第228話 日常のほころびと、黒き魔影。
目の前で、ヴァレンが──笑っていた。
いや、正確には“笑顔のまま固まっている”と言うべきか。
喫茶店の窓辺、柔らかい陽が差し込むテーブルの向こう側。
サングラス越しでも分かるくらい、目がまったく笑ってない。
「なるほど、なるほど?」
膝の上で指を組み、足を組み、背筋をピンと伸ばし、まるで面接官のように頷きながら、小さく同じ言葉を繰り返している。
……怒ってるな、コレ。
いや、“割とガチめに怒ってる時のヴァレンの顔”だ。
(やばい……絶対怒ってる……!
あのヴァレンが、笑顔なのに一ミリも揺れないとか逆に怖いんだけど……!?)
喉がキュッと痛いほど緊張して、氷水を飲んでもないのに胸の奥が冷えていく。
やがてヴァレンは、その完璧に変わらない表情のまま俺を指さすようにして言った。
「つまり、だ。相棒──まとめるぞ?」
「は、はい……」
「お前は、俺が『読むな』と三回どころか八回くらい言った【全魔典】を読み、そして“うっかり”第六王子の固有魔法を習得してしまい、それを実技試験で無詠唱でぶっ放し、よりにもよって多人数の前で目立ち散らかし──」
淡々と、抑揚なく、確認。
動きのない笑顔が逆に怖ぇ。
ヴァレンは指を鳴らすみたいに言葉を区切り、
「さらに、だ。」
「……まだあるの?」
「せっかく相棒のことを“うっかり忘れていた”第六王子の怒りを、丁寧に焙煎し直して再加熱し、新鮮な嫉妬心を与える形で提供した──
……という理解で、よろしいんだよな?」
完全に“丁寧な確認”のトーンだった。
だからこそ余計に怖さが増している。
俺は背筋を正し、
ぺこりと頭を下げるように答えた。
「お、おおむねその通りです……」
すると──
「ン何でそうなった!?」
一瞬でキレた。
全身をビクッと揺らしてしまうほどの声量。
バイき⚪︎ぐの小峠さんみたいなトーンで叫んだ。
店内にいた客が全員、コーヒーのカップを持ったまま静止した。
「俺、言ったよなぁ!?
“統覇戦までは力できるだけ隠しとけ”って言ったよなぁ!?“第六王子には、できるだけ近づくな”って言ったよなぁ!?なぁ相棒!?言ったよな俺!?なぁ!?」
「ひぃ……!」
「なのになんで!?
なんで全部真逆いってんだよ!?なんで火薬庫にタバコ吸いに行くみたいなことするんだよお前ぇ!!?」
店員さんの手がプルプル震えている。
周囲の客は小声すら発せず、
ただ「やべーの来た」という顔で俺たちを見つめていた。
そんな中。
俺の頭に“柔らかい感触”が乗った。
「で、でも、ヴァレンさん!アルドくん、実技試験一位だったんだよ?すごいじゃない!もっと褒めてあげたっていいと思うの!」
ブリジットちゃんだった。
彼女は俺の頭を両腕でぎゅっと抱き寄せ、
まるで泣いて帰ってきた子供を慰めるみたいに
優しく髪を撫でてくれる。
(天使かな……?ブリジットちゃんの心は天使の実証実験かな……?)
ほんとこの子、優しすぎて泣ける。
だが──ヴァレンは容赦しなかった。
「ブリジットさん!!甘やかすんじゃあない!!」
店中がビクッ!
「相棒は確かに強い!とんでもなく強い!!出来ない事なんて、ほとんど無いかも知れねぇ!!
ただなぁッ!!それは“独りで全部やる”時の話だ!!人の世で暮らすんだろ!?人と寄り添うんだろ!?ならなぁッ! 力はただ振ればいいってもんじゃねぇんだよ!!」
ビシッと指を突きつけてくる。
「力ってのは、振るう時と振るわない時の見極めが大事なんだ!違うか!?相棒!!」
「は、はいぃ……!」
怒られてる感がすごい。
大人になってから叱られるのってなかなか心にクるものがある。まあ、自業自得なんだけども……
ヴァレンはそこで一度息を吸い、
俺の目をまっすぐ見てくる。
その目は、
本当に“友達を心配してる”目だった。
「……相棒。お前、何でそんな無茶した?」
俺はブリジットちゃんの腕に包まれたまま、
ぽつりと本音を漏らす。
「いや、本当ごめん……力、隠すつもりではいたんだけど……でも──“ブリジットちゃんの隣に立つ男だぞ”って、みんなに、ちゃんと知ってほしくて……」
「──っ!」
ブリジットちゃんの手が止まり、
耳まで真っ赤に染まっていくのが分かる。
「アルドくん……っ」
ブリジットちゃんの声は震えていた。
ヴァレンは
「そうは言うがな、相棒……!お前が目指すべきは"統覇戦"での優勝だろ……!その為には、そんな事に拘ってる場合じゃあない……」
そこまで言って、ヴァレンが固まった。
完全に固まった。
まるでCPUが急に処理落ちしたみたいに。
「…………」
「え?ヴァレン?」
「……………………」
「ヴァレンさん?」
すると──
ヴァレンは小声で、壊れたラジオみたいに呟き始めた。
「──ちょっと待て……ヴァレン・グランツ……?
