリたりとも、キミの事を覚えていないんだ。本当に……すまないと思う。」
そして──
心底申し訳なさそうに、頭を下げた。
その瞬間。ブチッ、と、何かが切れる音が、確かに聞こえた。
「……っっ」
グレゴールの顔に、血管が浮き上がる。
歯を剥き、肩を震わせ、低く唸る。
「……嬉しいぜ……!お前が……相変わらず、ムカつくやつでいてくれてよォ……!!」
◇◆◇
グレゴールは、その巨体からは想像もつかない速さで踏み込んだ。
床を蹴る音が遅れて聞こえるほどの初速。片手剣が風を裂き、真上からセドリックへと叩き落とされる。
「──覚えてねェとは言わせねェ!セドリック・ノエリアァ!!」
歪んだ憎悪を孕んだ叫び。
「去年の“神聖騎士団”入団試験!!俺様はテメェに敗れて、入団を逃したんだァ!!」
振り下ろされる剣は、あまりにも軽やかだった。
巨漢が振るっているとは思えないほど、鋭く、速い。
セドリックは眉を僅かに寄せながら、反射的にラウンドシールドを構える。
「“神聖騎士団”入団試験……?」
疑問を口にした、その瞬間だった。
剣が、盾に触れた刹那──
ズンッ!!
空気が、沈んだ。
盾越しに伝わる衝撃が、質量の概念を裏切っていた。まるで、数トンの鉄塊を叩きつけられたかのような重圧。
(──!? 重い……ッ!?)
セドリックは即座に判断を切り替える。
正面で受け切るのは危険。盾の角度を僅かに傾け、剣撃の軌道を斜めへと流す。
同時に、グリーブの底に仕込まれた車輪が唸りを上げて回転する。
重心を低く、体勢を崩さぬよう滑るように後退する。
ガギィィン……ッ!!
受け流された剣は、そのまま地面へと叩き込まれた。
信じられない音が響く。石床が抉れ、亀裂が走り、剣は半ばまで深々と突き刺さっている。
(……なるほど)
セドリックの脳裏で、点が線に繋がった。
剣を見つめ、そして男の顔を見上げる。
憎悪に歪んだその表情に、確かな既視感があった。
「──思い出した」
セドリックは、はっとしたように声を上げる。
「君は……去年の“神聖騎士団”入団試験で私と戦った……」
「“武器の質量操作”のスキルを持つ、グレゴール・ゲイン……!」
その名を告げた瞬間、グレゴールの顔がさらに歪んだ。
「だから、そうだっつってんだろうがァ!!」
怒号が炸裂する。
「テメェ……俺様のこと、完璧に忘れてやがったなァ!?!」
怒りと屈辱が、剥き出しの刃となって噴き出す。
セドリックは、一瞬言葉を失った後、思わず視線を伏せた。
「……す、すまない」
そして、深くはないが、確かに頭を下げる。
「本当に、覚えていなかった。悪意はなかったんだ」
あまりにも素直な謝罪だった。
それが、逆に火に油を注いだ。
「……ッ!!」
グレゴールの額に、青筋が浮かび上がる。
背後から、呆れたような声が飛ぶ。
「主人が主人なら、側近も側近ですわ」
イライザが扇子で口元を隠し、冷ややかに言い放つ。
「本当に……失礼な連中ですこと」
グレゴールは歯噛みしながら剣を引き抜き、再び構える。
今度は、剣が軽く見えた。実際、振る速度は先ほどよりもさらに速い。
「俺様はなァ!!」
斬撃が、雨のように降り注ぐ。
「入団試験で華々しく“神聖騎士団”としてデビューするはずだったんだ!!」
「エルディナ王国の盾……最強の五騎士の一人に名を連ねる予定だったんだよォ!!」
振る時は、軽い。
受け止めようとした瞬間、重くなる。
質量が跳ね上がるタイミングは、ヒットの瞬間のみ。
理不尽極まりない強力なスキル。
セドリックは、キィィンと高音を立てて回転するチェーンブレードを振るい、剣の回転そのもので衝撃を散らす。
真正面から受けず、流し、逸らし、滑らせる。
「だがなァ!!」
グレゴールは吼える。
「そんな俺様の人生設計を、テメェが!!」
