6話 生き残りのメイド
なるほど、とアメリは茫然と思った。
こりゃ、致死率が高いわけだ、と。
浄化師たちは戦闘訓練を受け、かつ、それぞれ屍鬼を倒す聖具を持っていると聞く。
ロイならば長剣、リアムは犬と警棒。意外だがマクシミリアンは格闘系らしい。拳鍔を右手にはめている。
それなのに、浄化師たちが活動しやすいように準備を整え、旅程を組み、宿泊場所を用意する課員は丸腰で現場に放り込まれるのだ。当地の役人のように傍観はできない。このあと、報告書を作成しなければならないため、浄化師の仕事ぶりを間近で見ないといけないのだ。
「困りましたね。わたしは浄化師というより、王子の護衛官なので、お嬢さんまで守り切る余裕はありませんが」
ロイは顎を摘まみ、困ったような笑みを唇に載せる。
「いざとなったら、ネモを回すよ」
慎重に匂いを嗅ぎながら、一階の中央へと進むネモに付き添うリアムが声を張る。どうやら階段に向かっているようだ。
「ネモには任務に専念させろ。役人は放っておけ」
マクシミリアンが言い放つ。リアムがもの言いたげに顔を向けるので、アメリは彼ににっこり笑って見せた。
「大丈夫です。私は私で、これでも対策を考えていますので」
「対策?」
佩刀の柄を軽く握った姿勢でロイが不思議そうに小首をかしげる。
「これでも、以前は図書部所属でしたから」
片腕を抜いて、背負っていた鞄を胸側に回す。手早くかぶせを開けて、中から試験管を一本取り出して見せた。
「それは?」
ロイが目をまたたかせる。その隣でマクシミリアンも興味深そうにこちらを見ていた。
「私は屍鬼対策課に配属されてまだ日が浅いですが、文献は読み込みました。屍鬼とは、脳障害によって心臓は動きを停止したものの、身体が勝手に動いている状態を指しているとみました」
「なるほど」
マクシミリアンが目を細め、小さく頷く。
屍鬼化した人間は、すでに心臓が止まっているので、胸部を攻撃しても意味はない。浄化師たちが真っ先に狙うのは、頭部だ。脳を破壊すれば、永遠の眠りにつく。
「感覚器、関節可動域は、生きている時と同じ状態です。なので、目や耳で動きを察知し、こちらに襲い掛かってきます。ならば、感覚器が使い物にならなくなればいいわけで……」
アメリは、コルクで栓をした試験管を、ゆらゆらと揺らして見せた。ガラスの内側で、透明の液体がたぷり、と揺れる。
「中身は、香辛料や香草、ニンニク、たまねぎを水蒸気蒸留したものです。少なくとも、目つぶしにはなると思うので、その間に逃げようかな、と」
「にんにくやたまねぎを入れたのはなんでだ」
マクシミリアンが腕を組み、横柄な態度で尋ねて来る。
「わかりません。ですが、民間伝承、教会からの報告書、屍鬼対策課の書類を読み合わせ、共通して出てくるのは、『にんにく、たまねぎ』でした。いずれも、魔除けに使われます」
正直に答える。馬鹿にされるかな、と思ったが、意外にもマクシミリアンとロイは視線を交わしただけでなにも言わなかった。
「ネモの周囲では使用するな」
マクシミリアンは指を突き立てて厳命してくる。それもそうだ。人間よりも各段に嗅覚のいい犬の周辺でこんなものを使用したら大変なことになる。
アメリは頷き、ふたたび試験管を仕舞うと、鞄を背負った。
「やっぱり二階か?」
すでに興味を失ったかのようにマクシミリアンが、リアムとネモの後に続いた。ひとりと一匹は、軽やかに階段を上がっている。
「そうみたい。寝室を根城にしているのかなぁ」
暢気に応じているが、リアムもネモも警戒しているのは見ていてわかる。
「昼間は比較的動きが鈍いから」
