おまけ 二人きりのクリスマス編
本日、十二月二十四日はクリスマスイブである。
市街地の片隅からジングルベルが聴こえてきて、店舗に飾られたクリスマスツリーがショーウインドウ越しに光煌めく、そんなどこか心躍る一日。
恋人たちが腕を組んで街を歩き、あちらこちらのお家でも楽しいホームパーティーが催される、そんなロマンチックで賑やかな一日。
ここは、古めかしい一軒のボロアパート。
ここに住まうは、家賃四万円支払うにも苦労しているフリーターの男性。このおはなしの主人公である。
クリスマスイブの夕暮れ時、彼はこれからやってくる来訪者を待っていた。その人物こそ、彼とは腐れ縁、学生時代から馴染みのある「あおい」という名の女性だった。
今夜、彼はおめでたいことに、彼女と二人きりでクリスマスパーティーを楽しむ予定なのだ。彼女いない歴が人生とも言える彼にしたら、それは素直に喜ぶべきところだが、このあおいはちょっと”問題あり”な女の子だったりする。
『ピンポーン』
彼の部屋の呼び鈴が鳴り響く。
ドアの覗き穴に目を凝らしてみると、玄関の正面には、にっこりと微笑む見慣れた顔の女性が立っていた。どうやら、待ちに待ったあおいがやってきたようだ。
ドアロックをカチャッと外して、彼は玄関のドアをゆっくりと開ける。
「グッ、イブニン、メリークリスマース!」
「おお、メリークリスマス」
あおいは元気よく挨拶を交わした。クリスマスを意識しているのだろう、赤と緑を基調としたコートを羽織り、クリスマスツリーに飾るような大きな星のペンダントを襟からぶら下げている。ここでぼんぼりの着いた赤い帽子を被っていたら、サンタさんそのものである。
「アンド、ハッピーニューイヤー!!」
「いやいや、さすがにそれはないだろ、おい」
あおいは満面の笑みで新年の挨拶を交わした。
そう、これこそが彼女ご自慢の天然ボケ。こればかりは、彼も困惑しながらツッコむしかない。
「ありゃ、やっぱりないか。だったら、明けましておめでとぉー!」
「いやいや、そういう意味じゃないって」
「えー? それじゃあ、アンドじゃなくてオアってこと?」
「そういう意味でもねーよ! クリスマスもしくは謹賀新年ってどんな一日だよ!」
そんなに目くじらを立てない、立てないと、あおいはあっけらかんと笑って彼を宥めていた。
今日は楽しい楽しいクリスマス。彼もスタートから息切れしても仕方がないと思い、呆れた顔をしながら彼女を自宅へと招き入れるのであった。
* ◇ *
六畳ほどの一室、そのど真ん中にコタツを設置し、テーブルの上にはオードブルが彩る。この二人のクリスマスパーティーはすでに準備万端のようだ。
ところがどっこい、あおいはそれを見るなり不機嫌そうな顔をした。頼んでおいたケーキが見当たらないと。
「ああ、すまない。おまえの言っていたケーキさ、どこにも置いてなかったんだ」
「えー? あたしの一番のご馳走がないのぉ!? マスカルポーネチーズとクリームチーズとレアチーズを、それぞれ3対3体4の割合で配合して作る絶品グルメ、スペシャルトリプルチーズケーキがぁ!」
あおいは頭を抱えて絶叫している。まるで未来と希望を打ち砕かれたかのような落胆ぶりだ。
そもそも、三種類のチーズをそんなにきちんと配合し、さらにそれを商品化して販売しているお店など実在するのだろうか? 彼もそうだが、作者自身も教えてほしいぐらいである。
「もー、買えないんなら、あんたが手作りで作ればいいじゃない!」
「いとも容易く言うな! そんな大層なもん、俺に作れるわけないだろ! だいたい、パティシエでも作らんようなもんを要望するなっ!」
ぶーぶー、わがまま言い放題のあおい、そして、ひたすら不平不満をぶちまける彼。この四畳ほどの室内で、取り留めのない言い合いがしばらく続いた。
しかし、クリスマスというイベントにケーキがないのはあまりにも寂しい。そんなわけで、あおいの好きなチョコレートケーキを代替品として購入していた彼は、心優しくてお人よしな性格なのであろう。