「全部!!めちゃくちゃにしたんだァ!!セドリック・ノエリアァ!!」
憎悪の奔流。
それでも、セドリックの表情は崩れなかった。
一撃を受け流し、距離を保ちながら、静かに言葉を返す。
「それは、逆恨みというものだ」
冷静な声。
「君の夢を妨げる結果になったのは、確かに申し訳ない」
「だが、私にも私のなすべき事がある。譲れぬ戦いがあった」
その言葉が、届くことはなかった。
割って入るように、甲高い声が響く。
「隙ありですわッ!!」
イライザが扇子を振り上げる。
「”桃色竜巻”!!」
次の瞬間。
セドリックの足元から、花の香りを伴った竜巻が噴き上がった。
甘美で、しかし凶悪な魔力。
渦巻く風が、横殴りに身体を叩きつける。
「しまっ──!」
一瞬、体勢が崩れた。
それで、十分だった。
「隙アリだァ!!」
グレゴールが踏み込む。
「”大質量斬”!!」
剣が、横薙ぎに振るわれる。
その瞬間、剣の質量が跳ね上がる。
数トンに達する圧倒的な重み。
ドォンッ!!
セドリックはラウンドシールドを正面に構え、辛うじて受け止めた。
衝撃が全身を貫く。
だが、盾は耐えた。
身体も、無傷だ。
しかし──
「──これは……強力だな」
セドリックは低く呟きながら、ズザァァァッと床を滑って後退する。
車輪が火花を散らし、数メートル先でようやく停止した。
ダメージは、ない。
だが、この男は、確かに“強敵”だった。
そして同時に、セドリックの中で何かが、確実に積み重なり始めていた。
◇◆◇
「セドリックさ〜ん! こっち終わりましたし、お手伝いしましょうかぁ〜?」
少し離れた位置から、間の抜けた、それでいて戦場とは思えないほど明るい声が飛んできた。
リゼリアが片手を振り、軽やかに笑っている。その足元には、既に砕け散ったネームプレートの残滓が淡く光っていた。
セドリックは、視線をそちらへ向けることすらせず、ただ前を見据えたまま静かに答える。
「いや、問題無い。リゼリアとルシアは、引き続き周囲を警戒しておいてくれ」
それは命令というより、信頼を前提にした判断だった。
背後を任せても問題ない、そう確信しているからこその口調。
そのやり取りを見て、イライザがくすりと笑う。
扇子で口元を隠しながら、余裕を滲ませた声を響かせた。
「──あら、私は構いませんのよ? 三対二でも」
扇の奥から覗く瞳は、冷たく、嘲るように細められている。
「どうせ、そちらの御二方にも……貴方の後に消えていただくつもりですもの」
その言葉に呼応するように、グレゴールが下卑た笑みを浮かべて肩を揺らした。
「そうだぜェ! 入団試験じゃ遅れを取ったがなァ、あんなもんは何かの間違いだ!」
片手剣を肩に担ぎ、吐き捨てるように続ける。
「お前みたいなヒョロっこいヤツに、俺様が負ける訳なんか無ェんだよ!!」
自信ではなく、自己暗示に近い怒鳴り声だった。
セドリックは、その叫びを正面から受け止めながら、内心で小さく息を吐いた。
(……無茶苦茶な理屈だ)
視線を逸らさず、心の中で淡々と結論づける。
(勝利とは、体格によってのみ決まるものではない。培った技術、積み重ねた経験、身につけたスキル……それらが勝敗を分ける)
言葉にすれば火に油を注ぐだけだと分かっている。
だからこそ、彼は語らない。ただ、静かに構える。
イライザは、その沈黙を「劣勢」と解釈したのか、満足げに頷いた。
「この男……グレゴール・ゲインは」
扇子を軽く振り、舞台の役者を紹介するかのように語る。
「貴方に敗れて“神聖騎士団”入りを逃した後、冒険者として身を立てましたの。今や、Aランク。実力は折り紙付きですわ」
誇らしげな声音。
「今回の“統覇戦”で、貴方への雪辱を晴らす舞台を整える代わりに……ルセ大に編入し、私の配下になる契約を結びましたのよ」