おっかなびっくりマクシミリアンの後を追うアメリに、ロイが話しかけて来た。
「光が苦手なんですよね」
アメリは頷く。ベッケル夫人の初期症状でもそうだ。感覚過敏が起こる。動けない、というわけではないが、光が眩しすぎて周囲が見えない状態になる。なので、昼間でも光がささない場所であれば、屍鬼は夜と同じぐらい行動的とも聞く。
「予習ばっちりだね」
ロイが優しく微笑んで頭を撫でてくれる。いつも姉の立場なので、こういうことに慣れていない。アメリはどぎまぎしながら、「はあ」とあいまいに応じた。
「危ないと思ったら、とにかく逃げなさい」
ロイはそう言うと、アメリから離れ、マクシミリアンの側にぴたりと付き添う。足が長いせいか、アメリなど、ぱたぱた階段を登っているのに、二段飛ばしぐらいで、あっさりマクシミリアンに追いついてしまった。
急がなきゃ、と思った途端、ネモが大声で吠え出した。
「いました! よしよし。いいこだね、ネモ。わかった、わかった」
すでに階上にいるリアムがネモをなだめている。
「屍鬼は、じっとしているのか?」
マクシミリアンとロイが階上に消える。アメリも慌てて階段を駆け上り、フロアに立った。
(あれが、そう……?)
二階の廊下に立ち、アメリは目をすがめる。
カーテンがすべて開け放たれ、一部破壊された窓からは、光が差し込み、風が時折吹き込んでいた。
ガラス片さえ散っていなければ。
そして、うつぶせに女性が倒れていなければ、穏やかな真昼の風景に見えたことだろう。
「ネモ、いけ」
リアムがリードを外し、ネモに命じる。大型犬はその身体に似つかわしくないほど素早く、そして足音も立てずに女性に近づく。
首を低く構え、慎重に間合いを詰めて女性に寄って行く。
階段付近で、その様子を見ている三人に混じり、アメリもネモの動きを見守った。
ふすふすふす、と、静まった屋内でネモが嗅ぐ音がする。
ふ、と。
女性のすぐ側でネモは動きを止めた。
四つ足をすっくと延ばし、低い姿勢を解く。リアムを見て、「ぅおん!」と吠えると、長くふっさりとした尾を横に振る。
「死んでるの? ほんと?」
リアムが大きな目を見開いてネモに話しかけた。「ぅおん!」と、返事は変わらず、ひとつ。リアムはリードをまた腰ベルトに巻きつけながら、愛犬の側に歩み寄る。
「どういうことだ」
「屍鬼化してなかったんでしょうか」
その後を、マクシミリアンとロイが続いた。
アメリもそれに合わせようとしたのだが。
こつん、と。
階下でなにかが床を跳ねる音がした。
ちらりと浄化師たちに視線を向けるが、気づいている様子はない。
今はうつぶせに絶命している女性を取り囲み、なにか話し合っている。
(……なんだろう)
アメリは階段まで戻り、手すりを掴んで1階ホールを見下ろした。
誰か役人が入ってきたのだろうか。そう思ったのだが、荒れ狂った室内はそのままで、人影はない。
こつん、と。
その時、音と同時に、アメリの目が拾ったのは、大理石の床を跳ねる小石だ。
「ん?」
小石が飛んできた方に顔を向ける。
西館。図面上では、リネン室や食器保管庫、使用人部屋が続く場所だ。
そちらは、カーテンがきつく閉ざされたままらしい。薄闇がこごり、じわりと陽の当たる場所を侵食しようと狙っているようだ。
そこから。
不意に小石が投げ出される。
こつん。
こつり、と。
大理石の床を跳ね、転がる。
「誰か……」
いるの、と声をかけようとして、アメリは思い出す。
メイドだ。
行方不明のメイドがひとり。
逃げ遅れたのだろう、と司祭とベッケル男爵は沈痛な面持ちで言っていたが。
(まさか、生きてる……?)
アメリは考えると同時に駆けだした。