お前は今……何を……言って……?」
「??」
「相棒が……シャイボーイの相棒が……
“ブリジットさんの隣に立つ男だ”と知らしめるために力を使った……?
そんな……そんな尊い理由が……他にあるものか……?」
震えてる。
肩が、声が、魂が震えてる。
そして──
ヴァレンは、両手で自分の顔を掴んだまま叫ぶ。
「なのにお前はッ!何て言った!?
“そんな事に拘ってる場合じゃない”だと!?
違うだろおおおおおッ!?
色欲の魔王はッ!!ヴァレン・グランツは、そういう事に命懸ける男だろうがああああ!!」
あ、これはダメなやつだ。
完全に壊れた。急に。
次の瞬間。
「バカーーーーッッ!!」
ヴァレンは自分の右拳で自分の右頬を全力で殴った。
ドガッ!!
「「ええぇぇーーーーっ!?」」
椅子から転げ落ちる魔王。
血が一筋、床に落ちる。
店内阿鼻叫喚。
店員さんがトレイを手に持ったまま固まってる。
ヴァレンは荒く呼吸しながら、
よろよろと席に戻ると
「……す、すまねぇ相棒……
さっきまでの俺は正気じゃなかった……
お前はその“想い”のまま突き進んでいい……!」
と、血をぬぐいながら言った。
いやいやいや!!
今の行動の方がよっぽど正気じゃなかったんだけど!?
でも──
不思議と、胸が温かかった。
(……お前、そんなに俺のこと考えてくれてたんだな)
なんか、グッときた。
俺は胸の奥で、そっと感謝するのだった。
◇◆◇
ヴァレンは、突如として自分の頬を パァン! と叩いた。
乾いた音が喫茶店に響き、近くにいた客がビクッと肩を上げる。
「よっしゃ、頭冷えたぜ。」
あまりに気持ちいい切り替わり方だった。
さっきまで拳で自分を殴っていた人とは思えない。
ヴァレンはサングラスを指先でクイッと押し上げ、
爽やかな笑みを浮かべる。
「やっちまったもんは仕方がねぇ。
それを踏まえて、今後の作戦を立てようぜ、相棒。」
「……いつも苦労かけてごめんねぇ……」
俺が深々と頭を下げると、
すぐ隣でブリジットちゃんも、
小さくぺこりと頭を下げてくれた。
なんだろう……
二人同時に頭を下げるだけで、
世界が少し優しくなる気がする。
ヴァレンは両手をテーブルに置き、
俺の瞳を真正面から見据えて言った。
「とにかく、実技であれだけ派手に目立ったなら、
相棒が不合格ってことはまずねぇだろう。」
まあ……確かに、あんな注目され方して落とされたら泣くよ。
「となるとだ。
次に考えるべきは──“統覇戦”に向けてのパーティ結成だな。」
「パーティ……?」
俺は思わず聞き返していた。
あれ、統覇戦って個人戦じゃなかったっけ?
その疑問を察したのか、
ブリジットちゃんが明るい笑みで教えてくれる。
「“統覇戦”はね、四人一組で参加する競技なんだよ!四人でエントリーするの。
“何事も一人では限界がある。仲間を集めて協力できる力も、優れた人物には必要だ”って理念なんだって。」
「なるほどね……」
ブリジットちゃんが言うと、妙に説得力がある。
完全ワンマンでは勝たせない仕組みなのか。
まあ、ラグナ王子みたいな“俺が主人公だぞ”系一騎当千キャラを抑えるためってのもあるんだろう。
俺はコーヒーを一口飲んでから尋ねた。
「ん?そうなると……俺らのチームって、どうなるのかな?俺とブリジットちゃんは確定として……残りの二人は?ルセリア中央大学の学生じゃないとダメなんでしょ?」
そこでふと思い出し、ヴァレンを見る。
「もしかして、ヴァレンが三人目のメンバーとか……」
色欲の魔王が入れば、それはもうチートだ。
戦力的には大歓迎だし、安心感はダントツ。
が。
ヴァレンは肩をすくめてみせた。
「いや、俺は参加できねぇよ。大学の生徒じゃねぇしな。それに──来週から客員教授としてここで教鞭を振ることになってんだわ。」
「えっ!?教授!?」
すげぇ……!
