スイートな執事さん
「お嬢様、準備はよろしいですか?」
「うん。だいじょーぶ!」
「では、参りますか」
「うん。じゃあ、お姉ちゃん。ありがとう。また来るね」
「ほんと、御免ね。週末まではどうするの?」
聞かないで。それ、ちょっと怖いんだから。
「お嬢様?参りましょう」
後ろからセルジュさんに声をかけられ、あたしははっと我にかえった。
大丈夫・・きっと、大丈夫だと思う。
「えっとね、後の日程はホテルに泊まるの。まさかセルジュさんと一緒に都子の
マンションにお世話になるわけにもいかないし・・・」
香澄は最近彼氏と同棲始めたばかりだしね。と続けて言うと、お姉ちゃんの表情が
ちょっと曇った。
「えっ。そうなの?言ってくれれば、辰彦さんに相談したのに・・」
え。無理でしょう、お姉ちゃん。
お姉ちゃんとこに滞在中、お姉ちゃんは毎晩7階までやって来て、久しぶりの姉妹トークも
楽しめたけど、やっぱりお義兄さんの帰りとかを気にしてるみたいだった。
「あっとー。気持ちだけで嬉しいから。じゃあ、また来るね」
お姉ちゃんがお義兄さんに何か意見を言うなんて、考えられない。
今回はお義兄さんと会わずに済んだだけ、マシかな。
ほぅ。と息をつくとセルジュさんが不思議そうにあたしを見た。
「どうか、なさいましたか?」
「んーーー。セルジュさんにお義兄さんを紹介したかったような、会わずに
ほっとしたような?」
その時、セルジュさんは顔をしかめて高く鼻筋の通った美しい鼻に手を当てた。
その仕草は、あたしがお義兄さんに会った後にしてしまう仕草だったから、
なんだか可笑しくて声をあげて笑った。
だって、まさかセルジュさんがお義兄さんを知ってるなんて、あり得ないもん。
それよりも、心配事があるんだ。
だからあたしの意識はすぐにお義兄さんの話題からそれた。
「さて。ではお嬢様、ホテルに参りましょう」
きらんきらんの笑顔が向けられる。
「さ、タクシーへ」
手際良く止められたタクシーに荷物を預け、きらんきらん笑顔を向けたまま、
セルジュさんはあたしの背をそっと押し、乗るように促した。
「あのね、セルジュさん!」
な、なんでピッタリとくっついているのかな?
なんでなんで、手を握るのかな?
「初めてですね」
うっとりと、囁くように話すセルジュさんの目が、なんだかいつもより艶っぽく
見えるのは、気のせい・・・だよね!?
「ななななな、何が!?」
最初、握るだけだった手。それがいつの間にかセルジュさんの腕はあたしの腕の下を
通り、腕を組むような体勢になった。
そのまま下から指を絡めて、あたしの手全体を包み込む。
その手にきゅっと力を入れられた時。その手の動きに、すっかり手に意識が行っていた
無防備なあたしの耳に甘い吐息がかけられた。
「へっ?」
驚きにぴくりと肩を揺らして、顔をセルジュさんに向けると、目の前にセルジュさんの
きらきらした明るい青の瞳があった。
身体が、金縛りにあったように動けない。
目が、催眠術にかかったように青い瞳から逸らせない。
じっと見つめるその先で、セルジュさんの瞳が笑みを浮かべ弧を描いた。
「ふたりきりの夜は、初めてですね」
・・・・・・・・・・・・どどどどうしよう!何かしろ、私!
頭は警告するんだけど、身体が動かなきゃどうしようもない!!
ごぶん!!
突然変な音がして、ふっと身体を固めていた緊張が緩んだ。
ううん。あたしの身体を絡めていたセルジュさんの視線が外されたのだ。
「し、失礼致しました」
セルジュさんの視線を追うと、顔を真っ赤にしたタクシーの運転手さんが・・・。
どうやらセルジュさんの甘ったるさに、咳き込んでしまったようだった。
のぉーーーー!!!!
あたしは余りの恥ずかしさに、手にしっかり絡められていたセルジュさんの手を
思いっきり振りほどいた。
「ふ、ふたりっきりって言っても、部屋は別々だよ!・・・・別々、だよね?」
そうだ。この旅はなんせ、セルジュプロデュースなのだ。
新幹線移動の、特製お弁当やデザートデリバリーを思い出す。あれも周囲の視線が
痛かった・・・。
「あ!!も、もしかして、ホテルって帝国ホテルとか、オークラとか・・・なんか
そーゆー大きなとこじゃないよね??」
「はい。大丈夫ですよ。お嬢様のお気持ちは分かっておりますので、もっとこじんまりした
ホテルです」
えへん。という感じに胸をそらすセルジュさん(手を振り払ってから少し離れるように
お願いした)だけど・・・いや。新幹線グリーン席を取る時点であたしの事、
分かってないんだけど・・。
でもホテルはどうやら安心みたい。
運転手さんにも「銀座」って言ってたし、確か帝国ホテルは銀座じゃないもんね。
到着したホテルは、大きいってわけではないけれど、とっても素敵な洋館で、
確かに恐る恐る想像していた、とにかく大きくて敷居が高そうな建物!!ではなかった。
でも高そうだな・・・。すぐにドアマンに荷物を取られ、その優雅な仕草に少しだけ不安になる。
しかも、セルジュさんがドアマンの男性に何か話すと、男性は素早い動きでベルボーイの
男性に荷物を渡し、そっと何かを伝える。そしてベルボーイの男性にはフロントと
思われる場所と反対側に案内し出した。
「え?こっちじゃないの?」
「ええ。こちらだそうですよ」
???あっちにカウンターがあるけど、そこじゃないんだ??なんか不思議なホテルだな・・。
案内されたのは重厚なドアがある個室で、中を覗き込むとドアの重厚さに負けない
どっしりして皮が飴色に輝く高価そうな応接セットが部屋の中央にどでん。と置かれていた。
な、なんだ?この部屋は・・・。不安になっていると、ジャケットのポケットが震えた。
「あ。電話・・セルジュさん、ちょっと出てくるね」
電話に出ながらそっと後ろを窺うと、セルジュさんはさっきの応接室(みたいな部屋)に入っていくところだった。
?やっぱりそこがフロントなの??