本日のパーティーはケーキがメインだが、その他にオードブルもしっかり準備されている。どんなの、どんなの?と執拗に尋ねてくるあおいに、彼はテーブルを指差しながら今夜のお料理を紹介した。
「クリスマスの定番だけど、ピザとチキンだよ」
テーブルの上で華やかに飾られているメニューとは、俗にいうデリバリーピザのMサイズ。さらに、某アメリカ人の人形でお馴染みのファーストフード店のチキンであった。
このピザとチキン、できる限り冷めないようにと、集合時間の三十分前には自らの足でお店まで受け取りに行ってるぐらいだから、彼の誠実でかつ生真面目で、やっぱりお人よしな性格が窺い知れる。
「ふ~ん、お寿司じゃないんだね」
「……まぁな。以前、お寿司で散々惨めな思いをしたからな」
彼が苦笑いを浮かべながらそう語る理由については、この作品本編をご参考にしていただきたい。
好き嫌いがなく、馬車馬のごとく何でも食べる強欲なあおいだけに、ピザでもチキンでも大歓迎なのだろうが、どうしてか、彼女の表情が少しばかり憂慮に染まった。
やはり定番過ぎたのだろうか? 彼は少しばかり動揺してしまい、彼女にそれとなく問いかけてみると意外な答えが返ってきた。
「大好きなんだけどさー、ちょっとだけチキンがね……」
あおいは骨付きのチキンをじーっと見ながら、寂しそうに瞳を潤ませてしまった。
もしかすると、チキンに纏わる悲しい過去があるのかも知れない。彼はつい感情移入してしまい、遣る瀬無い思いに駆られてしまう。
チキンはとりあえず片付けてしまおう。彼がそう決断してテーブルへ手を伸ばした途端、彼女の口から儚くも悲しい現実が零れ出す。
「この鶏ね、真っ白い毛を毟り取られて、首も足の先ももぎ取られて、さらに、熱湯の中でボイルされた挙句に、粉をまぶされて油で揚げられたんだよ? かわいそうって思わない?」
「あのさ、おっしゃることはもっともなんだけど、食べようと思って買ってきた俺に、そういうことを聞いちゃうわけ??」
そんなことを言ったら、ピザに万遍なく乗っかっているチーズも、ホルスタイン牛の乳を無理やり搾乳して製造しているものだ。彼は声を大きくしてそう言いたかったが、この手の話になるといつも消耗戦に突入してしまうので、必死になって喉の奥でそれを押し殺した。
どことなく居たたまれなくなったこの室内。このままではパーティーを始めることもままならない。あおいの機嫌を損ねまいとする彼は、テーブルの上にあるチキンのボックスをそっと持ち上げる。
「どうするんだよ、これ引っ込めた方がいいのか?」
すると、あおいは骨付きチキンをひょいっと指で摘んで拾い上げた。
「何で? 食べるに決まってるじゃん!」
「結局、どうしたいんじゃ、おまえは!」
あおいの悪びれない明るい性格のおかげで、しんみりとした雰囲気もパッと晴れやかになった。
それに引き換え、彼の顔色の方は、時間を追うごとに雲行きが怪しくなっていたことは言うまでもない。
「あれ、飲み物とかは?」
「ああ、一応ソフトドリンクを買っておいた。念のためにアルコール系もあるけど?」
彼が準備していたドリンク類は、ウーロン茶とサイダー飲料のペットボトル。それと、クリスマスらしくおしゃれなシャンパンのボトルであった。しかもご丁寧なことに、テーブルの隅にもシャンパングラスらしきものがちゃっかり置いてあった。
アルコールですって!? あおいは青ざめた表情のまま、両腕で自らの体を抱き寄せながら身震いする。
「あんた、あたしのことを酔わせてどうするおつもり? まさか、このあたしにいかがわしいことでもするおつもりなのかしら?」
「しねーよ! しかも、わざわざお上品な言葉づかいに変えるなよ」
「えっ? 襲ってくれないの? 案外、意気地がないのね、だらしないわ」
「あの、どーして欲しいわけ……?」
