第248話 side.ラグナ・チーム① ──接触、そして開戦──
ダンジョンの一室に、無機質な声が淡々と響いた。
『落下トラップ、クリア。ラグナ・チーム、50ポイント獲得。』
『モンスター、5体討伐。10×5=50ポイント獲得。』
そのアナウンスが終わると同時に、広い石造りの部屋に、ほんの一瞬だけ静寂が落ちる。
砕け散った魔物の残骸は、淡い光となって霧散し、床には戦闘の痕跡だけが残っていた。
その中心で、ラグナは満足そうに小さく肩をすくめた。
「──ね? 僕の言った通りだったろ?」
振り返り、穏やかな笑みを浮かべて仲間たちを見る。
「開幕の落下トラップ、からの最初のフロアで魔物五体との戦闘。ここまでは、全チーム共通のセットなんだよ」
まるで既に答えを知っていたクイズの解説をするような、軽やかな口調だった。
「まぁ……!」
リゼリアが両手を胸の前で組み、感嘆の声を上げる。
「そんな事まで分かってしまうなんてぇ〜。さっすがは殿下ですぅ〜!」
大げさなくらいに感動した様子で、きらきらとした視線をラグナに向ける。
その仕草一つ一つがあざとく計算されたようでありながら、どこか素直な敬慕も滲んでいた。
一方で、ルシアはといえば、感情の波をほとんど見せないまま、ぽつんと立っている。
彼女の視線は仲間でも魔物の残骸でもなく、天井の一部──先ほど自分たちが落ちてきた、暗い縦穴に向けられていた。
ぼんやりと、何かを考えているのか。
あるいは、何も考えていないのか。
セドリックは剣を収めながら、ラグナに向かって一礼する。
「素晴らしいご決断の速さでした、殿下」
その声音は、いつも通りの忠誠に満ちたものだった。
だが、その胸の内では、別の思考が渦を巻いていた。
(まただ……)
セドリックは、ほんの一瞬だけ視線を伏せる。
(また、殿下の言う通りの事が起こった)
落下トラップの存在。
魔物の数と配置。
それら全てを、ラグナは事前に知っていたかのように、迷いなく判断し、最適解を選び続けている。
(まるで……)
(まるで殿下には、『これから何が起こるか』が分かっていたかの様に……)
その考えは、不敬に近いものだった。
だが、近年ずっと抱えてきた否定しきれない違和感として、確かに胸の奥に残る。
ラグナはそんなセドリックの内心など知る由もなく、軽く手を打った。
「さて、と」
場の空気を切り替えるように、朗らかに言う。
「当初の予定通りだ。僕は“深度ボーナス”狙いで、深い階層まで単身潜ろうと思う」
その言葉に、空気がわずかに張り詰める。
「キミたち三人は、浅い階層でポイントを稼いでくれたまえ」
あまりにも当然のように語られた作戦。
だが、それは同時に、ラグナが一人で危険な深層へ向かうという宣言でもあった。
「で、でもぉ……!」
真っ先に声を上げたのは、リゼリアだった。
「やっぱり危険なのではありませんかぁ〜? いくらラグナ殿下がお強いと言っても、お一人でダンジョンの深層まで潜るなんてぇ〜……」
不安を隠そうとしない声音。
その表情には、打算ではない、純粋な心配が浮かんでいた。
「──やはり」
セドリックも一歩前に出る。
「私だけでも護衛に着いた方が……」
だが、その言葉は、ラグナの柔らかな笑みで遮られた。
「心配してくれて、ありがとう」
そう言って、ラグナはセドリックをまっすぐに見る。
「だけどね、セディ。キミの防御力と機動力は、低階層でのポイント稼ぎには必須だ」
責任を押し付けるような口調ではない。
むしろ、信頼を前提とした言い方だった。
「キミはリゼリアとルシアと協力して、ポイントを稼ぎつつ、二人を守ってやってくれたまえ」