「もしもし~?ママ?どうしたの?」
「あっ、良かったぁ~!こっちに戻ってくる時にね、芋ようかん買ってきて頂戴ね!」
「えぇっ?帰るの、3日後だよ?」
「でも思い出した時に言っておかないと忘れちゃうから!じゃ、頼んだわよ?」
「はぁーい。じゃあね」
「どうかされましたか?」
いつの間にか、チェックインを済ませたのかセルジュさんが後ろに立っていた。
「ママにお土産を頼まれちゃった」
「それは・・気が早いですね」
「言うの忘れちゃうからって、思い出してすぐかけてきたみたい」
「ではお部屋に参りましょう」
「うん」
「うん」とは言ったけど。とは言ったけどね。
やっぱりここ、ものすごく高いんじゃ?と不安は募るばかりだった。
だって、ホテルは隅々までピカピカに磨かれていて。廊下の赤い絨毯もふかふかだ。
染みひとつない。土足なのに!!
そして、案内された部屋は角部屋だった。
「どうぞ。こちらです」
ベルボーイがドアを開けた、その部屋は・・・・
「な、なななな!!!」
あんぐり口を開けて部屋を見渡すあたしをよそに、セルジュさんはテキパキと荷物の
指示を出している。
頭の中ではそうだ、セルジュさんの分と荷物を分けなくちゃセルジュさんが
自分の部屋に行けない。と思うんだけど、この部屋に、あるはずの物が無くって
それどころじゃなかった。
今あたしが居る部屋は、広い、広い部屋で暖炉とデスク、そしてゆったり座れそうな
ソファ。
大きな大きな薄型テレビ。そしてどっしりとした重厚なテーブルには瑞々しいウェルカムフルーツ・・。だ。
「せ、セルジュさん?」
「はい?」
「この部屋、ベッドが無いですよ?」
「あぁ。ベッドならそちらのお部屋に・・」
「え?こっちはバスルームじゃないの!?」
「バスルームはこちらですよ」
「え!!!部屋が2つもあるの!?」
「いえ・・3部屋ですが・・」
「そ、そんなに!?ダメだよ!1部屋で良いのに!!」
もーー!なんて贅沢をしてるんだろ!この(元)王子はーー!
睨んだ。あたしは確かにセルジュさんを睨んだはずだ。
なのに、目の前のきらきら王子はなぜにこんなに甘ったるい笑顔と、そして艶っぽい
フェロモンをだだ漏れにさせてるわけ!?
「では1部屋に変えましょうか?さすがにまだ早いと思ったのですが、お嬢様が
そんなに積極的だとは・・嬉しい誤算ですね」
は?積極的?
笑顔なのに目が笑ってないセルジュさんがじりじりと距離を詰めてきた。
「えっと、と、とりあえずセルジュさんも自分の部屋に行ったら・・どうかな?」
詰められた距離を取り戻すべく、あたしもじりじりと後ずさりながら話すと・・・
「ありませんよ?今お嬢様ご自身が1部屋で良いと言ったではありませんか」
「へ?」
すみません。話が見えませんが!!つか、話がかみ合ってないと思いますが!
窓辺に追い込まれたあたしは、それでも距離を取ろうとセルジュさんの胸に手をついて
押し戻そうとした。
すると、セルジュさんはその腕を取って持ち上げ、あろうことか手首にちゅっと
キスを落とした。
「部屋は別々、でしょう?タクシーでそう言ってたよね!?」
「別々、の予定でしたよ。あなたが1部屋で。と言うまでは」
益々ワケがわかんない!
「この部屋は2ベッドルームスイートです。ベッドルームが2つあるのですよ。
でもお嬢様が1部屋が良いと仰るのでしたら、是非とも変更を・・・」
「こっ!このままが良い!前言撤回!わー!2つもベッドルームがあるお部屋なんて
素敵だなーーー!」
一息で言ったあたしを、セルジュさんはからかうように見下ろした。
「1ベッドルームは、次の機会に致しましょう」
ち、違うーーーーーーーーーー!!!!!