日本でいう東大レベルの大学で教授なんて、普通に快挙じゃない?
ブリジットちゃんも目を丸くしていた。
「ヴァレンさん、すごーい!」
「まあな!」
胸を張るヴァレンは、どことなく誇らしげだ。
魔王の肩書きより教授の肩書きの方が嬉しそうだ。
俺は興味津々で尋ねた。
「で、どんな授業やるの?
やっぱ、“魔王秘伝の古代魔術”講義とか?」
ヴァレンはニヤリと笑い、胸を張って宣言する。
「俺の講座はな──
『ロマンス文学史──古典戯曲から近代ラブコメコミックへの移り変わり──』だ!」
「魔王関係ねぇじゃん!!」
思わず叫んだ。
周囲の客何人かが吹き出した。
「いや、最近売れてきてんだよ!俺の漫画!
ついに大学の公式講義にも採用されたわけ!」
「そんな理由!?
学問的な評価とかじゃなくて!?
趣味仕事じゃん!!」
いやまあ、これはこれで偉いんだけど……。
だがそうなると、ヴァレンは参加不可能。
俺の心に不安が生まれる。
(どうしよう……?
リュナちゃんや蒼龍さんは強いけど学生じゃない。
フレキくんとグェルくんも頼りになるけど……犬だし……)
召喚高校生たちは戦力としては申し分ないけど、
せっかく平和に生きられるようになったのに
俺の都合で戦いに巻き込むのは気が引ける。
そんなことを考えていると、
ヴァレンが思い出したように言った。
「そういやよ。
例の“極太スポンサー”から──
『助っ人として、お主らの知っている者を編入試験に送る』って話が来てたんだよ。」
「えぇ!?助っ人!?」
「『本人たっての希望ゆえ、合流を頼む』って言ってたんだが……その後ぱったりなんだよな。相棒、試験会場に誰か知った顔はいなかったか?」
知った顔?
いやいやいや、
そんなのいたら俺が真っ先に気づいてるでしょ!
……と思ったが、
同時に脳裏に浮かぶ“とある人物像”。
(……いやいやいや……まさか……いや、まさかな……)
極太スポンサー。
本人の希望。
編入試験に送り込む。
繋がるキーワードが、
俺の中にひとつの人物を象徴的に浮かび上がらせる。
(……いや、違う……違うよね……?)
俺は必死に頭を振って想像を押し返した。
とにかく、今考えるべきはパーティメンバーだ。
「……それもこれも、俺が合格してたらの話だけどね。」
俺が苦笑すると、
ブリジットちゃんは力強く頷いた。
「アルドくんなら絶対大丈夫だよ!」
ヴァレンもサングラス越しにニヤリと笑う。
「相棒、明日は正午だな。
合否発表、楽しみにしとけよ。」
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螺旋モールでの買い物を満喫したリュナ達四人は、夕暮れ色に染まった街路を抜け、近くの公園へと足を踏み入れた。
赤く傾いた太陽が、街のビル群の隙間を金色に縁取り、オレンジと藍色が混じり合う静かな空気の中に、人々のざわめきと笑い声がゆるやかに溶けている。
リュナは黒マスクを顎までずらし、
キッチンカーで買ったホットドッグを片手に歩いていた。
「うっま。買って正解っしょ、コレ。」
金茶のロングヘアーが夕日に照らされ、
黒ギャルらしさ満点の存在感が、
夕暮れの公園の空気を軽やかに揺らしている。
その後ろを歩くのは蒼龍。
青髪のロングをふわりと揺らしながら、
白と青の中華風ドレスの裾をひらめかせ、
買ったばかりの紙袋を誇らしげに抱えていた。
「こんな綺麗な街、初めてなんだもの!アタシ、テンション上がっちゃってぇ♪」
彼女の足元では、
ミニチュアダックスモードのフレキが、
ハッハッハッと息を弾ませながら走っている。
「今日は本当にたくさん買いましたねっ!蒼龍さん!」
荷物持ち担当のグェル──
覆面レスラー姿で、猫マスクをつけた犬型フェンリル──は、両手いっぱいに紙袋を抱えながらも、むしろ嬉しそうに声を弾ませる。
「よかったですねッ!蒼龍さん!」
蒼龍は腰に手を当て、
まるで姉御のように明るい笑顔を返す。
「ありがと、グェルちゃん!