すっかり息の合ったこの漫才コンビ。和気あいあいとした空気が飽和する中、夜の帳が下りかけた午後六時を皮切りに、おいしいお料理を囲んだクリスマスパーティーがようやく開幕するのであった。
* ◇ *
とろ~りチーズの乗ったピザ。カリッと香ばしく揚がったチキン。そして、ちょっぴり大人のムードを醸し出すシャンパングラス。
ロマンチックな聖なる夜の余韻に浸りながら、彼ら二人はデリシャスなお料理に舌鼓を打つ。
「おいしいな~」
「おいしいね~」
コタツで温まりながら向き合う男女二人。一人きりや家族と一緒に過ごす時とは違う、ちょっと微笑ましくも照れくさいディナーを楽しんでいたようだ。
ピザもチキンもおいしいが、彼は少々辛党なのか、その味に若干物足りなさを感じていた。さすがに洋風料理にお醤油というのも冒険か、彼は何かしらいいスパイスがないか思考を重ねてみる。
キョロキョロと落ち着きのない彼を見て、あおいはどうやら察したようだ。さすがに悪友としての付き合いが長いだけある。
「はい、コショーをどうぞ♪」
「ああ、ありがとう……って、おまえ、まだコショー持ち歩いてるのかよ?」
このあおいという女性、何を隠そう、ポシェットの中にテーブルコショーを携帯しているのである。それはなぜかって? それを彼女から言わせると、女性としてのエチケットなんだそうだ。さっぱりわからないが。
「もちろんだよ。何だったら、一味唐辛子もあるけどいる?」
「いや結構。しかも、七味じゃなくて一味を持ってるって、おまえマニアックだな」
このまま話題を続けようものなら、ポシェットの中からまさしく四次元ポケットのごとく調味料が飛び出して来そうなので、彼はそれ以上ツッコむのは止めておいた。懸命な措置と言えなくもないだろう。
とはいえ、会話がなくなってしまうのもつまらない。そこで彼が取り出したものとは、ミニチュアのクリスマスツリーの玩具だ。スイッチを入れると、チカチカと豆電球が愛らしく点滅するやつである。
「やっぱりパーティーだしさ。こういうのがあった方が盛り上がるだろ?」
あおいは喜んでいるのかびっくりしているのか、目を丸くしながら口元をほんのりと緩めている。その仕草はまるで、物珍しそうにしている幼稚園児に見えなくもない。
「へぇ……。いい雰囲気じゃん」
古めかしいアパートの一室を照らす煌びやかな明かり。その優しい光源が、二人きりのパーティーをより一層ロマンチックに演出してくれた。
「ねぇ、コレ、どっかで拾ってきたの?」
「そんなわけないだろ!」
「えー! それじゃあ、盗んできちゃったの? 警察に電話していい?」
「するなよ! どーして、買ってきたの?という発想にならんのだ、おのれはっ!」
ちなみにこの玩具。彼がディスカウントストアで売れ残り格安商品ワゴンから購入した、一点限りの五百円の代物だったりする。
ささやかながらも、それはまさにクリスマスイルミネーション(のミニチュア版)。チカチカ点る明かりを見ていたあおいが、ふと何かを思い出したように語り始める。
「そういえばさ、最近、どこのお家でもお庭とかでイルミネーションしてるよね」
「そういわれるとそうだな。どこもかしこも、家の周りをピカピカに飾ってるな」
この二人が言う通り、ここ近年、クリスマスイルミネーションをここぞとばかりに自慢するご家庭が増加の一途を辿っている。
一生懸命に飾り付けをしているお父さんはきっと、手を叩いて喜ぶ子供たちのために、お休みを返上してまで、疲れた体にムチを打って重労働を余儀なくされているのだろう。
アパートで暮らす彼にとってそれは皆無といえるが、ごく普通のご家庭で暮らすあおいの方は、そういう機会もあるのではないかと思うが、彼がやんわりと質問してみると不思議な答えが返ってきた。
「昨年かな、一回だけイルミネーションやったんだ」
「ん? 一回きりなのか?」
どうも気になるのだろう、不思議そうな顔で詳細を尋ねてくる彼。すると、あおいは遠い目をしながら、思い出に浸るような雰囲気のまま話し始める。
