第236話 主人公とダブルヒロイン、覚悟の夜
螺旋モール上層階の展望レストラン"スカイ・セレステラ"──
全面ガラス張りの窓の向こうで、ルセリアの夜景が零れ落ちるように光っている。
煌びやかなシャンデリアと柔らかなピアノの生演奏。
……こんな場所、俺は前の人生では一度も来た事がなかった。
だけど、今は貸し切りだ。
俺たちフォルティア組と、召喚高校生たちの入学祝いパーティー。
(なんか……俺たち、最近パーティーばっかりしてない……?)
心の中でそう呟きながら、俺は盛り上がるメインテーブルを横目に見た。
全員が笑ってる。料理は豪華。飲み物も好き放題。
明らかに庶民の財布じゃ成立しない光景だ。
ヴァレンは「金の事なら心配すんな!」なんて笑ってたけど……
本当に大丈夫なの? 破産しない? 魔王って破産すんの?
まあ……皆が楽しそうなら、いいか。
それよりも──。
「……ヴァレンさぁ。マジで何してくれちゃってんの?」
俺は、騒がしいテーブル席から離れ、バーカウンターの高い椅子に腰を下ろした。
隣には、例の“元凶”がブランデーを揺らして座っている。
ヴァレンは琥珀色の液体を眺めながら、しれっとした声で言った。
「ん? 何の事だ? 相棒。」
こいつ…… 絶対分かってて惚けてるだろ。
「いや、昼間の編入生入学式の事だよ!!
"幻愛変相 "のせいで、とんでもない騒ぎになったじゃん!!」
俺の声は思いのほか大きくなって、バーテンダーのお兄さんが一瞬こっちを見た。
……いや、気にしないでください。俺が悪いんじゃなくて、この魔王が悪いんです。
ヴァレンは、いつも通りの悪びれない笑顔で肩をすくめた。
「ああ、大丈夫だ! 皆の“ブリジットさんに関する誤解”は、俺が上手く解いておくさ。」
「いやっ! それは……まあ、大事だけども!!」
そこも大事だよ!?
ブリジットちゃんが「あの銀髪クソ野郎に手篭めにされた女の子……?」とか誤解されたら可哀想だ。
だけど俺が言いたいのはそこじゃない!
「俺もとんでもない“二股野郎”だって皆に誤解されたじゃん!!男子からの殺気が凄かったんだけど!? 本気で刺されるかと思ったよ!?」
声のボリュームは控えたつもりだが、殺気という言葉の重みで胸が痛くなる。
あれは笑えなかった。いや、ホントに笑えなかった。
するとヴァレンは、グラスを置き、こちらを横目で見る。
さっきまでの軽さが嘘のように、瞳が細められた。
「──“誤解”? 今、誤解って言ったか? 相棒。」
一瞬で空気が変わる。
まるで、酒場の空気が夜よりも深く沈んだような感覚。
「ククク……相棒ともあろうものが、何を寝ぼけた事を言ってるんだ?」
う……こいつがこういう落ち着いた口調になる時って、大体ろくでもない。
「えっ!? い、いや、だって……あんな……」
俺が言い返そうとすると、ヴァレンは指を一本立てて制した。
「俺の "幻愛変相" は、その者が真に愛する者の姿を映し出す鏡……。
つまり、理想の恋人像を“魔力”という純度100%の材料で抽出する魔術だ。」
……嫌な予感。
「相棒の魔力から現れたのは、ブリジットさんとリュナの二人。それは“相棒が二人を等しく愛している”という、何よりの証拠だ。」
ぐっ……胸の奥が絞られたように痛い。
「──さて、これは『誤解』なのか?」
何も言い返せなくなった。
心臓のど真ん中を、事実だけで刺されたみたいだ。
俺は――。
「……確かに、俺は。ブリジットちゃんとリュナちゃん、二人とも……好きだよ。でも……」
言いかけた瞬間、ヴァレンの顔が一気に前のめりになり、
「ちょ、ちょっと待った……!!! ……今のセリフ、もう一回ちゃんと言って? 録音したいから……」
え?
えっ?
こいつ息荒くしてる!? キモッ!!
「今そういうのいいから!!」
瞬時に拒否した。
ヴァレンは「あぁぁ……」と肩を落とし、魂が抜けたみたいな顔をした。
よかった、平常運転だ。いや、よくはないな。
だがすぐに真顔になり、低い声で聞き直してくる。
「──で、何だって? 相棒。」
何だよこのスイッチの速さ。怖いわ。
「だ、だから……確かに、“誤解”っていうのは違うかもだけど……でも、だからって大勢の前で
『二人同時に好きです!』なんてバラさなくても……!」
思い出しただけで胃が痛い。
あの会場の視線……特に男子の方。
『どうか、ラグナ王子ともども死んでくれませんか?』みたいな視線は、今思い出しても足が震える。
「俺はブリジットちゃんの隣に立つ男だってことを示すために"統覇戦"に挑むんだし……
あれじゃ逆に悪目立ちだよ……!」
しかしヴァレンは静かに言った。
「相棒、まだ分からないのか?」
カウンターの小さなランプが、ヴァレンの横顔を赤く照らす。
その表情は、さっきまでのコミカルさを全て脱ぎ捨てた“魔王の顔”だった。
「これからお前はルセリア中央大学に通い……
当然、ルセリアの街を歩く機会も増える。
ブリジットさんやリュナと一緒にな。」
俺は喉を鳴らした。それは、その通りだ。
「──ゆえに、あれは“必要な暴露”だったという事だ。」
必要……だった?