もう、兄さんと紅竜ちゃんも一緒に来ればよかったのに〜!」
フレキはトコトコと蒼龍を見上げながら言う。
「でも、紅龍さんと黄龍さんがお留守番してくれてるおかげで、フォルティア荒野は安心ですよねっ!
父上もいますし!」
「確かに〜」
リュナがホットドッグを頬張りながら口を挟む。
「アイツらなかなか強ぇーし、あの辺残ってくれてると安心っすね。」
蒼龍はそんなリュナの横顔を見て、柔らかく笑った。
「リュナちゃんも、ありがとねぇ。
アタシの我儘に付き合ってくれて!」
リュナは、残ったホットドッグを口に放り込み、
ゴクンと飲み込んでからギザ歯を見せてニッと笑う。
「べーつに?
螺旋モールってやつ、兄さん達から話聞いててさ、
あーしも来てみたかったし?」
「ふふっ、ありがと!リュナちゃん!」
夕日に照らされた四人の笑顔は、
異国の街に溶け込むように、明るく温かかった。
だが──
その空気が不意に濁る。
フレキが、公園の奥を見てピタリと立ち止まる。
「あの人……大丈夫ですかね?
具合が良くなさそうですっ!」
四人の視線が、
フレキの視線の先に吸い寄せられた。
夕暮れの公園を、
フラフラと覚束ない足取りで進む青年──
リニア・アシュフォード。
彼の顔色は紙のように青白く、
まるで自分の足がどこに着いているかもわからないような歩き方だった。
次の瞬間。
──ドサッ!!
青年は音を立てて地面に崩れ落ちた。
リュナが片眉を上げる。
「ありゃりゃ。ホントに具合悪かったんすね。」
蒼龍も驚いて声を上げる。
「ちょっとぉ!?アナタ、大丈夫〜!?」
周囲の人々も「え、倒れた?」「大丈夫?」とざわめき、次々に青年の周りに集まっていく。
その中心で、倒れた青年がうわ言のように呟いた。
「……俺は……俺はもう、ダメだ……
俺の、何が……アイツらと違うんだ……」
声は弱々しいのに、
言葉の奥には燃え盛るような嫉妬の熱がある。
「妬ましい妬ましい……!
俺だって……あの三人みたいな……力さえ……あればアアアアアァァァ!!」
──ブワッ!!
黒い“何か”が吹き出した。
それは煙のような霧のような、しかし明らかに魔力。
公園の空気が一瞬で重くなり、
地面に落ちた夕陽の影までもが黒く曇る。
リュナの表情が一瞬で変わった。
黒マスクを掴みながら、声を張り上げる。
「──まずいっすね!!
全員、『その男から離れろ』!!」
咆哮が空気を震わせた。
命令を受けたかのように、
青年の周囲にいた人々は一斉に動き出す。
我を忘れたように、ただ走り──
距離を取り、安全圏まで逃げていく。
次の瞬間。
──ドッ!!
黒い霧が爆ぜた。
そしてそこから現れたのは──
もはや“青年”ではなかった。
全身が黒く塗りつぶされた人型の影。
胸元だけ、蛇のような白い紋様がうねるように残っている。
まるで“何かを作る途中で中断された3Dモデル”のような、不完全で、恐ろしく不気味な存在。
その影は、ギギギ……と軋むような音を立てながら、
不自然な角度で首を持ち上げた。
ホラーゲームの敵が現れたような、
理屈では説明できない“間違った動き”。
公園中に悲鳴が広がり、
残っていた人々も散り散りに逃げ惑う。
蒼龍は思わず口元を手で覆った。
「に……人間が……魔物に……なった……!?」
リュナは目を細め、黒マスクを引き上げて口元を隠す。
その声は、先ほどの軽さとは違い、
街を守る者の鋭さを纏っていた。
「──都会には色んなヤツがいる……
って話でもなさそうっすね、コレは。」
そして次に来る戦いの気配が、
夕暮れの公園を冷たく染めていった。