「夫婦喧嘩した挙句にさ、うちのお父さん、お母さんに電飾の紐で全身をグルグル巻きにされてベランダに立たされたの。あれ、庭先から見たら綺麗だったんだぁ~」
「オヤジさん、哀れだな……。っていうか、おまえ笑ってないで助けてやらんの?」
「うん! だってお父さん、お小遣いケチンボなんだもん。いい気味だよ、いひひ」
あおいは悪びれる様子もなく毒を吐き続ける。クリスマスプレゼントすら興味ないものばかり渡すと、彼女の父親に対する悪態は留まるところを知らない。
「それじゃあ、どんなプレゼントがよかったんだよ?」
「彼氏」
「やっぱり、それかい! しかも、オヤジさんにねだるなっ」
いつまでも両親にプレゼントをねだるなと、ついつい大人ぶって叱責してしまう彼だが、両親と離れて生活し、もちろん恋人もいないこの現状では、プレゼントが欲しくてもねだることすらできないわけで……。願わくば彼だって、”彼女”という最高級の贈り物が欲しいはずだろう。
一方のあおいはというと、両親からのプレゼントは永遠に続くものだと豪語し、頑なに折れる気配がない。彼女がどうにも幼稚園児っぽく見えるのは、こんなわがままな性格だからなのかも知れない。
「そんなこというなら、あんたがプレゼント寄こしなよぉ~」
「ちっ。そう来ると思ったよ」
今までなら、やなこった!と舌でも出して拒否する彼なのだが、なぜか今夜だけは違った。
彼はおもむろに立ち上がると、モダン調の戸棚の引き出しからリボンのついた紙袋を取り出す。緑色のリースをあしらったリボンを見る限り、それがクリスマスプレゼントであることが明らかだった。
それを彼からそっと手渡されたあおい。予想だにしていなかったのか、彼女は無言のまま、アイコンタクトで了解をもらってから紙袋の中へ手を突っ込んでみる。
彼が内緒で用意していたプレゼント、それは、黄色と紫色のチェック柄をした毛糸の手袋であった。
「おまえ、たしか手袋ボロボロになって捨てたんだよな?」
実をいうと、あおいはつい最近、生地が剥がれるほど手袋を破損させてしまい廃棄したばかりだった。
その理由をあえていうと、冷たく凍てつくある日、靴下を履かないままスニーカーで家を飛び出してしまった彼女。あまりにも足のつま先が凍えてしまい、手袋を靴下の代用にしてボロボロにしてしまったのだ。手袋を履きこなしてしまうところがちょっぴり個性的な彼女らしい。
「どうも、ありがとう。嬉しい……」
あおいは呆然としっ放しである。彼からのサプライズに相当驚いているのだろう。手袋を持つ手もわずかながらに震えていた。
彼もそれを見て優越感に浸っている。出来る限りびっくりさせようと工夫しただけに、彼女に喜んでもらえたことがやはり嬉しいようだ。
「……って言いたいけど、この手袋、びっくりするぐらい色がダサい。とてもじゃないけど使えないから返すね」
「いや、あの。そういうことを本人の前で堂々と言わないでくれません……?」
ガックリと肩を落として途方に暮れる彼。そんなことなどお構いなしに、一味唐辛子を振り掛けた骨付きチキンを、満面の笑みを浮かべながら頬張るあおいなのであった。
* ◇ *
夜八時になろうかという時刻。
賑やかにも楽しいディナーのひと時を過ごした彼とあおいの二人。お料理もあらかた片付いたタイミングを見計らい、これからいよいよクリスマスケーキのお披露目である。
残念ながら、あおいのムチャクチャなご要望通りにはいかなかったものの、彼が代替品として購入してきたチョコレートケーキは、板チョコの看板や飴細工のモミの木、そして、サンタとトナカイの模型をあしらった三号サイズの丸型のケーキであった。
チーズも好物だが、チョコレートも大好物な彼女。手をパチパチ叩いてそれはもう大喝采である。Mサイズのビザと骨付きチキンをたらふく食べても、彼女の食欲は底なしのごとく止まらない。
「よし、半分に切るぞ」
「あ、ちょっと待ってよ」
