第227話 編入試験終了、動き出す物語。
ラグナ王子がキラキラのエフェクトをまき散らしながら遠ざかっていくのを、俺とザキさんはぽかんと眺めていた。
あの笑顔の裏、完全に鬼だったんですけど……。
引くわー……。
横でザキさんが、さっきの方向を顎で示しながらぼそっと言う。
「……なんや、あの王子様。めちゃめちゃキレてるやん。あないに人前でキレ散らかすキャラやったか?」
「いや、俺もビビったよ……」
思わず苦笑が漏れる。
まさか、人前であそこまで罵倒されるとは思ってなかった。
てっきり“王族の余裕と上品さ”みたいなのを振りまくタイプだと思っていたのに……。
でも、あれだ。
あの人、俺に地面にめり込まされた時の記憶が薄っすら残ってて……その恨みが爆発したという可能性も、無きにしも非ず的な……?
そんなことを考えていたら、周囲の受験生たちがヒソヒソ声を漏らしていた。
「お、おい……ラグナ殿下って、あんなキャラだったか?」
「今の見た?あの108番にめちゃくちゃ酷いこと言ってたよな……?」
「自分の魔法をコピーされたの、そんなに悔しかったのか?」
「いや……あれはもう嫉妬だろ……」
あー……ですよねー……
みんなの感想が想像通りすぎて泣ける。
確かに、王子ってああいう外面を死ぬほど気にしそうなタイプだ。
いきなり感情を露わにしてキレるイメージじゃなかったのに……。
すると、少し離れたところで長身お姉さんが仁王立ちしていた。
「あの態度はいただけないわねッ!男子たるもの、もっとドシンと構えなきゃダメよッ!」
完全に俺の味方として怒ってる。
え、何その感じ。ちょっと嬉しいんだけど。
ザキさんが肩をすくめ、
「アルドくん、気にせんとき。あの王子さん、腹でも減って気ぃ立っとったんやろ。」
と笑う。優しい。
ほんとこの人、いちいち救いの言葉くれるんだよな。
「ありがとねー、ザキさん。いや、びっくりしちゃうよね、あの豹変っぷり!」
何気なくそう言うと、ザキさんが俺の顔を、
まるで“素材をよく観察する料理人”みたいな目でじっと見つめてくる。
「……“びっくりした”ん? あの王子に凄まれて?」
「え? ま、まあね。あんな急にキレてくると思わないじゃん?」
次の瞬間、ザキさんの細い目が、一瞬だけ、人を斬る刀みたいに鋭く細まった。
「──人類最強とも言われとる、ラグナ第六王子にあんだけかまされて、“びっくりした”?」
にっ、と笑う。
あ、これダメだ。
俺の背筋が一瞬で冷えた。
しまった……そうだよな。
“恐怖”を感じる素振りがほとんど無かった。
俺の反応は人間としておかしいのかもしれない。
ごまかせるような相手じゃない。
こいつ、笑ってるけど目は全然笑ってない。
この人は……多分、強い。
笑って誤魔化すことを許してくれない“本物”だ。
ザキさんはさらに続ける。
「やっぱり、アルドくん……只者やないね。
ぶっちゃけ、ラグナ王子より強いんと違う?」
……もう誤魔化せないか。
俺は苦しく息を吐き、観念したように肩を落とした。
そして、静かに告げる。
「……そうかもね。もともと、“統覇戦”では、あの王子も倒して……俺が優勝するつもりだし。」
その瞬間、空気が変わった。
ザキさんはビクッと一瞬だけ縮こまった。
たぶん、俺の声に“龍”の響きが乗ったんだ。
だが次の瞬間には、いつもの笑顔を作っていた。
「……なるほどな。ま、そりゃそうやな。」
あはは、と笑いながらも、さっきの一瞬の“本音の瞳”は嘘をついていなかった。
ザキさんは続ける。