ど、どういう意味だよ……ヴァレン?
胸の奥に、まだ形にならない不安が泡のように浮かぶ。
俺はグラスを握りしめながら、ヴァレンの言葉の続きを待った。
◇◆◇
ヴァレンの言葉の意味をまだ全部飲み込めないまま、俺が眉間に指を当てて唸っていると――
「兄さーん! おつっすー!!」
突然、背中に柔らかい衝撃が走った。
次の瞬間には、俺の肩に温かい腕がガバッと回されている。
視界の端で、黒マスクと金茶のロングヘアーが揺れる。
これはもう絶対リュナちゃんだ。
「ヴァレンとなんか話してないで、あっちで皆で盛り上がりましょーよー!料理ヤバいっすよ!? あの肉、箸で切れるっすよ!!」
上機嫌そのものの声。
嬉しさが伝播してくるようで、思わず俺の頬も緩む。
……んだけど。
こんな距離近いの、分かっててやってんの……?
いや、リュナちゃんは前からこうか。
慣れてきたつもりなのに、やっぱり心臓の鼓動が跳ね上がる。
背中越しに伝わる体温が、やたらリアルなんだよな……。
ヴァレンがそれを見て、いつもの悪魔みたいな笑顔を浮かべた。
「ククッ……リュナのやつ、上機嫌なのも無理はない。相棒への "幻愛変相 "で、自分とブリジットさんの姿が現れたって教えてやったからな。」
「な……っ!? てめー、ヴァレン!! バラすなし!!」
リュナちゃんの全体重が俺の背中にかかったまま、
彼女は片手を伸ばしてヴァレンの頭をパシッと小突く。
痛くはなさそうだが、気持ちのこもった一撃だった。
ヴァレンは眉の形ひとつ変えず、むしろ嬉しそうな顔でグラスを揺らし続けている。
ほんとこの魔王、どこまで人をからかえば気が済むんだ。
俺は小さく息を吐き、肩越しにリュナちゃんへ声をかけた。
「──リュナちゃんはさ、イヤじゃないの?」
「ん? 何がっすか?」
まだ俺の肩越しに抱きついたまま、柔らかく首を傾げる声。
マスク越しでも、彼女が目を細めているのが分かる。
俺は一拍置いてから、正直に言ってみた。
「いや……その。
俺の 理想の相手 が、自分だけじゃなくて……
ブリジットちゃんと二人だって事。
イヤだったりしないのかなーって……」
言い終えてみると、心臓が変に熱くなった。
こんな事、真正面から聞くのは不安すぎる。
リュナちゃんがどう思っていたのか、まだ知らなかったから。
リュナちゃんは一瞬キョトンとした沈黙を挟み――
「いやー、全然っすねー。」
……え?
あまりにも自然すぎる返答に、飲みかけのウーロン茶をこぼしそうになった。
横のヴァレンは、唇を吊り上げて小さく笑う。
本当に“分かった上で”仕掛けていたのがよく分かる。
「えっ、ぜ、全然なの……?」
俺が混乱していると、リュナちゃんは俺の背中に頬を寄せながら、
黒マスクの上の目を柔らかく細めた。
「あーし、兄さんも姉さんも、どっちも好きピなんで!むしろ、あーしだけ兄さんに選ばれちゃう方がNGっすね!」
「……え?」
「前に姉さんとも話したんすよ。姉さんも、ずっと3人で一緒にいたいって言ってくれてましたよ!」
……嘘だろ。
俺は思わず息を呑んだ。
そんな事、二人とも……。
そんな気持ちで、ずっと俺の側に……。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
嬉しくて、苦しくて、温かくて……。
どの感情を先に処理すればいいのか分からない。
ふと、ヴァレンが低い声で切り込んできた。
「──相棒。もしお前が、皆の前で
『自分はブリジットさんだけを想っている』
と宣言していたとしよう。」
ヴァレンの目は、珍しく真っ直ぐだった。
俺を試しているような、そんな光。
「その場合、街中では──
リュナはお前にこうして軽々しく触れられなくなる。」
「……え?」
「周囲から“浮気”だと思われるからな。」
言われて初めて理解した。
確かに……そうなる。
この世界では“公的に認められた関係性”が、想像以上に重い。
王都、貴族、学校……噂なんてあっという間に広がる。
俺の“立ち位置”が、二人の行動に直接影響する。
リュナちゃんはそれを聞き、少しだけ声を落とした。
「えっ……? あーし、兄さんにくっついちゃダメなの……?」
言いながら、なぜか抱きつく力が強くなった気がする。
可愛いけど胸が痛い……。
ヴァレンは俺へ向き直り、真剣な瞳で問いかけてきた。
「相棒。お前、リュナにこう言えるのか?」
一拍置いて、ヴァレンは口にした。
「──『二股だって誤解されるから、離れて』と。」
…………無理だ。
そんな事、言えるわけがない。
この子は俺の事を信じてくれて、支えてくれて、戦ってくれて……。
そんなリュナちゃんを、自分の体裁のために突き放すなんて。
ねぇよ、そんな未来。
理解した。
ヴァレンの言いたかった事全部が。
胸の奥で、固い覚悟の芯がゆっくり形を成す。
「──分かったよ。ヴァレンの言いたい事。」
俺は静かにため息を吐き、
リュナちゃんの手を一度だけ軽く握ってから、顔を上げた。
「俺は……二股野郎だ。
誤解でも何でもない。
ブリジットちゃんもリュナちゃんも、二人とも等しく大事に想ってる。」
この言葉を自分の声で言うのは、思ったより重かった。
でも──嘘じゃない。逃げでもない。
ヴァレンは嬉しさを隠そうともせず、ニッと笑った。
俺は続けた。
「だったら、皆の前で堂々とそれを示した上で……
実力でそれを納得させるしかない。
二人の女性を幸せにできるくらい、凄い男だってことを、“行動で”見せつけるしかない。
そういう事だろ?」
ヴァレンの瞳が、ふっと揺れた。
光を反射したその瞳は、
ほんのわずかに……本当にわずかに、潤んでいるようにも見えた。
そして次の瞬間――
「素晴らしい……ッ!!