結婚披露宴ではないが、ケーキにナイフが入刀されようとしたその刹那、あおいが声を張り上げてそれを制止する。それはなぜかというと、ケーキにあるはずの物が見当たらないからだという。
「これ、ケーキなんだよー? ロウソクをちゃんと飾らないと!」
「は? ロウソクはいいだろ。誕生日ケーキじゃないんだからさ」
ケーキを包装していた箱の中には、おまけで付いてきたロウソクが数本あるにはあった。しかし、彼は面倒くさがりなので、あえてそれを無視していたのだが。
ロウソクがないとムードがない。ロウソクがないとジングルベルっぽくない。ロウソクがないといい年を迎えられない。あおいはベラベラと思いつきで御託を並べては、ケーキにロウソクを灯すようクーデターでも起こさんばかりの構えである。
「わかった、わかった。もう騒ぐな。近所迷惑になるから」
「わーい、わーい! ロウソクだー。お家からムチ持って来ればよかったー!」
「……おまえ今、どさくさに紛れて変なこと言わなかった?」
根っからの女王様体質なあおいの要望に応えることになった彼。渋々ながらも、付属のロウソクを一本一本ケーキの上へと添えていく。
飾られたロウソクは全部で六本。丸いケーキの上にバランスよく並べられた。ところが、期待通りになったはずなのに、あおいの表情は浮かないままだ。
「ロウソクが足らないよ」
「何? 足らないってどういう意味だよ」
ケーキにロウソクといえば、お祝いする人の年齢と同じ本数を飾るのが通例。あおいは頬を膨らませながらそう訴える。
とはいっても、クリスマスパーティーで誰の年齢を祝えというのか。彼は当然ながら当惑してしまうのだが、あおいは素っ頓狂でとんでもないことを口にする。
「クリスマスはキリスト様のお誕生日なんだよ! ちゃんとお祝いしなくちゃ」
「おいおい、ちょっと待て! それじゃあ、何千万本ものロウソクがいるじゃないかっ」
「掻き集めてらっしゃいよ! ほら、今すぐに」
「ムチャいうな! 集める前にクリスマスが終わってまうわっ」
あおいの無理難題をいつも宥める彼なわけだが、今回ばかりはさすがにびっくり仰天だったようだ。
一先ず、キリスト様の生誕をお祝いしつつ、ロウソクの本数はここにある限りの六本で妥協してもらうことになった。それでもまだ釈然としないのか、あおいは一人ぶつくさと不平を漏らしてはいたが……。
「仕方がないな、六本で我慢してあげるよ。まぁ、あんたの精神年齢と同じだもんね」
「うるせーな、赤ちゃん並みの頭脳のくせに、人のこと言えるのかよ!」
どちらが九九をきちんと早く言えるか、はたまた、どちらがアルファベットを最後まで早く言えるかなど、こんな言い合いをしている時点で、二人とも十二分に低レベルと言えなくもない。
それはさておき、照明を落として暗くなった室内、ここで六本のロウソクに優しい火が灯ると、ささやかながらも幻想的なクリスマスイルミネ―ションが二人のことを包み込んだ。
ケーキの上の揺らめく灯りに魅了されている男女二人。この雰囲気の中、あおいがさらにムードを高める一案を思いつく。
「よし、ここでクリスマスソングと行こーっ!」
「おお、それはいいアイデアじゃないか」
珍しく意見が一致した彼とあおいの二人。このロマンチックな雰囲気が、彼らの感情をより高ぶらせてくれたのだろうか。
彼はどっこいしょと腰を持ち上げて、部屋の隅っこにあるステレオの電源をオンにする。こういうこともあろうかと思い、彼は流行りのクリスマスソングのCDを事前に用意していたのである。
さぁ、どんなリクエストでもどんと来い! 彼が自慢ありげに胸を叩くような気持ちで待ち構えたものの、彼女からのリクエストは予想外のみゅーじっくであった。
「”赤鼻のトナカイ”から”きよしこの夜”へのメドレーで行ってみよー!」
「はっ……!?!?」
彼が握り締めた定番ソングのCDがポトリと床に落ちる。
驚愕なるリクエストで動揺しまくってるわけだが、彼女のリクエストそのものにも間違いはない。いや、むしろそちらの方が定番ではないだろうか?