「──恐らく、実技テストで爪痕これだけ残した俺らが落ちる事は無いやろな。合格したら、俺と君ぃも……ライバルやな。」
ああ、そうか。
ザキさんは“統覇戦”の優勝を狙ってる一人でもあるのか。
俺は初めて、その事実にちゃんと気付いた。
ただの面白関西人じゃない。
この人もまた、“戦場に立つ者”なんだ。
「……そうだね。もし戦うことになったら、お互いベストを尽くそうね。」
そう言うと、ザキさんは冗談っぽく肩をすくめた。
「せやな〜。まぁ……なるべくアルドくんとは戦いたないけどな?」
そう言って拳を突き出してきたので、俺も拳を合わせる。
コツン。
その音が、さっきまでの緊張をほんの少しだけ溶かした。
ふと、視線の気配を感じて振り返ると──
長身お姉さんが、じぃぃぃぃっとこっちを見ていた。
完全に見てた。
今の拳のとこまで見てた。
視線が合った瞬間、お姉さんはハッとして頬を赤くし、サササッ……!と、無言で逃げていった。
「……何なのよ……」
思わず呟く。
とりあえず、試験は終わった。
俺はザキさんに「それじゃ、また明日。合否発表でね」と手を振り、どっと疲れた足取りで、ゆっくりとルセリアの街の中心部へ歩き出した。
夕日が差し込む石畳の道路を歩きながら、
俺は思う。
──やばい日だったな……本当に。
でも、もっとやばいのはこれからだ。
そんな予感が、胸のあたりでずっとざわついていた。
───────────────────
受験番号014番──リニア・アシュフォードは、
重い鉛を括りつけられたかのような足取りで、試験会場の門をくぐった。
背筋はわずかに丸まり、肩は落ち、
彼の影は夕陽を受けてもなお薄暗く見える。
その表情には、生気がほとんど宿っていなかった。
まるで、魂の半分を置き忘れてきたように──。
リニアの生まれ育った領地は、王都から遠く離れた寒冷地にある。
慎ましくも豊かな農作地帯だったが──昨年の異常寒害で状況は一変した。
農作物の大半が凍死し、家畜は衰弱し、領民たちの収入は激減。生活は急激に苦しくなった。
領主である父は王国上層部に何度も支援を要請したが、返ってきたのは冷たく無責任な返答だけだった。
『大変なのはどこも同じだ。個別救済は行わん。』
冷徹な拒絶。
豊かだったはずの領地は、今や衰退の危機に瀕していた。
(……父上を……領民を……救わないと……)
だからこそ、リニアはここに来た。
──勅命権。
それを得れば、王国の制度の隙間を縫ってでも、
領地を救うための「絶対的な命令権」を得ることができる。
そのチャンスが“ルセリア統覇戦”。
そしてその出場権を得るには、
この難関・ルセリア中央大学の【編入試験】に受からなければならない。
そのために、リニアは、努力をしてきた。
暗記が苦手でも、
剣の腕が平凡でも、
体格が強靭ではなくても。
彼には、女神から授かったひとつのスキルがある。
──”詠唱短縮”。
呪文やスキルの発動速度を早める補助的能力。
派手ではないが、使い道によっては力になるはずだ。
そう信じて、必死に鍛え、ひたすら努力してきた。
(……それなのに……)
しかし。
筆記はそれなりにできた。
問題は実技だった。
リニアのスキルは派手さに欠ける。
火力が上がるわけでも、攻撃力が跳ね上がるわけでもない。
案の定、彼の実技スコアは──
【869】
その数字は、試験会場に掲示された瞬間、
リニアの胸に鋭い針のような痛みを突き刺した。
周囲の受験生たちのざわめきが耳を刺す。
「……あれ、ギリギリ落ちるやつ……」