その言葉に、セドリックは一瞬、目を見開く。
(……やはり。)
胸の奥が、静かに揺れた。
(最近の殿下は、少し表情が穏やかになられた)
命令ではなく、役割を託す言葉。
仲間としての信頼を、はっきりと示す態度。
(──まるで、“以前の殿下”の様に……)
まだ幼かった頃。
王子である前に、一人の少年だった頃のラグナ。
その面影が、ふと重なる。
セドリックは、無意識のうちに小さく息を吐き、口元を緩めていた。
(……これも、佐川くんのお陰、という事か)
胸に浮かぶのは、嬉しさと──ほんの僅かな、寂しさ。
殿下が変わっていくことは、喜ばしい。
だが同時に、それを成し遂げたのが、幼い頃より共に過ごした自分ではない誰かである事への寂しさ、そんな感覚も否定できなかった。
それでも。
セドリックは顔を上げ、静かに剣の柄を握り直す。
「……承知しました、殿下」
その声には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
ラグナは満足そうに頷き、くるりと身を翻す。
ラグナは、ゆっくりと視線を巡らせた。
石造りの壁、天井に刻まれた幾何学模様のような紋様、どこからともなく漂う微かな魔力の流れ。
その全てを楽しむように眺めながら、彼は静かに口を開く。
「──マリーダ教授の"迷宮組曲"で作られたダンジョンは、普通のダンジョンじゃない」
その声は落ち着いていて、どこか講義のようでもあった。
「“ダンジョン”という仕組みそのものを阻害する魔法は、この中では使用出来ないんだ」
ラグナは指先で空をなぞるようにしながら続ける。
「例えば、地面のトラップを全て無意味にしてしまう“飛翔”や、迷宮の階層構造を丸裸にする“地図作成”の魔法。ああいうのはね、"迷宮の醍醐味を失わせる魔法"と判断されて、発動すら出来ない」
リゼリアは「へぇ〜……」と小さく声を漏らし、ルシアは相変わらず無言のまま、僅かに眉を動かした。
「──だが」
ラグナはそこで言葉を切り、口角を上げる。
「どんなルールにも、抜け道というものがある」
ニッとした笑み。
その表情には、王子としての威厳よりも、謎解きを前にした少年のような好奇心が色濃く滲んでいた。
「とにかく、僕の方は心配無用さ」
そう言って、軽く肩をすくめる。
「どちらかというと、注意すべきは……セディ達の方かな?」
「──殿下?」
セドリックが思わず問い返す。
「それは、一体……」
だが、その疑問は最後まで口にされることはなかった。
不意に、広間に反響する荒い声。
「いたぞ! こっちだ!」
複数人の足音と、装備が擦れる音が、壁面の通路の奥から一気に近づいてくる。
空気が一瞬で張り詰め、セドリックは反射的に盾に手を掛けた。
ラグナはその気配を感じ取ると、少し楽しそうに目を細める。
「おっと……これ以上ここにいると、無駄な時間を喰ってしまうな」
そう言って、仲間たちを振り返る。
「それじゃ、任せたよ。セディ、リゼリア、それに、ルシア」
軽い口調だが、その言葉には確かな信頼が込められていた。
「……あ」
付け足すように、ラグナは指を立てる。
「いざと言う時は、“神器”の解放も許可する。好きに戦って、思う存分ポイントを稼いでおいてくれたまえよ!」
「えっ、よ、よろしいんですかぁ〜!?」
リゼリアが驚いたように声を上げるが、その答えを聞く前に、ラグナは既に動いていた。
彼の足元に、風が渦を巻く。
それは“飛翔”ではない。
あくまで、風魔法による瞬間的な浮遊と加速。
「じゃあね」
その一言と共に、ラグナの身体がふっと宙に浮かび上がり、
ビュンッ!