メドレーどころか、どちらの曲も持っていないことを告げる彼に、機嫌を損ねたあおいは声を荒げて不満をぶちまけてしまう。
「それ真面目に言ってるの? クリスマスを舐めてるの? パーティーやる気あるの? どんなセンスしてんの?」
「おいおい、俺はその曲を持ってないだけで、センスを疑われなくちゃいけないのか?」
「どう考えても頭がいかれてるわ。あんたやっぱり小学校からやり直しなよ。学校の先生に電話しておこうか?」
「いらんことすんな! 義務教育をすっ飛ばして生きてきたようなおまえに言われたくないわ!」
クリスマスソングの代名詞”赤鼻のトナカイ”を持っていないとは何事か? まるで彼が非国民であるかのごとく、発狂しながら罵声を撒き散らしたあおい。
すっかり説教されてしまっている彼の方だが、持っていないことに罪の意識を植え付けられてしまい、それこそ聖なる夜らしく、手を組まされた挙句に懺悔させられる始末であった。
「おまえの熱意には負けた。すまん……」
「わかればいいんだよー。今日のところはアカペラで我慢するしかないかぁ」
演奏がなくても、あおいはすっかりやる気満々である。讃美歌でも歌う気分なのだろうか、両拳でマイクを握ったようなポーズをして、さらに起立までして見せる彼女、その口から漏れる鼻声で”赤鼻のトナカイ”のイントロを口ずさみ始める。
「真っ赤なおはなの~、となかいさんは~♪」
彼も苦笑しながら手拍子で曲に合わせる。これも、わがままな彼女に対する、彼なりの優しさとお人よしというやつなのだろう。
「いっつもみんなの~、晒し~もの~♪」
「ん? 歌詞が違うんじゃないか?」
彼の疑問など聞く耳持たずに、あおいは次の小節も元気いっぱいに歌い上げる。
「でも、その年の~、ほにゃらららら~ら~ら~♪」
「おまえ、あれだけこだわってたくせに、歌詞知らねーじゃねぇかっ!」
「てへへ♪」
「かわいく笑ってごまかすなっ!」
替え歌のような”赤鼻のトナカイ”に続いて、歌詞がめちゃくちゃの”きよしこの夜”も最後まで歌い切ったあおい。そして、ただただ頭を抱えて呆れるしかなかった彼。そうだ、これはきっと小悪魔が踊り狂うミサなのだろうと……。
こうして、耳障りなクリスマスソングの合唱がありはしたものの、最終的には、チョコレートケーキを三分の二ほどがっつり食べ切って、すっかりご満悦なしたり顔を浮かべるあおいなのであった。
* ◇ *
時刻も九時を回り、夜もどっぷり更けてきた。
散々食べ散らかし、散々笑いまくり、散々彼を小馬鹿にしまくったあおいが、そろそろおいとまする時刻である。
あおいは居心地がいいと長居するクセがあるが、今夜はおとなしくも、テーブルの上にあった一味唐辛子の瓶をポシェットに仕舞うなりすぐさま腰を上げた。
「お、今日は随分、素直に帰るんだな」
「うん。食べ物がなくなっちゃったからね」
「おまえ、まだ食い足りないのか?」
あおいのことを玄関先まで見送ろうと、彼もゆっくりと腰を持ち上げる。テーブルの上に散らかるゴミやら紙袋を手にしながら。
部屋を出てからひんやりとした廊下を歩き、玄関のドアの前までやってきた二人。もうまもなく、賑やかだったクリスマスパーティーも終幕の時を迎える。
「忘れ物はないか? まぁ、財布なら置いていっても構わないけどな」
「大丈夫だよー。あたしのもあるし、あんたのもちゃんと持ったから」
「俺の財布は置いていけよ! 泥棒かっ!」
あおいの手から財布を奪い返した彼。まったく油断も隙もあったものじゃないと憤慨するが、彼ほど隙のある男も珍しいだろう。
ムートン系のブーツに足を入れて、羽織ったコートのボタンを一つ残らず留めた彼女、敬礼のようなポーズをしながらお別れの挨拶を交わす。