「クイックキャストか……うーん……」
「ぶっちゃけ地味なんだよな……」
(……分かってる……分かってるさ……)
唇が震えた。
その心をさらに折るように、
次の受験生が、規格外の数字を叩き出す。
受験番号025番──
長身の美女が繰り出したのは……まさかの“頭突き”。
【19758】
「……は?」
何が起きたのか、本気で理解できなかった。
続く、受験番号052番。
糸目の青年が、居合のように剣を抜いた瞬間──
【24015】
そのスコアに会場がどよめき、
リニアの膝はがくりと震えた。
(格が……違う……)
もう、このレベルは同じ試験を受けている人間じゃない。
“ステージが違う”。
そして極めつけ。
受験番号108番──銀髪のあの少年。
アルド・ラクシズ。
彼は、淡々とした顔で指先を掲げ、
ラグナ第六王子の固有魔法を──
“無詠唱で、模倣して放った”。
眩しい閃光が世界を白く塗りつぶし、
スコア表示が光る。
【28286】
空気が震えた。
王子の顔が青ざめた。
(……ラグナ王子ですら焦りを見せる……そんな存在が……)
自分と同じ受験生として、そこに立っている。
(……無理だ……)
リニアの胸の奥で、何かが静かに折れた。
(……俺では……勝てない……こんな化け物たちに……? たとえ合格したところで……統覇戦で勝ち残れる訳がないだろう……)
視界が滲む。
頭では分かっていた。
努力したところで、届かないものがあることも。
だが──
父を救いたいと願ってきた心が、
今ここで音を立てて崩れ落ちていくのを、止められなかった。
(……俺にも……あいつらみたいな力があれば……)
その想いは、祈りではない。
純粋な“嫉妬”だった。
初めて感じた人間らしい黒い感情が、
胸の奥でじわりと渦を巻き始める。
試験会場の中央では、
ラグナ王子が怒りを押し殺しながら、
スコアTOP3の受験生たちへ近づいていった。
その光景を、リニアは虚ろな目で眺める。
(……どうせ……俺なんて……)
誰も、自分の存在なんて気にしていない。
いや──
気にする価値がないのだ。
何の力も持たず、
何の結果も出せず、
誰の胸にも印象ひとつ残せなかった自分には。
気づけば、視界は黒く沈んでいた。
リニアは、俯いたまま会場を後にした。
足取りは覚束ず、まるで霧の中を歩いているようだった。
夕陽は暖かいはずなのに、
彼の背へと落ちる影は異様に冷たかった。
その胸の奥。
深い絶望と嫉妬の底で──
黒い魔力が、静かに、確かに渦巻き始めていた。
それに気づく者は、この時、まだ誰ひとりいなかった。
───────────────────
夕陽が赤々と地平線へ沈みかけ、街道に長い影が伸びていた。
舗装された道の上に、ザキの影も細く、しなやかに揺れている。
黒髪に金メッシュが差し込まれたウルフカットが、
西風を受けてふわりと舞った。
ザキは眩しそうに細い目をさらに細め、
オレンジ色の空を一瞥する。
ため息とも、笑みともつかない息が漏れた。
そのとき──右耳のピアスのひとつが、
微かな振動とともに、コッと光った。
ザキは歩く速度も変えずに、そのピアスへ指を添える。
「──俺や。」
声はいつも通り軽いが、
その瞳の奥だけは油断の無い、研ぎ澄まされた刃のようだった。
ピアスの奥から、男の低い声が響く。
ザキにしか聞こえない、密やかな地下の声。
『──ご苦労。編入試験はどうだった?』
ザキは肩をすくめながら笑う。
「あー、まあ……合格ラインは超えた思うで?