素晴らしいぜ、相棒……!!
それでこそ“主人公たる器”……最高だ……!!」
立ち上がりかける勢いで、ヴァレンはグラスを掲げた。
その動作は誇張のようでいて、妙に真に迫っている。
店内の照明が琥珀色の酒に反射し、彼の横顔を煌めかせた。
胸の奥が、なぜか熱くなる。
「そうだ、相棒……!!」
ヴァレンの声は、もはや講堂でもないのに講堂並みの響きを持っていた。
「二人の女性を大事にするというなら、恥じてはならないッ!胸を張れ……堂々と言ってやれ……!!」
その“鼓舞”は、熱量だけなら炎の魔法より危険かもしれない。
でも──耳が拒否しない。
むしろ、この魔王の言葉だけは、不思議と胸に響いた。
そして、彼はさらに顔を近づけ、声を落としたかと思えば──
次の瞬間、魂の底から叫んだ。
「『アイツらは俺の女だ、文句あるか?』──と!!
それこそが、“雄力”……
ハーレム主人公には欠かせぬ魂ッッ!!」
……いや、あの。
ここ高級レストランなんだけど。
反射的に周囲を見回すと、
隣のバーテンダーさんが、カランッ! と派手に氷を落としていた。
めっちゃ分かるよ、その気持ち。
俺でも落とす。
けど――
この魔王、言ってることの 本質 は外してないから困る。
「……ヴァレンさぁ。気持ちは分かるけど、叫ぶのやめて……」
俺が思わず額を押さえると、ヴァレンは口元だけで笑った。
その笑みは、
さっきのふざけた笑顔とは明らかに違う。
からかいでも、悪戯でもない。
どこか──誇らしげで、嬉しそうで。
そしてほんの少しだけ、寂しげに見えた。
「相棒……お前がそう言ってくれて、本当に嬉しいんだよ。」
ヴァレンはゆっくりと席に腰を下ろし、
手元のグラスを軽く揺らした。
琥珀色の液体の波紋が、天井の灯りを吞み込むように揺れた。
「二人を大事に想う気持ちを、誰に遠慮する必要もない。堂々と貫け。──それができる男だけが、二人を幸せにできる。」
静かな声。
その響きには、魔王としての威厳でも、悪戯な色気でもない“真心”だけがあった。
俺は思わず息をついた。
「……ありがとう、ヴァレン。」
素直に言うのは照れ臭かったが、
今だけは言っておかないといけない気がした。
ヴァレンは一度だけ、満足げに目を細めた。
「礼なんていらないさ。相棒が本当に“ラブコメ主人公”になっていくのを見るのが、俺は楽しくて仕方がないんだよ。」
その言葉に、心の奥がじんわりと温かくなった。
俺は軽くグラスを持ち上げ、ヴァレンのグラスにそっと合わせる。
「……じゃあ、その期待に応えられるよう、頑張るよ。」
「ククッ……期待してるぜ?──相棒。」
グラスが軽い音を立て、
その余韻がレストランの空気に溶けていく。
遠くでは、召喚高校生たちが笑い合っていて、
ブリジットちゃんとリュナちゃんの明るい声が混じって聞こえる。
ここから始まるんだ。
“二人を幸せにする”っていう、俺にしかできない物語が。
俺は深く息を吸い、そっと微笑んだ。
「……行くか。皆のところへ。」
ヴァレンは満足げに頷いた。
今夜、俺はひとつ覚悟を決めた。
そして、その覚悟を肯定してくれる仲間がひとり、確かに隣にいた。
──主人公の器なんて自分では分からないけど。
二人が笑っていられる未来だけは、何としても手に入れよう。
そんな風に思えた夜だった。