「今夜はありがと。おいしいものいっぱいあったし、楽しかったよ~」
手を振ってにっこりと微笑んだあおい。いつも一言多くて苛立つこともあるけど、どこか憎めない不思議な女の子だ。性格だってお利口とは言えないが、人懐っこくて愛着の沸く愉快な人柄だ。
それはもちろん、彼自身が一番承知していることだ。学生時代からの付き合いでもあり、こうやって二人きりで座談会……いや、パーティーをする仲なのだから。
「俺も楽しかった。またやろうな」
彼は照れくさそうにクスッとはにかんだ。もしかすると、いつまでもこんなパーティーを続けたいという、彼の淡い気持ちの表れだったのかも知れない。
すると、あおいが意地悪っぽく微笑んで、彼の鼻の頭を人差し指でつんつんと突き始める。
「おいおい いつまでもあたしに甘えてないで、ちゃんと彼女作りなよっ」
「う、うるせーな。おまえも彼氏がいないくせに、他人事みたいに言うな」
あおいはここで、腰に手を宛てて偉そうに高笑いを始める。
「フフフ、あたしはキミと違って、昨年のクリスマスはカレシと過ごしたのさっ!」
「なっ! なな、何だとぉぉ!?」
それは敗北感と挫折感。彼は鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
今現在、彼氏の浮気が原因で別れてしまったというあおい。それでも、彼女が彼氏とクリスマスを過ごしていたという事実はどうやら本当らしい。
まさかこの天然バカに彼氏が……!? 彼は信じようにも、どうにも信じられない衝動に駆られていた。まぁ彼の場合、そこに揺るぎない僻み根性があったことは否めないが。
握り拳を作って一人悔しがっている彼。いつもならとことんそこへ追い打ちを掛けるはずのあおいが、どういうわけか、少しばかり物悲しげな表情に変わって顔を天井へ向けてしまった。
「……あの人、今頃どうしてるのかなぁ」
あおいの目線が薄暗い玄関の虚空を泳いだ。
彼女の記憶の中にあるおぼろげな思い出たち。そこには、昨年のクリスマスパーティーの楽しい一幕もあったに違いない。
そのすべてを知ることのない彼は、ちょっぴり焦燥感のようなものを抱いてしまった。それは嫉妬心だったのだろうか、それとも?
言葉を選ぶことができずに口を噤んでしまう彼。それから数秒後、彼女の口から溜め息交じりの声が囁かれる。
「あの人、浮気性だからさぁ。きっと、恨みを持ってる女から包丁で背中をブスリって刺されてるよね。いい気味だわ~」
「いやいや、感慨深そうに物騒なこと言うなって。あのさ、間違っても、おまえがその加害者にならないでね」
「ははは、大丈夫だよ~。あたし、こう見えても証拠隠滅するの得意だから」
「そういう問題じゃねーよっ!!」
この二人にかかると、ラブロマンスはいつもこんな調子、ロマンスもへったくれもあったものではない。とはいえ、彼はなぜだか、ホッとしたような安堵の吐息を漏らしていた。
彼は何を思ったのか、おもむろに外履きのスニーカーに両足を注ぎ入れた。それを見ていたあおいが、首を傾げたままキョトンとした顔をしている。
「ゴミを出しに行くからさ、途中までお見送りしてやるよ」
「いいけどさ、あたしに付いてくると、あんた人相悪いからストーカーに間違えられちゃうよ?」
「うるさい! そこまでしつこくするつもりはないから安心しな」
彼がストーカーだろうが何だろうが、あおいにしたらお見送りは願ったり叶ったりだろう。か弱き乙女(?)にとって、夜道の一人歩きは危険なのだから。
玄関のドアを開け放ち、暗くなった夜空の下を歩き始める男女二人。
しばらくすると、真っ暗な空から何やら白いものが舞い落ちてくる。それは幻想的な冬を告げる純白なる雪、そう、いわゆるホワイトクリスマスである。