筆記の数学いうのはボロッボロやったけどな。」
飄々とした口ぶり。
だが、返答は嘘でもごまかしでもない。
「実技試験は2位やったし、多分大丈夫やと思うで。」
その言葉に、ピアスの向こうの男が反応した。
『……2位? 2位だと? ……まさか、力を見せたのか!?』
少し焦ったような、鋭い声。
ザキは軽く笑った。
「いやいや、ホンマにちょびっとだけやって〜。
“奥の手”は封印したままやし。心配いらんて。」
そして、ふっと口の端を釣り上げる。
「俺の前に、頭突き一発でスコア【19758】叩き出した化け物おってな。……つい、対抗意識わいてしもうてん。」
ピアスの奥の声はしばし沈黙した後、低く告げる。
『──もういい。だが、本来の目的を忘れた訳では無いだろうな?』
ザキは足を止めない。
夕焼けの一本道を、ただ真っすぐ前へ進む。
その右手が、無意識に腰の刀──
“羽々斬“の柄へ触れた。
感触を確かめるように、優しく撫でる。
「当たり前やん。」
次の瞬間、ザキの声には“軽さ”が完全に消えていた。
夕日に照らされた横顔が、氷のような殺意を孕む。
「──第六王子、ラグナ・ゼタ・エルディナス。
あいつは……俺が、殺す。」
ピアスの奥の声が満足げに息を吐く。
『分かっているならいい。
作戦の成功率を下げるような真似は控えろ。』
ザキは歩きながら、片手を上げて気怠げに返す。
「へいへい、分かっとるって。」
だが──次に彼が告げた声は、わずかに低かった。
「……せやけどな。 作戦の成功率でいうたら、一個だけ、想定外が出てきてもーたわ。」
『……想定外?』
「受験生の中に……とんでもない”怪物”がおる。」
ピアスの向こうの男が促す。
『怪物? ……頭突きで19000超えの受験生か?』
ザキは吹き出す。
「ちゃうちゃう。あれも十分化け物やけどな。もっとヤバいやつや。」
そして、その目が細められた。
楽しげに。
そして、獲物を見つけた獣のように。
「……ラグナの”核撃魔光砲“をな。無詠唱で模倣してブッ放したヤツがおんねん。」
ピアスの奥で、
聞いたことのないほど大きな息を呑む音が響く。
『な……っ!?』
「スコアも確か【28286】。しかも……ラグナのデモンストレーションに合わせて、“あえて”超えへんように微調整しとったんちゃうかって感じや。」
『バ、バカな……!?
という事は、その受験生……真の力は……下手すればラグナをも上回るというのか!?』
「どうやろね?」
ザキは軽く首を回しながら言う。
「ラグナにも、まだ隠しとるスキルあるやろし。何とも言えんとこやね。」
沈黙のあと、男は低く尋ねた。
『──その“怪物”、お前なら斬れるか?』
ザキは一瞬、遠くの夕陽を見た。
赤い光が瞳に映り込み、妖しく輝く。
そして──肩をすくめた。
「勘弁してや〜。俺、その子と仲良ぅなってもうてん。斬り合うんは……ちょっとゴメンやわ〜。」
軽い笑い声。
しかし、その直後に続いた声は、
どこまでも静かで、どこまでも鋭かった。
「──ま、斬れるか斬れへんかで言うたら……“斬れる”思うけどな。」
冷気さえ帯びる声音。
ピアスの奥の男は、その言葉に安堵した。
『それを聞いて安心した。いいか、ザキ。私情を挟むな。』
「分かってるがな〜。……ほな、切るで。」
ザキは通信を切った。
通信が途絶えると同時に、世界に夕暮れの静けさが戻ってきた。
ザキはまた歩き出す。
街道の向こう側へ、ゆっくりと。
その口元には、微笑の形をした“獣の影”が浮かんでいた。
不意に──
ふわっと何かが飛んできた。
学生たちがストリートバスケで遊んでいた公園から、弾かれたバスケットボールがザキの頭めがけて転がってくる。
「おっと。」
次の瞬間。
風が走ったように見えた。
──いや、違う。
ザキの腰の“羽々斬”が、一瞬だけ閃いたのだ。
バスケットボールに触れた瞬間、
目にも止まらぬ斬撃線が十、二十と刻まれ──
ボールは音もなく粉々に砕け、
橙色の粒子となって風に舞い散った。
まるで最初から存在していなかったかのように。
走ってきた学生が、首を傾げてザキへ声をかける。
「あれ? すみませーん!ボール、そっちに行きませんでしたか?」
ザキは振り返り、いつもの柔らかい笑顔を浮かべた。
「──いーや、見てへんで?」
夕陽に照らされたその笑顔は、
無邪気に見えるのに、どこか底知れないものを含んでいる。
ザキはそのまま手を振り、
沈みゆく太陽の方向へゆったり歩いていった。
影が長く伸び、
黄昏の街へと溶け込む。
どこかへ消えるその背に──
“人斬り”の気配と“友人としての温かさ”が同居していた。
この男が、
この先どんな刃を振るうのか。
それは夕焼けの中で、
ざわりと風だけが知っていた。