という風切り音を残して、人の気配のない通路へと飛び込む。
一瞬。
本当に、瞬きするほどの間に。
「──あっ!? で、殿下……!」
セドリックが手を伸ばした時には、もう遅かった。
ラグナの姿は、闇の奥へと溶けるように消え去っていた。
残された三人の前には、迫り来る足音と、通路の影。
そして、王子のいない戦場が、静かに口を開こうとしていた。
◇◆◇
次の瞬間だった。
石造りの大部屋に通じる、複数の通路の影が一斉に揺らぎ、
そこから――ぞろぞろと、人影が溢れ出した。
剣。魔導銃。
槍、斧、鎖、短剣。
武器の種類も装備の系統もばらばらな、男女混成の集団。
ざっと数えて、二十名ほどだ。
彼らは無言のまま、しかし迷いなく動き、あっという間にセドリック、リゼリア、ルシアの三人を中心に円を描くように展開した。
完全な包囲網。
セドリックは即座に一歩前へ出る。
腰に提げていた異形の片手剣を引き抜いた瞬間、ガシャリ、と歯車が噛み合う重い音が鳴った。
歯車が幾重にも組み合わさった、機械仕掛けの刃。
チェーンソーのような構造を持つそれは、鈍く、しかし確実に殺気を放っている。
反対の手には、真円形のラウンドシールド。
飾り気のない盾だが、使い込まれた痕が、その信頼性を雄弁に物語っていた。
「は、はわわわ……」
リゼリアは一瞬だけ慌てたように声を上げる。
「な、何ですかぁ〜? 貴方達はぁ〜?」
両手を胸元に寄せた、いかにも困惑した仕草。
だが、その足運びは正確で、いつの間にかセドリックの背後へと半歩下がっている。
ルシアは──相変わらず、ぼんやりとした目をしていた。
だが、その視線は確実に周囲を捉えている。
人数、武器の種類、間合い。
一瞬で把握すると、彼女は静かに位置をずらし、
セドリックとリゼリアと、ぴたりと背中合わせになるように立った。
三人で、三方向。
沈黙を破ったのは、包囲する側の一人だった。
「……ラグナ殿下みたいな化け物」
低く、噛みしめるような声。
「本戦で正面から戦っても、勝てる訳がない」
別の男が、続ける。
「だが、この予選会なら……!」
さらに声が重なる。
「四人中三人が落ちれば……!」
「プレートを奪いさえすれば、チームごと脱落という、このルールなら……!」
ざわり、と空気が揺れる。
「都合よくラグナ殿下が単独行動をされている今──」
「ラグナ殿下以外の、君達三名を落とせば……我々にも、勝機はある!」
最後に、一人の男が、覚悟を込めて言い切った。
「我々にも、どうしても叶えたい願いがある」
「悪いが……“勅命権”のためだ」
「ラグナ・チームには――ここで消えてもらうっ!」
一斉に、武器が構えられる。
刃が鳴り、魔導銃の魔力炉が低く唸り、
二十名分の殺気が、三人へと向けられた。
その中心で、セドリックは──小さく、息を吐いた。
「……なるほどな」
落ち着いた声。
まるで状況を整理するように、淡々と。
「そういう事か」
彼は盾を構えたまま、相手を見渡し、続ける。
「ラグナ殿下の不在を攻める戦略。悪くない」
「君達のように戦局を見ることの出来る人材が、我がエルディナ王国にいる事――」
ほんの一瞬、セドリックの口角が上がる。
「喜ばしく思うよ」
その余裕ある口調に、包囲する側がわずかにざわめいた。何人かは、思わず足を止める。
その隙を逃さず、セドリックは言葉を重ねた。
「──だが」
空気が、張り詰める。
「君達は、大きな勘違いをしている」
盾が、前に出る。
剣が、わずかに唸る。
「ラグナ殿下を欠いた我ら三人であれば……」
「たった二十人足らずで制圧できる、と考えたのなら──」
セドリックの視線が、鋭く光った。
「それは、間違いだ」
次の瞬間。
セドリック、リゼリア、ルシアの三人が、同時に周囲を睨む。
「我ら三名は――」
「ラグナ殿下をお守りする“盾”であり……」
セドリックの剣が、正面を向く。
「ラグナ殿下の敵を討つ“矛”でもある」
リゼリアは、太もものガーターに指を掛けた。
クルリ、と軽やかな動きで、二本の黒い金属筒──"メイド式万能武装"を引き抜く。
チアバトンのようにくるくると回しながら、楽しげに微笑む。
「その力はですねぇ〜」
最後に、ルシア。
フード付きマントの下から、すぅっと両手が現れる。
その指先には、デッサン人形のような小さな人形が、細い糸で繋がれていた。
「……たかだか二十名で」
セドリックが、静かに締めくくる。
「折れる程、容易くは無い……!」
張り詰めた緊張が、場を支配する。
セドリックは、横目で二人を見た。
「リゼリア、ルシア。一人あたり、七人がノルマだ。いけるな?」
「はぁ〜い♪」
リゼリアの軽やかな返事。
「……さっさと終わらせる」
ルシアの眠そうな声。
セドリックは、剣と盾を正面に構え、低く告げた。
「──では、行くぞ」
次の瞬間、
三人と二十人の間に広がる空間が、一気に──殺意で満たされた。