グレゴールが胸を張る。
「そういう事だ。それに……」
舌なめずりをするような笑み。
「勝ち上がれば、お楽しみも待ってるしなァ……!」
その言い方に、セドリックは僅かに眉を顰めた。
「お楽しみ? 何の事だ?」
問いは静かだったが、その一言が、決定的な一線を越えさせた。
グレゴールは、にたりと口角を吊り上げる。
「セドリック・ノエリア……」
わざとらしく間を置き、低く囁く。
「お前の妹……ブリジットっつったか? あれは、いい女だよなァ?」
その名が出た瞬間。
空気が、変わった。
セドリックの背筋に、鋭いものが走る。
ほんの一瞬の変化。だが、それを見逃すほど、グレゴールは鈍くなかった。
「──お嬢」
グレゴールはイライザへと視線を投げる。
「俺がコイツらをやっちまって、アンタの願いを叶えたら……あのブリジットって娘、好きにしてもいいって話だったよなァ?」
イライザは、扇子を閉じ、鼻で笑った。
「ええ」
冷酷な即答。
「ラグナ殿下に色目を使うような泥棒猫……少し痛い目を見るくらいで、丁度よくてよ」
フン、と息を吐く。
「相手は一応、公爵家の御令嬢だろォ? 本当にいいのかよ?」
グレゴールの言葉に、イライザは微笑を深めた。
「構いませんわ。ディーンベルク公爵家の力をもってすれば……その程度の些事、揉み消すのは訳ありませんもの」
そして、扇子の隙間から、侮蔑を込めた視線をセドリックへ向ける。
「それに……今のノエリア公爵家には、以前のような力はありませんでしょう?」
吐き捨てるように告げた。
「“落ち目の公爵家”である、ノエリア家は……!」
その瞬間だった。
それまで、ただ静かに二人の会話を聞いていたセドリックが、ゆっくりと口を開いた。
「──なるほど」
声は低く、驚くほど落ち着いている。
「よく、わかった」
ラウンドシールドを構えたまま、まっすぐに二人を見る。
「我がノエリア家への侮辱的な言葉……」
セドリックは静かに一歩、踏み出す。
「妹ブリジットへの、看過できぬ暴言……」
そして、ギン、と鋭く睨み据えた。
「──つまり君たちは……私を怒らせたいのだな?」
その視線には、感情の爆発はない。
だが、確かな“怒り”が、研ぎ澄まされて宿っていた。
次の瞬間。
セドリックの左手首のブレスレットが、淡く光り始める。
魔力が渦を巻くように集束し、キィィィン……と澄んだ高音を響かせながら、光の輪へと変化していく。
遠くで、それを見たリゼリアの顔が引きつった。
「──えっ!? せ、セドリックさん……!?」
声が裏返る。
「ま、まさか……アレをやるつもりなんですかぁ〜……? ここ、室内なんですけどぉ〜……」
位置を確認し、青ざめる。
「この距離だと……リゼリア達も、危ないんじゃ……」
隣で、ルシアが首を傾げる。
「?」
不思議そうな表情のまま、ぽつりと呟いた。
「……これは、凄い魔力」
一方、正面の二人は明確に動揺していた。
「な、何だァ!?」
「こ、この尋常ならざる気配は……!?」
グレゴールとイライザが、思わず一歩引く。
セドリックは答えない。
ただ、左手にラウンドシールドを持ち、そのまま天へ掲げた。
光の輪が、ゆっくりと半径を広げていく。
ラウンドシールドと同じ大きさまで拡大した光輪は、その縁にぴたりと嵌まり込んだ。
次の瞬間。
ラウンドシールドは、実体を超えた“光の円盤”へと変貌する。
キィィィィン!!
甲高い回転音。
まるで運命そのものが回り始めたかのような、圧倒的存在感。
高速回転する光の盾を正面に構え、セドリックは宣告するように叫んだ。
「"神器解放"……」
声が、戦場を震わせる。
「“運命ノ光輪”……!!」
その瞬間、空気が、完全に塗り替えられた。