まるで、お似合いの二人のことを祝福しているかのように、雪はゆらゆらと、そして、街灯の光に反射してきらきらしながら舞い落ちる。
「寒いと思ったら、雪じゃないか」
「わぁ、雪だねぇ~。明日には、天然のかき氷が食べられそう」
「食い意地張るなよ。しかも、季節感まったく度外視だし」
お外は雪が降るほどの寒さ。身を切るような風が吹き抜けるたびに、コートを羽織ったあおいはまだいいが、ワイシャツ一枚の彼の方はというと、顔色から血の気が引いてブルブルと全身を震わせていた。
「どうしたの、震えちゃって? まさか、食あたり?」
「寒いのっ! それだったら、同じもの食べたおまえがどーして平気なんだよ」
そう言ってみたものの、鉄の胃袋を持つサイボーグのようなあおいだったら、痛んだ物を食べてもまったく平気かも知れない……。その数秒後には、いけない空想まで頭の中に浮かんでしまう彼だった。
そんな大飯食らいの彼女も、いくらコートで身を包んでいても寒くないと言ったら嘘になる。それを証拠に、擦り合わせる両手に真っ白な息をフーフーと吹きかけていた。
彼はその時、ピンと何かを思い出した。ゴミとして手に持っていた紙袋の中にある、用済みとなってしまうはずのあのプレゼントのことが。
「ほら、これ使えよ。ダサくても、この暗さじゃ気にならないだろ?」
そっと差し出された物に、目を丸くして凝視しているあおい。それがお好みじゃない毛糸の手袋だと気付くまでに、そう時間はかからなかった。
彼女はポカンとしたままそれを受け取る。寒さなのか、それとも照れているのか、赤らんだ頬っぺをしながら、上目使いで彼に目線を合わせる。
「これ、百メートル先からでもダサいってバレちゃうよ?」
「あーもう! おまえというやつはっ!」
彼が涙目になって手袋を奪い返そうとすると、あおいはそれを胸に抱えて阻止しようとした。
ぶつくさ言いながらも、暖かい手袋をちゃっかりと両手に装着している彼女。両手の冷たさに耐え切れなかったのか、それとも、彼の優しさに触れたかったのか、それは彼女自身にしかわからない。
素直になれない彼女の仕草を見て、彼はちょっぴり呆れ顔だったが心の中では嬉しそうだった。喜ばれようが貶されようが、プレゼントを受け取ってくれたことに違いはないのだから。
「よし、この辺りでお別れだな」
雪が舞い散る寒空の下、あまり長居しては、彼もさすがに凍えてしまいそうだ。ゴミを片付けてさっさと自宅へ戻ろうとした矢先……。
「ちょっと待って。プレゼントのお返ししてあげるよ」
「えっ――――」
それはあまりにも唐突だった。
あおいの両手が彼の肩に触れた途端、彼女の赤らんだ顔が彼の視界に飛び込んでくる。
彼女の顔がふらっと視界から消えると、彼の頬に、優しくて柔らかい感触が伝わった。
それが彼の脳にとてつもないスピードで伝播していった。そう、過去に経験したことのないキスという答えとして。
「あ、あおい……!?」
「あはは、それじゃあ、おやすみ~。良い子は早く帰って寝るんだよ~~」
あおいはクルッと彼に背中を向けるなり、雪降る夜道を小走りで駆け出していった。
熱を帯びた頬に手を宛がう彼。しばらく呆けたまま、宵闇の中に溶け込んでいく彼女の後ろ姿を見つめていた。
「こんなオチでいいの、このお話って?」
こうして、二人きりのクリスマスパーティーは微笑ましく終わりの時を迎える。
彼がこのまましばらく立ち尽くし、翌日に風邪を引いて寝込んでしまったことなど、読者の皆さまにはまったく関係のないおはなしである。
これを読んでくれた皆さまにも素敵なクリスマスが訪れますように。メリークリスマス――――。




